いつもお世話になっております。髭のコテイスイです。この度、ちゃん髭15アニバーサリー・キャンペーンということで、二回目のブログをやらさせていただきマコトに光栄でございます。その記念すべき第一回は〈ジャズ・ブッチャー〉をご紹介いたしました。マニアック過ぎてすいません汗。〈こて“ミルク”てき〉独自見解では御座いましたが、皆さまにも少しでも何か響いて(感じて)いただけたらこてミルクちゃんも幸いでございます。
そして今回取り上げるのは、こてミルクちゃんが世界で二番目に愛してやまない80sUKネオ・アコースティック最期の切り札、フェルトのローレンス・ヘイワード大先生にしました。もっとマニアック過ぎてすいません(^^;;
自分でいうのもなんですが、フェルトの事はオレに聞け!!的な、大・新世界〈フェルト〉大会 金保留賞に見事!完全ノミネートしたわけでございますー笑笑。ウソです(^^;;。
フェルトとの出会いは90年代中頃で、86年に発売されたクリエイション移籍第一弾シングル“Ballad Of The Band”を、当時自分が少しだけ参加、お勉強させていただいたジャパニーズ最強ネオアコ・バンド〈Budgie Jacket〉の超絶ギタリストK.H氏から教えていただいたのがきっかけです。このバンド名もフェルトの名曲から拝借(その時はまったくわからなかった)。
当時、モノクローム・セット、ザ・スミス、オレンジ・ジュース、ジャズ・ブッチャー、ペイル・ファウンテンズ、ポストカード系を愛聴していた頃でしたので、フェルト・サウンドはカラダがすぐに反応してしまい、、。っといった流れデス(^。^)
ちゃん髭15周年どころか、20年以上も前の出来事でなんだか混沌としてきました(^^;;が、。
閑話休題。バーミンガムの〈パラダイス・ガレージ〉というアメリカン・スタイルの洋服屋で出会った若者たちが、フェルト(毛氈)と名乗ったのはいかにもという感じで。
90年代中頃にはサラッと解散してしまった孤高のバンド〈フェルト〉、奇蹟の10年。
UKはバーミンガムに住むローレンスとモーリス・ディーバンクは、76年に前述のパラダイス・ガレージで出会っている。当時のバーミンガムにはもうひとつの若者の溜り場ラム・ランナーというファッショナブルなクラブがあり、ここで知り合った若者たちは、あの〈デュラン・デュラン〉を結成したというから、同郷の若者とはいっても、その趣向は大きく離れていたわけでもあった。
ローレンスはチェック柄のシャツを買うためにパラダイス・ガレージにやって来て、モーリス・ディーバンクと出会うことになった。
79年にローレンスは一人でフェルトと名乗ってシングル“Index”を発表しているが、翌80年3月にモーリス・ディーバンク(ギター/ヴォーカル)とゲイリー・エインジ(ドラムス)を加えて、バンドとしてのフェルトをスタートさせている。彼らは名門チェリー・レッドと契約し、81年末にシングル“Something Send Me To Sleep”でバンドとしてのデビューを飾り、続いて6曲入りのミニ・アルバム『美の崩壊/Crumbling The Aniseptic Beauty』を発表している。
この後、4人目のメンバーとしてミック・ロイド(ベース)が加わるが、モーリスが一時的に脱退。しかし、モーリスはすぐに復帰し、4人で2枚目のミニ・アルバム『毛氈/FELT』(83年11月)を発表。84年10月に初のフル・アルバム『彩霞/Strange Idols Pattern And Other Stories』(〈こててき〉金賞受賞!!)、85年9月には『カスピの詩人/Ignite The Seven Cannons』(〈こててき〉金賞受賞!!)……と、コンスタントにリリース。
後者はコクトー・ツインズのロビン・ガスリーのプロデュース作品で、コクトー・ツインズからエリザベス・フレイザー!の参加も得ている。このアルバムから先行発売された“Primitive Painters”(〈こててき〉金賞受賞!!)はミュージック・ウィークのインディ・チャートで4位まで上がるヒットとなり、フェルトの存在を明確にした。これぞまさに、シューゲイズ初動とも思える楽曲デス!!
そして、この作品は後のフェルトの動向に大きな影響を与えることになった。それは、このアルバムから参加したキーボード奏者マーティン・ダフィ(プライマル・スクリーム)の存在である。それまでのフェルト・サウンドは、モーリス・ディーバンクとローレンスの2本のギターによるギター・バンド・スタイルであったが、マーティン・ダフィーの参加により、キーボードが前面に出るようになっている。
サウンドはより厚みを増し、フェルトのサウンドがグレード・アップしただけではなく、独特の唱法〈スポークン・サング(囁くような歌い方)〉を特徴とするローレンスの歌声も力強さを増したのだ。しかし、こうしたサウンド/スタイルの変化が、リード・ギタリストの座にあったモーリス・ディーバンクを刺激してしまったのか、85年末にモーリスは再び脱退、二度とフェルトに戻って来なかった。ちなみにモーリス・ディーバンクは、後にソロ・アルバム(インストゥルメンタル作品)を発表。こちらも最高傑作!
この時点でのフェルトは、ローレンス(ヴォーカル/ギター)を中心にマーティン・ダフィ(キーボード)、ゲイリー・エインジ(ドラムス)、マルコ・トーマス(ベース)という4人組になっていた。しかも、チェリー・レッドとの契約も切れたため、ブランコ・イ・ネグロ!(ジーザス&メリーチェイン等)でデモ録音を行おうなどもしたが、結局はチェリー・レッドとも交流のあった当時の新興レーベル、クリエイション!に移籍。
クリエイションに移ってからのフェルトは、特にヤバかった!!! 〈こててき〉移籍金賞受賞!!デス! ローレンスの独特の歌声をフィーチャーした従来のフェルト路線と、マーティン・ダフィーのキーボードを生かしたインスト路線という両極のスタイルに劇的変化を起こしたわけで。
そうしてクリエイション移籍後のシングル“Ballad Of The Band”が生まれたのである!〈こててき〉もちろん金賞受賞!! 12インチは4曲入り。A面が従来のフェルト・サウンドに対し、B面がマーティンのピアノをフィーチャーした、ラウンドスケープ的なニューエイジ・サウンドと対極的な音楽性を示し、フェルトとしてのイメージをさらに拡散させた。
この辺りの柔軟性はポスト・パンク世代のイギリスのミュージシャンにはよく見受けられるもので、その音楽的指向分裂のスピードは計り知れないものがある。
フェルトの変身は既に類稀なハイセンスと狂気が漂っていた。
その後にクリエイションから88年に発表された完全ジャズ・サウンドなインストゥルメンタル・アルバム『Train Above The City』(〈こててき〉銀賞を受賞!)などに聴かれるように、ただの気まぐれどころか、狂気が漂っていたのである。フェルト恐ろしヤ!!御座候。
しかし、こうしたスタイルの拡散が、フェルトというバンドの枠に収まりきれなくなり、解散という事態になってしまったのも頷ける、。という。
解散後は、メキシコ70、デニム、後にゴーカート・モーツァルトとしてアルバムを発表。残念ながらフェルトは生で観たことはありません。。がしかしメキシコ70は当時UKで観ました!! 奇跡的な出来事として。
まだまだ書き足りない事は沢山ありますが、この辺りでフェルトの〈こて“ミルク”ちゃん〉的 無人島一曲!!! ご紹介いたします!
87年発表の6枚目のアルバム『Poem Of The River』より 珠玉の名曲“Riding on the Equater”。8:58の大曲でヤラれます! 痺れます! エモ過ぎて泣けてきます! 特に4:30以降〜R18+激泣。70sエピフォン・カジノのアルペジオ+16ビートが誘う世界は〈こててき〉金賞受賞!!! 可能であれば是非、CD、レコードで聴いていただきたく思います。フェルトは、インターネットで聴くもんじゃないのです。あっ!少々熱く語り過ぎました、、。(^^;;
現存するバンドとして〈ベル・アンド・セバスチャン〉などもフェルトが遺した大いなる遺産なのです。
第二回:フェルトの事はオレに聞け! ありがとうございました。
~今回の選曲~
佐藤“コテイスイ”康一
15周年を迎えた髭にとって、ある意味最重要人物であるパーカッション、ドラム奏者。
または、髭のライヴにおいて、トラメガを自在に操るアジテーター。 そして、こてミルクちゃんとはなんなのか、それは今ひとつわかりません。
Information
髭、15周年記念アルバム『STRAWBERRY ANNIVERSARY』、ベスト・アルバム『STRAWBERRY TIMES(Berry Best of HiGE)』をリリース!!
〈STRAWBERRY ANNIVERSARY TOUR〉
10/20(土)神奈川横浜BAYSIS
10/27(土)兵庫・神戸VARIT.
10/28(日)京都磔磔
11/03(土・祝)宮城・仙台LIVE HOUSE enn 2nd
11/10(土)北海道・札幌DUCE
11/15(木)福岡CB
11/17(土)大阪・梅田CLUB QUATTRO
11/18(日)愛知・名古屋CLUB QUATTRO
11/23(金・祝)東京・恵比寿LIQUIDROOM
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