ジョン・サイクスが死去した。

ジョン・サイクスが亡くなったことは、彼のFacebookページで昨日1月21日に発表された。Facebookの投稿によると、ジョンは癌との闘病の末に亡くなったとのこと。65歳だった。

ジョン・サイクスは1959年、英バークシャー州レディング生まれのギタリスト。14歳の時におじの影響でギターに興味を持ち、2年間ブルースの練習に励んだ。ランカシャー州ブラックプールに引っ越したのち、友人の誘いでストリートファイターというバンドに参加した。

ジョンはNWOBHMブームの最中、タイガース・オブ・パンタンに加入したものの1982年に脱退。ジョン・スローマンのバンド、バッドランズに一時参加したが、バンドはすぐに解散してしまった。

その後、タイガース・オブ・パンタンのプロデューサーであるクリス・タンガリーディスの伝手でシン・リジィのフィル・ライノットと出会い、名曲“Please Don’t Leave Me”を録音。さらにシン・リジィへ加入し、1983年のアルバム『Thunder And Lightning』を制作したものの解散してしまう。

翌1984年にはシン・リジィのツアーで出会ったホワイトスネイクに加入、『Slide It In』をリリースし、同作のアメリカでのヒットで成功を掴む。さらに名盤『Whitesnake (1987)』を1987年に発表、バンドの名声は頂点に達した。しかしボーカリストのデイヴィッド・カヴァデールとほかのメンバーの衝突が激しくなり、デイヴィッドはアルバムのリリース前にメンバー全員を解雇するに至る。

ホワイトスネイクをクビになったジョンは自身のバンド、ブルー・マーダーをベーシストのトニー・フランクリン、ドラマーのカーマイン・アピスとともに結成、1989年に1stアルバム『Blue Murder』を発表した。1993年に2ndアルバム『Nothin’ But Trouble』を完成させたが、1994年に解散した。

それに伴ってソロアーティストとしての活動を始め、1995年のデビューアルバム『Out Of My Tree』を皮切りに、『Loveland』(1997年)、『20th Century』(1997年)、『Nuclear Cowboy』(2000年)とソロ作を発表した。1996~2010年には再結成したシン・リジィで活動した一方、2011年にドリーム・シアターのマイク・ポートノイと新バンドを組んだが頓挫してしまう。また2013年には新たなソロアルバムを制作中だと報じられたが、延期の末に発表されなかった。その後ジョンは、2021年に“Dawning Of A Brand New Day”“Out Alive”“Out Alive”という3曲を発表している。

ギブソン・レスポール・カスタムを愛用し、情熱的なプレイでハードロックファンやギター小僧を魅了したジョン。ギタリストとしてだけではなく、作曲家としてホワイトスネイクのポップな魅力を引き出し、成功に導いた功績は非常に大きい。彼の早すぎる死は残念でならないが、遺されたレガシーに触れて追悼したい。