昨2025年にデビュー50周年を迎え、復刻リリースが続いている山崎ハコ。1stアルバムと2ndアルバムをオリジナルマスターテープからリマスターした『飛・び・ま・す(デラックス・エディション)』と『綱渡り(デラックス・エディション)』、デビューライブの貴重な音源を収めた『1975 デビューライブ ~飛・び・ま・す』に続いて、1976年5月25日、2ndアルバムの発売日に東京・都市センターホールで開催されたライブの音源がこの度『1976 リリースライブ ~綱渡り』として初商品化される。
海外を中心に各種ストリーミングで再生数を大きく伸ばしている“ヘルプミー”や“さすらい”をはじめ、初期2作品の収録曲を中心に披露され、急速にファンが拡大した当時の熱狂や緊張感、戸惑いながらも懸命に言葉を吐き出す山崎ハコのMCも含めて完全収録。そこにはフォークからニューミュージックへと時代の移り変わりを体現する、新世代としての輝きを感じ取ることができるだろう。
現在も精力的に音楽活動を続ける山崎ハコだが、とりわけこの本人への取材では当時の話を聞きながらも〈いかに、今の自分に繋がっているか〉というアグレッシブでパッション溢れる会話となった。〈暗い〉という評価への向き合い方の移ろいや、不遇の時期の奮闘、近年高まる海外からの評価……本作だって、2026年の山崎ハコを構成する偉大な生き様の記録の一つである。覚悟をもって向き合いたい作品だ。
歌に魂を売っちゃった
――先日デビュー当時のインタビューを拝見したんですが、今と違ってとても寡黙な様子でした。
「自分からはあまり喋らなかったですね。多分、真面目に考え過ぎちゃっていたんだと思います。〈はい〉でも〈いいえ〉でもないんだよな、どうなんだろ……って」
――当時所属されていた事務所の指示によるキャラクターづくりだったともうかがったのですが。
「それもありましたね。歌のイメージが崩れるから、ペラペラ喋るな、人前で笑うなって言われましたね。ミステリアスな方が売れるだろうという狙いだったんだと思います」
――そのイメージに沿って振る舞うことの、息苦しさはありませんでしたか?
「その不自由さは、18歳でデビューできた喜びと引き換えだと思っていましたね。歌に魂を売っちゃった。人気者になって忙しくなりたいってわけじゃなくて、とにかくレコードを、自分の歌を聴いてほしかったので」
――1stアルバム『飛・び・ま・す』がリリースされたのは1975年。高校在学中の18歳でデビューとかなり早いですね。
「そうなんです。同じフォーク系の女性シンガーでも森山良子さんや、りりィさん、イルカさんはもちろん年上だし、中島みゆきさんは同年デビューなんですが、歳は5つ上なので、みなさん大先輩だと感じていました。でもデビューが早くてよかった。エレックレコードの波に乗らせてもらった、ほぼ最後尾のフォーク歌手だったと思います」
――ハコさんがデビューされたタイミングのエレックは吉田拓郎さんをはじめ、泉谷しげるさんや古井戸、海援隊のようなスターはすでに移籍後ですよね?
「そうなんですよ。看板イベントの〈唄の市〉に出られると思ってエレックに入ったのに、もうなかったし、『飛・び・ま・す』の準備中にテレビで記者会見が始まったら、フォーライフ・レコードの立ち上げを発表していて。〈あれ、泉谷さんもいなくなるの?〉って衝撃でした。小室(等)さんに、(吉田)拓郎さん、(井上)陽水さんもいるならフォーライフに行きたかったなーって(笑)」
――当時、エレック内で交流があったアーティストは?
「ケメさん(佐藤公彦)もすでにいなかったし、丸山圭子さんがいた時代のピピ&コットはギリギリかぶっています。あとは北炭生さん、まりちゃんズ……あ、あとずうとるび。彼らも当時高校生で年が近かったので、よく覚えています。そう振り返ったら、やっぱりエレックでよかった。50年経った今も、当時の音源を復刻して発表できるんですから」
苦しい時期を経て、いま海外で再評価
――2025年のデビュー50周年を期にポニーキャニオンから『飛・び・ま・す(デラックス・エディション)』が発売され、この度はその第4弾として2ndアルバム『綱渡り』発売記念公演の音源が『1976 リリースライブ ~綱渡り』として初商品化と怒涛のペースですね。
「昔の音源を今リリースすることはみなさんできるかもしれない。今回のライブ作品だって、50年前の歌です。でも今の私が、当時のこの写真を載せようか、こういう届け方にしようかとしっかり関われることが嬉しいんです」
――一連の作品はハコさん本人が監修、マスタリングにも参加されています。どのような気持ちで、当時の自分の歌と向き合いましたか?
「もう分けて考えていますね。50年前の私はもう〈あの子〉って感じ。世間から〈暗い〉と言われたり、『綱渡り』を出した直後にエレックが倒産しちゃったり。散々苦労している〈あの子〉の歌を、今の私がスタッフとなってもう一度聴いてもらうために頑張っている感覚です」
――私は後追いでハコさんの音楽を聴いたのですが、暗い印象をさほど抱きませんでした。
「その感想はありがたいです。自分でも全く思っていなくて。どちらかといえば暗いところから、だんだん昇っていくところを歌っているつもり。当時冗談のように言われていたのが〈現役で大学に合格した人はユーミンを聴く、そして浪人生は山崎ハコを聴く〉」
――(笑)。とりわけ挫折を味わった人に突き刺さる歌だったんですね。
「浪人生自体が多かったし、満たされていない気持ちを持て余してる時代だったんだと思います。80年代に入ると豊かになってきてたから、みんな楽しいことを求めて、音楽もだんだん明るくポップになっていく」
――フォークのムーブメントも落ち着いてきますが、80年代に入ってもハコさんはかなり精力的にアルバムをリリースされてきました。この時代もご苦労はありましたか?
「とっても(笑)。90年代がもっと厳しくて、1998年には事務所(IMADOKI)もなくなって、CDが出せなくなっちゃうんですから。でも何もないってことは自由だぞと気づいて。存在を忘れられないように、自分のCDをいっぱい買って、色んな人に名刺のように渡したりするようなことも10年以上やってましたね。そうすると生で観たくなっちゃって、ライブに来てくれるファンもたくさんできました」
――時代が進むにつれてハコさんの音楽が今、リアルタイム世代だけではなく、我々20~30代からも注目を集めていますよね。
「とっても嬉しいです。90年代に森田童子さんがドラマの『高校教師』でもう一回注目された時に〈次はハコさんですね〉って色んな人から言われたんですが、それから30年です(笑)。最近は海外の方も聴いてくれているようで、ライブにももれなくいらっしゃるんですよ」
――2023年にはスイスのWRWTFWWレコードから『飛・び・ま・す』と『綱渡り』のCDとLPがリリースされたり、コスタリカとアメリカで共同製作されたドキュメンタリー映画「サラリーマン」で“さすらい”が使われたり、むしろ海外の人気の方が高まっていますね。
「最初はドイツで聴かれたようで、そこからイギリスでイギー・ポップがBBCの自分のラジオ番組で“ヘルプミー”をかけたのがウケたようです」
長渕剛がライブを観て〈もう一度音楽をやろう〉と決意
――今回リリースされる1976年のライブ音源作品ですが、この公演のことは覚えていますか?
「もちろんです。本番前から会場の外で、入れなかった人たちが暴動を起こした音が聞こえてきたんです。東京では初めてのライブなのに、中止になっちゃうかもしれないと思ってドキドキしてました」
――会場の都市センターホールはキャパシティが1,000人以上にもかかわらず、チケットが即完だったそうですね。デビューしてたった7か月で、この人気ぶりはすごい。
「でも人気者になった実感というよりも、とにかく忙しかったという記憶しかない。当時のスケジュールを見返すと、ライブをやったあと、『パックインミュージック』のためにTBSラジオに入り、朝4時半に帰り、午前中に羽田空港に集合して札幌でライブ……とか。デビューして2年間くらいは休みがありませんでした」
――このライブ音源を聴いて、当時の自分の歌はどう感じましたか?
「自分の歌をちゃんと聴かせようとか、まだ何も考えられていない。でもただ歌うことが好きということは伝わってきますね」
――『飛・び・ま・す』と『綱渡り』の収録曲を中心に演奏されていますが、“刈干切唄”という民謡も披露されていますね。
「この曲は母が生まれた宮崎県の民謡で、お父さんが歌っていた歌なんです。だから父は母にゴマをするつもりだったのかな。そういう思いもかわいいじゃんって。だから親孝行のつもりで私も歌ってみようとしたんだと思います」
――オリジナル曲の“望郷”や“子守唄”をはじめ、民謡を感じる歌がたくさんありますが、ご自身のルーツにあるものなのでしょうか?
「民謡を取り入れようとしたわけではなく、大分県日田市の本当に田舎で育ったので。高校生で横浜に出てくるまでは、田植えや稲刈りが好きで、じいちゃんやばあちゃんに面倒見てもらって、山を走り回って、梅雨の時期は蜘蛛の糸が反射して虹色に光るのがきれいで……とか実際の経験を歌にすると自然と出てきてしまうんです」
――当時のフォークのシーンは関西と東京を中心に盛り上がっていましたが、ハコさんはスタイルこそフォークであれど、そのどちらの雰囲気とも違う異質さを感じていました。その由縁は故郷・九州が背景にあるからかもしれませんね。
「そうですね。九州といえど、福岡で有名なライブハウスの〈照和〉が盛り上がっていた時期よりも少し後なので、どのシーンにもいなかった」
――確かに海援隊とかチューリップが照和を拠点に活動していたのは70年代初頭です。
「でも照和にはデビュー間もない頃、一度だけ呼ばれて出たことがあります。それを長渕剛さんが観ていたと後で知りました。音楽をやめて鹿児島に帰ろうとした途中、福岡の照和に寄り、最後にライブを聴いていこうとしたそうで。しかし、ライブを聴いているうちに、もう一度音楽をやろうと思った。ということが本に書かれていて……。最後の一行に〈その時歌っていたのが山崎ハコだった。〉と」
――すごい話だ……。
「私はそのことを知らなかったのですが、長渕さんの本に出ているよと人に教えられました。たった1回の照和でのライブを長渕さんが聴いてくださって、音楽をやめるのに待った!をかけたんだとしたら、鳥肌ものです。音楽が奇跡を呼んだのですね」
自分の制作スタイルを確立した『綱渡り』
――『飛・び・ま・す』から『綱渡り』はわずか7ヶ月のスパンで発表されていますが、作品の方向性としてはそれぞれどのような狙いがありましたか?
「方向性というより、どちらもデビュー前の16~17歳の時に作った曲がほとんどで。その中から10曲選んで『飛・び・ま・す』を作って、漏れた曲を『綱渡り』に入れました。あ、でも“綱渡り”と“ヘルプミー”はデビュー後に作っていますね。歌手としてやっていけるか不安で、大変な状況になっちゃったって思いが表れています」
――ソングライティングとしては地続きですが、今回リマスタリングされたもので聴き比べると、サウンドの変化をより如実に感じられました。『綱渡り』ではアレンジがより洗練され、ギターの音がとにかく鮮やか。
「仰る通り『綱渡り』からレコーディングのやり方を変えて、ライブと同じように一発録音でやったんです。ミュージシャンがそれぞれブースに入るんじゃなくて、一つの部屋でせーので始める。『飛・び・ま・す』を作った時、一人で歌うのがとにかく嫌でした。全員で臨場感たっぷりにやる方が絶対相乗効果が生まれるじゃないですか。実際、歌が圧倒的によくなって、以降は全ての作品を同時録音で作るようになりました」
――手探りだった『飛・び・ま・す』を経て、ご自身の制作スタイルが確立できたのが『綱渡り』ということですね。
「確かに、今思えば『飛・び・ま・す』はちょっと歌謡曲っぽい曲とか、しっかりコーラスアレンジがついていたり、まだお上品な感じがしますね」
――でもこれらの初期作品の楽曲をハコさんは今もライブでよく披露されていますよね。キーも変えず、オリジナルのメロディやアレンジを大事にしている印象です。
「まだいけますね。この頃の歌を今歌う時は、もう18歳の頃には戻れないけど〈あの子〉がこっち(現在)にワープして、私に降りてきてもらう感覚なんです。〈まだまだライブでやるから、こっちに来て力を貸してね。そしたら声出るから〉って。当時に戻ろうとするんじゃない。あっちを呼んで、同化すれば歌える。これが不思議な感覚で面白いんです」
素のままの山崎ハコが一番面白い
――今日のお話を通じて、ハコさんはその時々のご自身を対象化しつつ、対峙することをエネルギーにして今も歌っていらっしゃるように感じました。
「そうですね。常に18歳だった自分が私のことを見ているから、その子にOKを出してもらいたい。当時の夢だった〈ずっと歌っていたい〉という想いを叶えるために、今も歌っている。歌詞も歌い方もできるだけ変えず、ずっと伝え続けていくから任せてねという思いです。それで今のハコと18歳のハコの思いがミックスされて、すごい歌になったら最高」
――デビュー50周年を超え、今後どんな歌手でありたいというビジョンはありますか?
「〈暗い〉とか、〈こういう曲は売れない〉とか言われると、どうしても自信がなくなったり、方向性を変えた方がいいのかなと思ったりしたこともありました。でももうそこは考えずに、素のままの山崎ハコが一番面白い。そう信じながら全力で音楽をやろうと自分に言い聞かせ続けたいですね。だからもう今は暗いって言われても、〈はい、それがハコです。覚悟して聴いてください〉って言えるようになりました。こっちだって覚悟して歌っているので(笑)」
――そのブレない覚悟ができたのはいつ頃ですか?
「90年代初頭に、渡辺えりさんがやっている〈劇団3○○〉の公演の劇中で、私の“望郷”を使っているから観に来てほしいと誘っていただいたんです。そのシーンは何にもセリフがない中で“望郷”が流れて、数人がバーカウンターで飲んでいるだけ。なのにお客さんが徐々に泣き出してくるんです。
その時、取材に来た記者さんがえりさんに〈あの暗いハコさんが出ているのは、どういう狙いですか?〉って質問したら、〈そこがいいんでしょ! お客さんを泣かせるってどれだけ大変なことか知っているのか!〉ってとっても怒ってくれて。その時に〈これは私が言わなきゃいけなかったんだ〉と思ったんです。まず自分が自分の最大の味方にならないと。そこから〈暗いですか? そういう曲、他にもいっぱいありますよ。今のハコもいいですよ〉って言うようになりました」
――長いキャリアの中で、自信をもって「今もいい」と言えるのは本当に素晴らしいですね。
「知らない人が私の人生を見たら、不遇の歌手と思うかもしれない。でも、これで良いんです。何があっても一生歌い続けます」
RELEASE INFORMATION
リリース日:2026年9月30日(水)
品番:PCCA-06553
仕様:CD 2枚組
価格:3,850円(税込)
TRACKLIST
Disc 1:コンサート1部
1. 飛びます
2. 望郷
3. 橋向こうの家
4. かざぐるま
5. 二日酔
6. トーク
7. 刈干切唄
8. 綱渡り
9. ひとり唄
10.ひまわり
Disc 2:コンサート2部+アンコール
1. 気分を変えて
2. さすらい
3. ハーモニカ吹きの男
4. ヘルプミー
5. 向かい風
6. サヨナラの鐘
7. 誕生祝い
8. 歌いたいの(アンコール)
9. 子守唄(アンコール)
■参加ミュージシャン
山崎ハコ:ボーカル/アコースティックギター
笛吹利明:アコースティックギター
信田かずお:キーボード
見砂和照:ドラム
Unknown:ベース
Unknown:エレクトリックギター
■特典
〈CLASS OF ’76 スマホサイズステッカー〉
音楽評論家・田家秀樹氏がパーソナリティを務める、日本の音楽の礎となったアーティストに毎月1組ずつスポットを当て、本人や当時の関係者から深く掘り下げた話を引き出すFM COCOLOのラジオ番組「J-POP LEGEND CAFE」とタワーレコードによるコラボキャンペーン〈Birth of Legends -CLASS OF ’76-〉が開催。期間中、対象商品を御購入いただくと先着で〈スマホサイズステッカー〉をプレゼントします。
開催期間:2026年9月4日(金)~2026年12月31日(木)
対象店舗:梅田NU茶屋町店/渋谷店/新宿店/タワーレコード オンライン
詳細:https://tower.jp/article/feature_item/2026/08/31/0711
リリース日:2026年7月8日(水)
品番:PCCA-06510
仕様:CD 2枚組
価格:3,850円(税込)
TRACKLIST
Disc 1:コンサート1部
1. 望郷
2. 橋向こうの家
3. ハーモニカ吹きの男
4. 竹とんぼ
5. かざぐるま
6. ひまわり
7. 子守唄
Disc 2:コンサート2部
1. さすらい
2. 気分を変えて
3. 影が見えない
4. 街
5. サヨナラの鐘
6. 飛びます
7. 気分を変えて(アンコール)
■参加ミュージシャン
山崎ハコ:ボーカル/アコースティックギター
佐藤準:キーボード
竹中尚人:エレクトリックギター/アコースティックギター
笛吹利明:アコースティックギター
千代谷晃:ベース
岡井大二:ドラム
リリース日:2026年2月18日(水)
品番:PCCA-50341
仕様:UHQCD 2枚組
価格:3,850円(税込)
TRACKLIST
Disc 1
1. 向かい風
2. 白い花
3. ひまわり
4. 天井
5. ヘルプミー
6. ひとり唄
7. ハーモニカ吹きの男
8. 綱渡り
9. 歌いたいの
10. 誕生祝い
Disc 2
※1~7は1976年10月8日 新宿ロフト オープンセレモニーでの未発表ライブ音源より
1. 歌いたいの(1976/10/8 新宿ロフト)
2. 望郷歌(1976/10/8 新宿ロフト)
3. ハーモニカ吹きの男(1976/10/8 新宿ロフト)
4. 天井(1976/10/8 新宿ロフト)
5. ひとり唄(1976/10/8 新宿ロフト)
6. 綱渡り(1976/10/8 新宿ロフト)
7. ひまわり(1976/10/8 新宿ロフト)
※8~9は2001年発売CD『飛びます・・・17歳』1974年録音デモ音源より
8. 許されざる恋(1974 demo)
9. 捨てた友達(1974 demo)
■特典
〈CLASS OF ’76 スマホサイズステッカー〉
リリース日:2025年12月24日(水)
品番:PCCA-50340
仕様:UHQCD 2枚組
価格:3,850円(税込)
TRACKLIST
Disc 1
1. 望郷
2. さすらい
3. かざぐるま
4. 橋向こうの家
5. サヨナラの鐘
6. 竹とんぼ
7. 影が見えない
8. 気分を変えて
9. 飛びます
10. 子守唄
Disc 2
※1~2は2001年発売CD『飛びます・・・17歳』1974年録音デモ音源より
1. 飛びます(1974 デモ)
2. 男と女の部屋(1974 デモ)
※3~10は1976年10月8日 新宿ロフト オープンセレモニーでの未発表ライブ音源より
3. ききょうの花(1976/10/8 新宿ロフト)
4. 街(1976/10/8 新宿ロフト) *未発表曲
5. さすらい(1976/10/8 新宿ロフト)
6. 帰ってこい(1976/10/8 新宿ロフト)
7. 気分をかえて(1976/10/8 新宿ロフト)
8. にぎりこぶし(1976/10/8 新宿ロフト)
9. サヨナラの鐘(1976/10/8 新宿ロフト)
10. 飛びます(1976/10/8 新宿ロフト)
LIVE INFORMATION
山崎ハコ ライブ2026 ―これが縁(EN)―
2026年10月11日(日)福岡・電気ビルみらいホール
開場/開演:16:00/16:30
ゲスト:木村充揮
全席指定:7,000円(税込) ※未就学児入場不可
お問合せ:BEA
TEL:092-712-4221
オフィシャルサイト:https://www.bea-net.com
2026年10月17日(土)大阪・梅田Banana Hall
開場/開演:16:30/17:00
ゲスト:木村充揮
全席指定:7,000円(税込)ドリンク代別 ※未就学児入場不可
お問合せ:サウンドクリエーター
TEL:06-6357-4400
オフィシャルサイト:https://www.sound-c.co.jp
2026年11月3日(火・祝)神奈川・浜ランドマークホール
開場/開演:16:00/16:30
ゲスト:ピーター・池畑新之介
全席指定:7,000円(税込)別途1ドリンク代600円(現金のみ) ※未就学児入場不可
お問合せ:KMミュージック
TEL:045-201-9999
オフィシャルサイト:http://www.kmmusic.co.jp
PROFILE: 山崎ハコ
1957年5月18日 大分県日田市生まれ。AB型。牡牛座。
1975年、アルバム『飛・び・ま・す』でデビュー。そのパワフルな歌唱力と社会の底辺から世界を見つめるような歌詞で一躍話題を集めた。
1981年には東映映画「青春の門」の映画音楽を担当。そのイメージソング“織江の唄”がヒット。
2012年に発表したアルバム『縁-えにし-』は、〈第54回輝く!日本レコード大賞〉で〈優秀アルバム賞〉を受賞した。
俳優としては2010年「ヘヴンズ ストーリー」で第25回高崎映画祭・最優秀助演女優賞を受賞。その後「脳男」「グラスホッパー」「64」「雪子さんの足音」「花腐し」に出演。
2016年にアルバム『私のうた』、2018年に『横浜から 阿久悠未発表作品集』をリリース。
2024年10月にデビュー50周年を迎え、芝居・映画等に書き下ろした楽曲にカバー曲を織り交ぜた50周年記念アルバム『元気かい』をリリース。記念のライブツアーを全国で開催。映画「POCA PON ポカポン」に出演。精力的に活動をつづけている。
50周年リリース特設サイト:https://hakoyamasaki-50th.ponycanyon.co.jp/



