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テイラー・スウィフトとの出会いから弾き語りへ――楓のルーツ

――それは楽しみですね。楓さんは東京出身で、幼少期から洋楽に親しんでいたとのことです。

「両親ともに洋楽好きで、小さい頃からいろんな音楽を聴いてました。父は若い頃にバンドをやってたそうで、いろんな楽器をやるんですが、メインでずっと弾いてたのはアコースティックギターです。それと祖父がカラオケスナックをやってて、歌う環境もそばにあって。音楽に囲まれて育った感じはあります」

黒澤「楓さんのバックグラウンドはおもしろいんですよ。出身も下町で江戸っ子なんです」

「私は父方の祖母と小学校が同じで、母方のほうも6代ぐらい東京にいるんです」

黒澤「だから、ほぼ『こち亀』(笑)」

――どういう音楽がルーツなんですか?

「最初はテイラー・スウィフトでした。まだ有名じゃなかった頃に〈お姫様みたいな子が出てきた〉って両親に教えてもらって。母は留学経験があったので、英語の歌詞にカタカナを振ってもらって、それを見ながら発音を覚えて歌の練習をしてました。父に4コードだけ教えてもらってアコギで弾いてたんです。最初に弾いたのは“You Belong With Me”でした」

――初期のテイラーを聴いていたなんて早いですね。

「父は耳が早いんです。エド・シーランやビリー・アイリッシュも有名じゃなかった頃に見つけてました」

――そして、テイラーがきっかけでアコギの弾き語りを始めたと。

「そうです。ちなみに兄は父から教わったニュートン・フォークナーにすごく影響されてて、スラム奏法でアコギを弾くんです」

――当時はほかにどんなアーティストの曲をカバーしていましたか?

「椎名林檎さんとか。高校生の頃は3ピースバンドのベースボーカルをやってて、SHISHAMOをカバーしてました。あとBUMP OF CHICKENがめちゃくちゃ好きで、高校の頃はUNISON SQUARE GARDENやクリープハイプも流行ってましたね。KANA-BOONがドンピシャの世代で、カバーもよくやってました」

――曲作りを始めたのは?

「18歳でカナダのバンクーバーに留学したときに初めて曲を作りました」

――楓さんはお兄さんと音楽活動をしているということで、それこそビリー・アイリッシュのようだなと思います。

「留学から帰った頃、兄がライブに誘われて、〈妹が帰ってくるから一緒にやろう〉と急に思ったらしいんです。それで初めて2人でライブをしたんですが、〈意外とうまくできるね〉〈やりやすいね〉となって。オリジナル曲を書きはじめてたので、それを兄に聴かせたら〈一緒にやってみよう〉とアレンジをしてくれるようになりました」

 

葛藤を経て選び取った音楽の道

――初めて曲をリリースしたのが2022年。作曲もお兄さんと一緒にやっているんですか?

「曲によりますが、ゼロイチで歌詞やメロディを書くのは私で兄が編曲、という形が多いですね。でもコードには詳しくないから、兄が〈これはどう?〉って投げてくれたり」

――muevo voiceの記事には、音楽を仕事にすることに対して葛藤があったと書かれていました。

「そうですね。メイク学校に行ったり、旅行会社で働いてみたり、いろいろやったんです。音楽は趣味で続けようかなとも思ったんですけど、メイクを仕事にしようとしたとき、〈ちょっとちがうな。音楽と同じレベルで好きじゃないと我慢できないかも〉と気づいて。それで、音楽で頑張っていこうと決心しました」

――その迷いは表立って発信することに対する躊躇ですか?

「いえ、モチベーションの問題ですね。高校生の頃からYouTubeへの音楽の投稿は続けてたので、熱量の問題なんです。きちんと投稿を続ける、ライブをやる、ちゃんと曲を作るとか、そういうラベルがないと切り替えられないタイプなので、ちゃんとやろうと思いました」

――1stアルバム『Daydreamer』を2025年10月にリリースしたばかりです。

「留学時に作った曲を含め、この7年ぐらいで作った曲を全部まとめて入れた作品です」

――英語がペラペラで、英語圏の友人も多いそうですね。

「洋楽好きだったのもあって、英語の勉強は熱心にしました。高校も外国語コースがあるところに進学して、英語が4教科ある代わりに理数系が少ない、私にとって最高の学校で(笑)。あとYouTubeで海外のメイク動画を見てたので、リスニングは得意だったんです」