ブリジット・バルドーが亡くなった。
ブリジット・バルドーの死去はAFP通信が伝え、各報道機関が報じている。BBCによると、ブリジット・バルドー財団が彼女の死を発表、死因は明かされていない。91歳だった。
ブリジット・アン=マリー・バルドーは、フランスのパリで1934年に生まれた俳優でモデル、シンガー。裕福な資産家の家庭で育ち、両親から厳しい躾と教育を叩き込まれた。
幼少期は、ナチス・ドイツのパリ占領中にダンスに夢中になり、ダンスを習ったのち、パリ国立高等音楽・舞踊学校に入学してバレエを学んだ。雑誌「ELLE」を創刊したエレーヌ・ゴードン=ラザレフに見出されたブリジットは、15歳にして同誌の表紙に登場、マルク・アレグレ監督に映画のオーディションに誘われる。そこでロジェ・ヴァディムと出会って恋に落ち、1952年に結婚。
同年、「素晴らしき遺産」で映画デビューを果たし、主演作でヴァディムの初監督作「素直な悪女」がヒットしたことによって国際的な注目を集めた。その後も「バベット戦争へ行く」「気分を出してもう一度」といった作品で名声を獲得し、ルイ・マル監督の「私生活」「ビバ! マリア」、ヴァディムによる「戦士の休息」、ジャン=リュック・ゴダール監督の「侮辱」といった話題作に出演し、高い評価を得る。
1950年代からシンガーとしても活躍していたブリジットは、セルジュ・ゲンスブールとのデュエットソング“Bonnie And Clyde”などで話題を呼んだ。なお、ゲンスブールがジェーン・バーキンと歌った有名曲“Je T’aime... Moi Non Plus”は、もともとブリジットに頼まれて書いたものだがスキャンダルになり、当時の夫ギュンター・ザックスの怒りを買ってリリ-スが中止された逸話が残されている。
1973年のヴァディム監督作「ドンファン」を最後にブリジットは映画界から引退、動物愛護の活動に身を投じ、その後は音楽も介して動物の権利保護を生涯訴えつづけた。
2025年の秋には、体調不良で入院したと報じられており、その矢先の訃報だった。
四度の結婚、若い頃から抱えていた精神的な問題や依存症、度重なる差別発言で批判にさらされるなど、常識とされるものに反抗し、波乱万丈の人生を歩んできたブリジット。フランスを代表するファッションアイコンとして、ザ・ビートルズのジョン・レノンやポール・マッカートニー、ボブ・ディランに愛された音楽界のミューズとして、アンディ・ウォーホルに描かれたアートの象徴として、セックスシンボルとして……BB(ベベ)の愛称で親しまれた彼女は、まさに20世紀のカルチャーを代表する存在だった。最期まで自分自身であることを貫いたブリジットに敬意を表し、追悼したい。