正統か異端か、芸術か生活か、あるいは歌か器楽か――わたしたちはしばしばものごとを二つに分けて考ようとする。そのこと自体の是非は一旦措くとして、問題なのは、一方を正当化するために他方を抑圧する排除の論理が容易に働いてしまうことだろう。〈こちら側〉を守るために〈あちら側〉を否定する――そうした光景は何も音楽に限らず、至るところに見出すことができる。
関西を拠点に活動するピアニスト/作曲家、関谷友加里はそのような二元論を脱構築する。先ごろ配信が解禁された、〈関谷友加里トリオと田中ゆうこ〉名義で2011年にリリースされたアルバム『ありふれた愛なので…』では、ポップな歌ものを思わせるタイトルとジャケットに惑わされるなかれ、聴く人の度肝を抜くような先鋭的なサウンドがジャズをベースにした瑞々しい演奏で展開する。メンバーの一人は関西の重鎮、コントラバス奏者の森定道広だ。無伴奏ソロの『あげくのはてもなく』(1979年)や現在〈ゴミ演奏家〉として知られる本木良憲とのデュオ作『鶴千亀千』(1981年)でレコードディガーに馴染みの存在でもある。そして『ありふれた愛なので…』には、心を震わす歌も、どこまでも自由なインプロビゼーションも、互いを排除することなく自然に同居しているのである。
そんな関谷友加里が14年ぶりとなるセカンドアルバム『DUETS Till Now, From Here』を完成させた。かみむら泰一(サックス)、武井努(同)、谷向柚美(ボイス)、森下周央彌(ギター)、森定道広(ベース)、大塚恵(同)、甲斐正樹(同)、光田じん(ドラムス)という、名うての8人のミュージシャンとのそれぞれ2種類のデュオを収めた2枚組大作である。即興色の濃いアブストラクトな演奏から穏やかで構成的な演奏まで、デュオのありようはさまざまだ。それは単にバリエーションが豊かというより、個性の異なる8人のミュージシャンの、それぞれの持ち味が最大限に発揮されるよう、関谷が各相手ごとに最も相応しいアプローチを選び取っているからであるようにも感じられる。二つのものを切り分けて済ませてしまうのではない、互いの接点を探る16通りの試みが刻まれているとも言えるだろうか。それでいて全体で一つの作品として統一感も保っている。
今回のインタビューでは、関谷友加里の音楽的なバックグラウンドから『DUETS』完成に至るまでの道のりについて、じっくりと話を伺った。ジャズ、即興、関西の音楽シーン、あるいは出産・育児と音楽活動をめぐる葛藤など、彼女の足跡のどの局面からも、わたしたちがつねに考えるべき問いが投げかけられているように思う。〈こちら側〉と〈あちら側〉は、いかにして混ざり合うことができるのか――。

キース・ジャレットの未知のピアノに惹かれて
――ジャズに興味を持ったきっかけは何でしたか?
「きっかけは、2歳上の兄でした。高校に進学したばかりの頃、エレキベースをやっていた兄がバンド活動をしていて、ウェザー・リポートのキーボードの感じが欲しいから弾いてくれと頼まれたんです。それまで私はクラシックしかやっていなかったので、コードすら知らなかったんですが、耳コピしてライブをしてくれと。それで、“Black Market”をコピーしたのが最初でした。当時は(ジョー・)ザヴィヌルのことも認識していなくて、とにかくキーボードの音を耳コピして譜面に書いてました。私にとってライブ自体が初めてで」
――高校卒業後、大阪音楽大学短期大学部のジャズ・コースに進学されますよね。ジャズを志そうと決めたのはどのタイミングでしたか?
「その後、兄の部屋にあったMDを聴くようになり、その中にキース・ジャレットやチック・コリアの音源が入っていたんです。それでジャズピアニストに興味を持ち、もう少しやってみたいと思い、高2の冬からジャズの先生に習い始めました。その流れで、大学でも学べるなら進学しようと。その時点では強くジャズを志したわけでもありませんでした。
ただ、クラシックを習っていた小学生の頃から、即興で弾くのは好きだったんです。それでコードというものを知り、コードがあればもっと自由に弾けて面白いなと、どんどんのめり込んだ感じですね」
――大学進学後は、どんなレッスンをしていましたか?
「最初は基礎の基礎です。ジャズピアニストに必要なノウハウ、たとえばボイシングやコンピングの土台をみっちり教わりました。それと、とにかくコピーしなさいと言われたので、バド・パウエルやウィントン・ケリーなど、巨匠をたくさんコピーしました。
そのなかでキース・ジャレットと出会い直すんですね。ウィントンやバドはフォームに則っているというか、コピーすると〈なるほど、こうなっているのか〉と意味がわかったんです。習ったことの答え合わせができる、みたいな。けれど、キースのスタンダーズ・トリオの『Standards Vol. 1』(1983年)を聴いたら、全然わからなくて。コピーしても掴めない。スタンダードを演奏しているはずなのに、なぜ?と、気づいたら何回もアルバムを聴いていて、病みつきになりました。その頃から〈私が好きなのはこういう音楽かも〉という自覚が芽生えて、キースの方向性に惹かれていって」
――大学時代はピアニストの石井彰さんにも師事されています。石井さんに学ぶために進学先を選んだのでしょうか?
「石井さんのことを知ったのは大学に入ってからでした。当時石井さんは40歳前後で、トリオで精力的にライブをしてオリジナルを発表していて、めちゃめちゃカッコよく見えて。すごい世界だと思ったんです。それこそキースと同じで、何回ライブに行ってもわからない。一体どういうことなのだろうと。
今振り返ると、当時はビバップ〜ハードバップをメインで習っていたので、そこから離れたサウンドが衝撃だったんだと思います。とにかく石井さんのトリオが好きでライブに足を運んで、直接レッスンを受けさせていただくことになって、ものすごく影響を受けました」
――レッスンで印象に残っていることはありますか?
「一対一で受けていたんですが、独特な内容でした。〈どんなピアニストになるべきか〉というマインドについて繰り返し話されていたのが印象に残っています。〈誰でも弾けるピアニストになっちゃダメ、代わりの利かないピアニストにならなくちゃ〉〈器用にやらなくてもいい〉と口酸っぱく仰っていて。憧れの先生だったので、緊張していて、2台ピアノでセッションさせていただいた時は、夢のような時間でした」