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ラッパ我リヤの復権

 昨年の『ULTRA HARD』が長い不在を埋めるかのように高評価を得て、見事に前線に返り咲いた感もあるラッパ我リヤ。Mr.Qが「フリースタイルダンジョン」で若手筆頭株のGADOROを負かした出来事も、韻とヴァイブスにこだわるオリジネイターとしての存在感を思い出させるのに作用したはずだ。そんな我リヤの結成は93年。いわゆる〈さんピンCAMP〉組より少し若い世代にあたる彼らは、95年にQと山田マン、DJ TOSHIの現体制となり、同年のコンピ『悪名』に提供した初音源“ヤバスギルスキル”で一気に脚光を浴びる。98年には名作の誉れ高い初作『SUPER HARD』を発表し、RHYMESTERや山嵐、Dragon Ashらとのコラボを経て、2000年にメジャー・デビュー。当時のラップ・ブームを代表する一組として華々しい活躍を見せた。

 その間にはQと山田マンのソロ活動も始まるが、スタイルの多様化や若い世代の台頭もあってグループの動きは落ち着いていき、『MASTERPIECE』(2009年)以降は作品も途絶えた状態に。そこからDJ MISTA SHARの“THE STRONG SURVIVE”(2013年)に参加し、KENSHU制作の“More Fire!”を含むミックスCD『ラッパ我リヤバスギル BEST MIX 2015』で復活するまでは数年を要するが、大ヴェテランの彼らが往時を知らない層からも新鮮に歓迎されたのは、その不在時に似たタイプの人が現れなかった結果でもある。KEN THE 390の“インファイト”にQが招かれたように、そのエネルギッシュなオリジナリティーが求められる機会は今後も増えていくはずだ。 *出嶌孝次

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