デイヴィッド・フォスターの秘蔵っ子、満を持してデビュー!
1920年代から30年代にかけてのカンザス・シティ。この街では、禁酒法時代だったにもかかわらず、非合法のナイトクラブが栄え、カンザス・シティ・ジャズが花開いた。ブレナ・ウィテカーは、単にカンザス・シティ出身というだけでなく、当時のこの街のイメージを纏っている新人歌手だ。そこで僕は取材の場に30年代のこの街を舞台としたロバート・アルトマン監督の『カンザス・シティ』(1996年)のサントラを持参したが、ブレナは目ざとく見つけて話し始めた。
「この映画は、18歳の時に観ました。カンザス・シティは、私の人格の土台を形成してくれた場所。とりわけこの当時のカンザス・シティの音楽から大きな影響を受けています。カウント・ベイシー、レスター・ヤング、ベッシー・スミス、チャーリー・パーカー……『カンザス・シティ』のサントラには彼らに関する音楽が詰め込まれているから、もちろん大好き」
父親は教師でアマチュア・ドラマー、母親はプロの舞台歌手。こんな両親を持つブレナは、物心がついた時から音楽が好きだったそうだが、11歳の時にプレゼントされたCDが彼女の人生を決定づけた。ペギー・リーやナンシー・ウィルソンなどキャピトル・レコードの女性歌手の音源を集めたコンピレーションだ。
「そのCDをきっかけに昔の歌手やスタンダードを聴くようになり、やがてルース・ブラウンやエタ・ジェイムスなどのジャンプ・ブルース~R&Bに夢中になった。あの当時の音楽特有のゴージャスな雰囲気やエンターテインメント性に惹かれて、それで私も母と同じように舞台で歌いたいと思うようになりました」
『ブレナ・ウィテカー』は40~60年代のR&Bやポピュラー・ソングが主体で、しかも当時のハリウッド映画のごとく華やかに幕を開ける。そしてジャケット写真や舞台でのブレナは、往年のハリウッド女優のイメージを体現している。ところが、「私は米中西部のカントリー・ガール。ミズーリ州の自然や気さくな人たちに囲まれて育ったから、最初はロサンゼルスには馴染めなかった」と語る。カンザス・シティを浅草になぞなえるなら、ブレナの実像は、素朴で気っ風がいい浅草っ子。一方、歌手としての彼女は、グラマラスなハリウッドスターというキャラクターをある程度演じている、と言っていいだろう。
「ええ、その意識は強い。ただし、このキャラクターも、私の一部。私を形成している5つのパーソナリティのうちの一つといった感じかな。女優業にも興味はあるけど、自分の意志でなろうと思わない。それより私はシャーリー・バッシーが好きでもあるから、いつか自分も『007』シリーズの主題歌を歌いたいわ(笑)」