中国のシンガーソングライター宋冬野(ソン・ドンイエ)の2013年作『安和橋北』(読み:アンフーチャオベイ)が、このたび国内盤LPで発売された。中国語で歌われるフォークミュージック=華語フォークを代表する傑作として、本国のほか近隣諸国においても高い評価を得たアルバムだ。
とはいえ、おそらく大半の人がこの記事を通して初めて宋冬野を知ることになるはず。だからこそ、華語フォークとの出会いの一枚としてぜひ『安和橋北』を聴いてほしい――そんな願いも込めて、アジア音楽に広く精通したライターの関俊行に本作を解説してもらった。 *Mikiki編集部
ビル・キャラハン、マーク・コズレックらにも通じる歌声
2025年5月28日、中国フォークの名作アルバム『安和橋北』が、ついに国内盤LPとしてリリースされた。
〈中国フォーク史上屈指のベストセラー〉とされる本作は、第1回魯迅文化賞や南方周末 文化オリジナル榜 年度音楽賞など、数々の権威ある賞を受賞。華語音楽シーンにおいて、シンガーソングライター・宋冬野の名を広く知らしめた2013年リリースの金字塔的アルバムである。
アルバムタイトルの『安和橋北』にある〈安和橋〉(現:安河橋)とは、宋冬野の祖母が半生を過ごし、彼自身もそこで成長した地名だ。1987年、高度経済成長期の北京で、共働きで喧嘩の絶えなかった両親のもとに生まれた宋冬野は、祖母の手で育てられた。印象的なアートワークに映っているのも、幼少期の宋冬野と、彼を抱く祖母・張先諾である。
教師や親から〈問題児〉と見なされていた学生時代の宋冬野は、3歳で北京市内へ引っ越した後も、トラブルがあるたびにひとりで安和橋へと足を運んでいたという。ギターを覚え、恋をし、青春時代を過ごした安和橋は、やがて北京の急速な都市化に吞み込まれ、祖母の家も姿を消した。
しかし、その後も祖母の家の前に立ち続けていた一本の古木に触発されて、宋冬野は本作を『安和橋北』と名付けた。
中国語を理解できない日本人リスナーも多いかもしれないが、『安和橋北』には、音だけで聴き手の想像力をかき立て、言葉にできない郷愁を呼び起こす、不思議な力がある。宋冬野の歌声は深く味わいがあり、決して熱量で押し切るタイプではない。むしろ、朴訥とした語り口のように感じられる瞬間すらある。
それでも、一度聴けばすぐに宋冬野とわかるほどの強い個性があり、その〈声〉の存在感には、USインディーシーンのシンガーソングライター、ビル・キャラハンや、元レッド・ハウス・ペインターズのマーク・コズレックといった、声そのものが抒情的な世界観を生み出すアーティストたちに通じるものがあると筆者は感じた。