P-MODELの〈完成形〉というべきアルファ時代の2タイトルがリイシュー!!
2021年の〈フジロック〉に平沢進+会人(EJIN)として出演、その圧倒的な個性で別格の存在感を見せつけた平沢進。すでに50年近いキャリアを持ちながらもいまなお進化し続けるオルタナティヴ・ロックの第一人者がかつて率いて日本のニューウェイヴの歴史に大きな足跡を残したバンド、P-MODELが80年代半ばにアルファ傘下のEDGEからリリースした2作品がリイシューされる。最新デジタル・リマスタリングが施されたCDと、最新カッティングによるアナログ盤でのリリースだ。リマスターを担当したのは、P-MODELからの影響を公言する砂原良徳である。『KARKADOR(カルカドル)』(85年)、その次作『ONE PATTERN』(86年)は、P-MODELにとって通算6作目、7作目にあたるアルバムであり、日本のロックが大きな転換期を迎えていた時期の作品だ。結果的に彼らの〈凍結〉(活動休止)前の最後のアルバムとなった。
それまでマンドレイクというプログレッシヴ・ロックのバンドをやっていた平沢進(ヴォーカル/ギター)が、パンク・ロックの襲来に大きな衝撃を受け、一夜にしてマンドレイクからP-MODELと名前を変えニューウェイヴ・バンドとして再スタートしたのが79年1月だった。プログレ時代とはサウンドも、ファッションも大きく装いを変えたP-MODELのファースト・アルバム『IN A MODEL ROOM』(79年)は、フィジカルで強靱なバンド・サウンドに最先端のテクノロジーを持ち込んだテクノ・ポップの最前衛として評価された。だが、群れを嫌い、孤立を恐れぬその姿勢は、まぎれもないパンクそのものだったとも言える。時代状況に鋭敏に反応するセンス、生まれ持った反骨精神、ブラックでシニカルなユーモア・センスでもって、メインストリームへの反発や世間一般の常識への違和感をぶちまける攻撃的で挑発的な当時のライヴは、衝撃的とも言える荒々しいエネルギーに満ちていた。4作目『Perspective』(82年)では、抽象的で観念的な歌詞、硬質で鉱物的な手触りとリズムの強化、奥行きと広がりをもった立体的な音響構築、オルタナティヴでアヴァンギャルドなサウンド・プロダクションでシーンに大きな衝撃を与えた。
だがその後の彼らは度重なるメンバー・チェンジやレコード会社とのトラブルで、精神的に追い詰められていく。5作目『ANOTHER GAME』(84年)は大胆で野心的なエネルギーに満ちていた前作から一転して内省的で混沌とした作品となり、スピリチュアルな観念性を極め、狂気にも似た切迫感が支配するダークなアルバムとなった。
そして新メンバーを迎えてラインナップをリニューアルし、アルファに移籍したP-MODELがリリースしたのが『KARKADOR』である。メンバーは平沢、横川理彦(ベース/ヴォーカル/ヴァイオリン、三浦俊一(キーボード)、荒木康弘(パーカッション)の4人。とりわけ今作から参加した横川の存在は大きく、4曲の作曲に名を連ねるほか、彼の弾くヴァイオリンが新鮮なタイトル曲など、演奏面での貢献も大きい。変幻自在で自由奔放なアレンジ、平沢らしい朗々と歌うメロディーなど、バンド・サウンドのルーティンを超えたポップかつエクスペリメンタルなサウンドは見事な完成度。とりわけ今回のリイシュー・ヴァージョンは、砂原のリマスターによって曇りが晴れたようなクリアでメリハリの効いた力強い音になり、現代的な再生環境にも対応した作品として生まれ変わった。40年たった現在も古びることのない見事な傑作として再評価されるのは必至だろう。
ところが『KARKADOR』のツアーが終了した85年10月をもって横川と三浦が脱退。中野照夫(ベース/キーボード/ヴォーカル)、高橋芳一(システム)が加入し、平沢、荒木、中野、高橋の体制で作られたのが『ONE PATTERN』である。タイトルはいかにも自虐的だが、内容は凍結前のP-MODELの完成形とも言える作品であり、同時に解凍後のP-MODELや平沢ソロにも引き継がれる佳曲が揃った。冒頭の“OH MAMA”などテクノ・ポップ回帰を思わせるような打ち込みとサンプリングをふんだんに使った多彩でカラフルなサウンドは、初期のような怒りや憤りに任せたパンキッシュな攻撃性は薄いものの、肉体とテクノロジーの相克と融合という初期からのテーマはここで完成の域に達した感がある。砂原のマスタリングはここでも有効で、40年たったいまもこのジャンルでは追随者が到底及ばない境地にある作品だと感じさせる。
だが、この傑作がリリースされた86年は、P-MODELに影響を受けた世代によるインディーズ・ブームがピークに達し、直後に起こるバンド・ブームへの流れが顕在化しはじめた時期である。加速するロックのビッグ・ビジネス化――そこには平沢がP-MODEL結成時に切実に求めたパンクの精神は希薄だった。結局、『ONE PATTERN』を区切りとして、P-MODELは88年12月を持って〈凍結〉となり、平沢はソロに転進した。P-MODELは3年後の91年に〈解凍〉するが、その際のメンバーとして電気グルーヴ加入前だった砂原良徳が候補に挙がっていたという。つまり砂原のリマスタリングは、34年越しの過去の精算でもあったのだった。
P-MODELの作品。
左から、79年作『IN A MODEL ROOM』、80年作『LANDSALE』、81年作『Potpourri』(すべてワーナー)、83年作『Perspective』、84年作『ANOTHER GAME』(共に徳間ジャパン)
左から、核P-MODELの2018年作『回=回』、平沢進の2021年作『BEACON』(共にTESLAKITE)
砂原良徳の関連作。
左から、TESTSETの2023年作『1STST』(ワーナー)、リマスタリングを手掛けた立花ハジメの82年作『H』のリイシュー(アルファ/ソニー)、マスタリングを手掛けた高野寛の2024年作『Modern Vintage Future』(UMA)