Photo by ひさとまる
福岡を拠点に活動する3人組バンド、奏人心が2nd EP『風がゆく若色の街』をリリースした。高校生の頃に地元のテレビ局の特集やコンテストで注目を集めた彼ら。その後、初めてリリースしたレコーディング作品、『SEARCH感受YOUTH』は、オルナタティブロックやパンクから受けた影響と、青春真っ只中の勢いやジレンマを吐き出した衝動的な作品だった。それに対して今作は、前作のエッジを大切にしつつも、2人のソングライター/ボーカリストがいることの強みや、個性的なドラムフレーズをじっくり味わうことができる。そんな作品を引っ提げて、2025年10月1日(水)には下北沢THREEにて、初の東京でのライブ、しかもワンマンを控えている。福岡を沸かせたバンドがいよいよ全国に向けての一手を放つ直前。今の心境や新作に込めた想いとは。
私たちが全力を注ぎたいのは音楽。ちゃんと自分の足で立って行動しよう
――バンドとして初めてのレコーディング作品だったデビューEP、『SEARCH感受YOUTH』をリリースしてから約10カ月。振り返ってみてどんなことを思いますか?
永松有斗夢(ベース/ボーカル)「僕たちのライブを観終わったお客さんが物販でCDを買ってくれたり、CDを聴いてくださった方がライブ会場で感想を言ってくれたり、熱のある出会いやコミュニケーションがたくさん生まれて、すごく嬉しかったです」
山路あげは(ギター/ボーカル)「人と人との大切な出会いのきっかけになる音楽の力を、より強く実感することができました」
永松「そういう喜びもありつつ、バンドとしてはまだまだできたことがあったんじゃないかとも思いました。音も歌も曲も、荒削りな部分が多くて」
今橋一翔(ドラムス)「リリースして少し時間が経ってから聴いたときに、〈ドラム、下手くそやな〉って、めちゃくちゃ思いましたから(笑)。それでもよかったって言ってくれる人たちがいることは嬉しい反面、〈もっとやれるはずだ〉とも思っていましたね」
――前回のインタビューで、永松さんは「この先、20代、30代と、世界のこととか時代のこととか、いろんなことを思って作品を作っていくんだろうなと思います」とおっしゃっていました。これまでは、〈高校生バンド〉、〈まだ10代〉といった触れ込みで注目されることもよくあったと思いますが、そのタグが外れることについての心境を聞かせてください。
永松「そういう注目のされ方は、もともとあまり嬉しくなかったんですよね。やっとそれがなくなって、ここからが勝負だと思っています。3人とも大学を辞めましたし、覚悟が決まったという気持ちです」
――なぜ大学を辞めたのですか?
永松「通学のために早く起きて、授業に出て、スタジオに入って、ライブがある日はライブして、また学校に行く。そのサイクルがあまりしっくりこなかったんですよね。疲弊して自分がどんどんだらしなくなっていくような感じで。作る曲にもキレがなくなっていくような気がしていました。
やりたいことは音楽だから、そういう流れを断ち切るためには、ちゃんと自分を見つめなおして、フリーターとして自分でお金を稼ぎながら音楽と真摯に向き合うことが大切だと思ったんです」
今橋「僕はやりたいことがバンドなのははっきりしていたし、2人が辞めるなら辞めようと思いました」
――3人とも一気に辞めたんですか!?
山路「最初に〈辞めない?〉と有斗夢に言ったのは私で。将来のために親に学費を払ってもらって大学に通っているけど、すべての力を注いでやりたいことは音楽。そんな自分にギャップを感じている瞬間も、実家で親が作ったご飯を食べている。今やりたいことがあるなら、ちゃんと自分の足で立って行動することが大切だと思いました。
とは言え、迷いがなかったわけではないし、親の思いもあるから、大きな決断でしたね」