インタビュー

ダディ竹千代と東京おとぼけCATSとは何だったのか? キー坊金太(来住野潔)が語る〈お笑いロックバンド〉のヒストリー

ダディ竹千代と東京おとぼけCATS『ヒストリー・オブ・ダディ竹千代&東京おとぼけCATS -表面-』『ヒストリー・オブ・ダディ竹千代&東京おとぼけCATS -裏面-』

下段右でギターを構えているのがキー坊金太(来住野潔)

パンク、ニューウェイブの時期に本気でロックでお笑いをやり、あくまでもロックバンドであることに挑み続けたバンドがあった。英米ギタリストの弾き真似や、しゃもじから納豆、豆腐まで異物を使ったチョッパーベース演奏など破天荒で過激なパフォーマンスでライブハウスは出入禁止。ホームのライブハウス、渋谷屋根裏の最高動員記録を持ち、リーダー・ダディ竹千代(ボーカル)は「オールナイトニッポン」のレギュラーDJとなり、音楽界での交遊も広く、山下達郎、竹内まりや、桑田佳祐との関係は知られたところ。しかし、勝負を賭けた山下達郎作曲のサードシングル“偽りのDJ”(80年)は不発、商業的には成功することなく約5年の活動をもって82年に活動停止。80年代、90年代に2度の再結成はあったが続くことはなかった。テクニシャン揃いのメンバーは、その後もそれぞれ音楽活動を続け、その人脈からトレンドセッターとして裏から日本のポップスを支えたことは重要である。

そのダディ竹千代と東京おとぼけCATSのメジャー会社から発売されたシングル、アルバム、プロデュース曲で編成した〈表〉ベストアルバムと、このバンドを知るには十分すぎるほどの貴重な未発表音源と秘蔵映像をまとめた〈裏〉ベストアルバムが、10、11月と連続リリースされた。この機に、2作を監修した東京おとぼけCATSのギタリスト、キー坊金太こと来住野潔氏に話を伺った。

ダディ竹千代と東京おとぼけCATS 『ヒストリー・オブ・ダディ竹千代&東京おとぼけCATS -表面-』 SUPER FUJI(2021)

ダディ竹千代と東京おとぼけCATS 『ヒストリー・オブ・ダディ竹千代&東京おとぼけCATS -裏面-』 SUPER FUJI(2021)

 

キー坊金太(来住野潔)

田園風景が広がる世田谷で洋楽と出会った

――まずは、このバンドのキーワードの1つ、メンバーの地元・世田谷の話から。今ではハイソでおしゃれな街のイメージですが。

「僕が1952年生まれです。ダディ(竹千代)は鹿児島生まれですが中学の頃からこっちで、なかよし三郎(ベース)もみんな、神奈川寄りの駒沢、用賀、桜新町あたりの世田谷出身ですね。

その頃(の世田谷)は二子玉川の砂利を積んで渋谷に運んでいるだけだったのですが、今の田園都市線――当時は玉電(玉川線)と呼んでいましたが――の駅が出来て人が集まるようになったんです。僕が住んでいたのは瀬田で、小学校までの道は田んぼと畑で肥溜めがあって、キツネまでいてね。

劇的に変わったのが東京オリンピック(64年)で、(国道)246(号)や環八(環状八号線)、高速道路が出来て田園風景がガラッと変わったんです。その頃は自然がどうのとかいう思想はないから、周りが便利で近代的になるのが嬉しかったですね」

――そして家にテレビが来たと。

「そう。坂本九や森山加代子が歌う洋楽カバーや日本のポップスがラジオから流れて来て、テレビも始まった。『ザ・ヒットパレード』でクレイジーキャッツを観たりとかね。しかも、4つ上の兄貴が受験勉強をしながらラジオを聴いてたので、ジェームズ・ボンドのテーマとかが部屋から聴こえてくるんですよ。そういう音楽は洋楽だからハーモニーが全然違うし、それにビートがある。それで、学校で習うものではない音楽に目覚めたんです。

その後ビートルズが出て来て“Twist And Shout”(63年)にショックを受けました。小学校6年の頃だったかな。何しろ〈シャウト〉って言葉を初めて聞いたんでね、ああいう歌い方するんだって。あとは重たいビートですよね。シングルのB面は“Roll Over Beethoven”、カバーですよね。当時は“のっぽのサリー”や“Rock And Roll Music”など、東芝が日本独自のシングルを出していました。どれも黒人音楽のカバーね。ビートルズ経由でビートがあってアッパーな曲が好きになったんです」

ビートルズの63年作『Please Please Me』収録曲“Twist And Shout”。トップ・ノーツ、アイズレー・ブラザーズのカバー

――それでギターを買おうと思ったわけですね。

「兄貴が〈ギター買うからお前もお金を出せ〉って言うので、500円出して自由が丘に買いに行きましたね。当時、世田谷では自由が丘が一番の都会だったんですよ。で、3,500円のクラシックギターを買って。中学に入るとエレキを持ってるヤツに見せてもらったな。アンプから音が出るのが気持ち良くてね。

でもビートルズは、初期のレコードには〈コーラスグループ、ビートルズ〉って書いてあるくらいハーモニーが大事だから1人じゃ出来なくてね。さらに英語のビートが自分じゃ出来ないし」

 

小杉保夫や河口純之助らを輩出した桜町高校

――そして都立桜町高校に入学されました。

「学校でフォークじゃなくて、ドラムとベースも入れたバンドが出来るというから、軽音同好会に入ってね。先輩のバンドを観にいったら上手かったよ。『Revolver』(66年)の曲とか“Nowhere Man”(65年)とかを演奏して、ハーモニーも完璧でベースもドライブしていたんだ。そのジャンクスってバンドの小杉(保夫、郷ひろみ“お嫁サンバ”やTVアニメ『プリキュア』シリーズの音楽などで知られる作曲家)さんに、〈どうしたらこんなに上手く出来るんですか?〉と訊いたら、〈レコードを何回も聴いて耳で覚えるんだよ〉って言うわけです。そこからレコードの聴き方が変わりましたね。小杉さんの1年先輩に、ズー・ニー・ヴー(68~71年に活動したグループサウンズバンド)に途中で加わるギターの高橋英介さんがいました」

――後輩には連続射殺魔(70年代後半~80年代前半に活動した和田哲郎をリーダーとするロックバンド)の和田哲郎(琴桃川凛)さんと、じゃがたらのメンバーでもあった川辺徳行がいますね。

「知ってる! 内田裕也さんの〈ニュー・イヤー・ロック・フェス〉におとぼけCATSが出たとき(79年)、僕たちの前に出たんだよ。アン・ルイス、連続射殺魔、おとぼけCATSの順番でした。THE BLUE HEARTSのベースの河ちゃん(河口宏之、河口純之助)も後輩。音楽が盛んな高校でしたね」