こんなに竹を割ったような、痛快にして、真っすぐな人であったのか。東京ジャズに出演するために初来日したカナダ人シンガー、モリー・ジョンソンの質疑応答はすこぶる天晴。それは、他意なく本音で業界を渡ってきたことを教えてくれる。
「トロントに生まれ、育っている。でも、フランス語はしゃべれない。旦那と子供たちは上手なんだけど(笑い)。息子たちは、17歳と14歳よ」
恵まれた環境に育った。姉のタボラ(役者/歌手)と兄のクラーク(映像監督/役者)もカナダや米国で活躍。モリーは子役をするとともに、ナショナル・バレエ団にも所属した。だが、16歳のとき退団してしまう。「他人を演じるより、モリー・ジョンソンでいたかった。だから、歌手になろうと思ったの」と、彼女は当時の心境を説明する。
そして、彼女はロック・バンドを組むようになり、また当初から曲も書き始めた。自分で歌う曲を自ら書く、彼女はそうしたDIY精神にひかれたという。
「私がジャズに興味を持つようになったのは、曲作りのため。デューク・エリントンやガーシュウィンの曲を聴いて、印象的な曲の書き方を学んだ。そして、いつの間にか、ジャズの分野にいるようになった」
そんな彼女の6作目となる新作は、なんとビリー・ホリデイ絡みの曲を歌ったアルバムだ。
「顔が似ているからか、声が似ているからかは分らないけど、ずっと前からビリーの曲をレコーディングしてくれと、周りから言われてきた。でも、その著作権が切れていることに疑問を感じ、私はやりたくなかった。今回それをやったのは、ユニバーサル・ミュージックの尽力もあり、その売り上げがチャリティとして各所の〈ボーイズ&ガールズ・クラブ〉(日本で言うところの学童クラブ)に回ることになったから。これには、子供がいなかったビリーも喜んでくれると思う」
HIV啓蒙運動にも積極的なことで、知られる。そんな彼女は、ビリーの代表曲《奇妙な果実》で歌われる差別が現代にも通じるテーマであると感じている。
「それは、常に頭にある。弁護士の母は教師をしていた黒人の父と結婚したけど、当時それは犯罪に近いことだった。そんな勇気ある親の家庭に育ったら、自然にいろんなことを考えるようになるわよ。とともに、私は直感に従ってきた。だから、私は楽譜も読めないけど、自分の耳を信じ、そして感じたことをそのまま歌う。それ以上、何が必要だと思う? 今作もすべてワン・テイクですませたわ。だって、《奇妙な果実》のような深い曲を心を込めて二度も歌ったら、死んじゃうわよ!」