今から30年前の1996年前後、米シカゴでは実験的なロックやポップスに挑むアーティストやバンドが次々と現れ、日本でも〈シカゴ音響派〉として注目を集めるようになった。ドラッグ・シティやスリル・ジョッキーといったレーベルを中心に届けられた当時の作品群を振り返りながら、ライター村尾泰郎にシーンやポストロックに繋がる流れについて綴ってもらった。 *Mikiki編集部

★連載〈名盤アニバーサリー〉の記事一覧はこちら


 

刺激を与え合ったトータス、ガスター・デル・ソル、シー・アンド・ケイク

オルタナロックがアメリカのロックシーンを揺るがせた90年代前半。イギリスではマッシヴ・アタック『Protection』、ポーティスヘッド『Dummy』が1994年にリリースされて、ダブを取り入れたトリップホップが注目を集める。ドイツではオヴァル、マウス・オン・マーズなど実験的な電子音楽のユニットが1993~1994年にデビューして、ロック周辺で新しいサウンドが生まれていた。そんななか、1990年にシカゴで結成されたトータスが1994年にファーストアルバム『Tortoise』を発表した。

TORTOISE 『Tortoise』 Thrill Jockey(1994)

当時のトータスのメンバーは、ダグ・マッコームズ(ベース/ギター)、ジョン・ハーンドン(ドラムス/エレクトロニクス)、バンディ・K・ブラウン(ギター)、ジョン・マッケンタイア(ドラム/キーボード)、ダン・ビットニー(パーカッション)。ジャズの柔軟なアンサンブルを下敷きにしていることや全曲インストという点でも当時は珍しいサウンドだった。また、彼らがバンドというより音楽集団(コレクティブ)的な緩やかな繋がりを持っていたことも大きな特徴だ。シカゴはジャズの長い歴史を持つ街だが、ジャズミュージシャンがそうであるように、トータスのメンバーはバンドに拘束されず、メンバーそれぞれがトータスと並行して様々なバンドやユニットで自由に活動した。そうすることで、トータスをめぐるコミュニティは次第に広がっていった。そんななかで、トータス以上に実験色が強かったのがガスター・デル・ソルだ。

トータス以前、バンディ・K・ブラウンとジョン・マッケンタイアは、ケンタッキー州ルイヴィルでバストロというオルタナティヴなハードコアパンクバンドをやっていた。バンド解散後、シカゴ大学に進学したブラウンは、同じくシカゴ大で実験音楽を研究していた元バストロのデヴィッド・グラッブスとガスター・デル・ソルを結成。ロックにジャズや現代音楽を取り入れたファースト・アルバム『The Serpentine Similar』(1993年)にはマッケンタイアが参加した。しかし、ブラウンはアルバム発表後にバンドを脱退。ダグ・マッコームズとジョン・ハーンドンが始めたトータスにマッケンタイアと共に加入する。そして、『Tortoise』リリース後にまたしてもバンドを脱退。ジューン・オブ・44のダグ・シャリンらと新バンド、ディレクションズを結成した。

GASTR DEL SOL 『The Serpentine Similar』 TeenBeat(1993)

一方、マッケンタイアはトータスと並行して、ラウンジジャズを現代に甦らせたカクテルズのアーチャー・プレウィットや元シュリンプ・ボードのサム・プレコップらとシー・アンド・ケイクを結成。ファーストアルバム『The Sea And Cake』(1994年)を発表する。シー・アンド・ケイクはトータス同様にジャズからインスパイアされながらも、ボーカル/ギターのサム・プレコップのジェントルな歌声や洗練されたポップセンスが注目を集めた。

THE SEA AND CAKE 『The Sea And Cake』 Thrill Jockey(1994)

ちなみにシー・アンド・ケイクという不思議なバンド名は、ガスター・デル・ソルの曲名“The C In Cake”をマッケンタイアが“The Sea And Cake”と聞き間違えて覚えていたことに由来している。シカゴで生まれた3つのバンド、トータス、ガスター・デル・ソル、シー・アンド・ケイクはメンバーの交流もあって、それぞれに刺激を与え合っていた。そうしたシカゴのインディーシーンが大きく注目を集めることになったのが、トータスのセカンドアルバム『Millions Now Living Will Never Die』(1996年)が前作を超える高い評価を得たからだ。

TORTOISE 『Millions Now Living Will Never Die』 Thrill Jockey(1996)