作りたい世界に必要な音を、その都度聴き漁って作る
――きくおさんは『第二幕』を制作するにあたって心がけた部分はありますか?
きくお「『第二幕』では『第一幕』に比べて音の数をかなり減らしてるんですよね。それは何故かというと、花たんが弱く歌う部分をちゃんと聴かせたいという狙いがあって。例えば“不幸屋の娘”のAメロの部分は、声の裏で鳴ってるのがピアノ一台だけなんですよ。でもそこに花たんの歌が乗ると良い感じに聴こえるので、歌がいちばん良く聴こえる形で音を配置する気持ちではありました」
――きくおさんは例えばAsian melancholic名義でアンビエント風の音楽を作られていたり、さまざまな作風をお持ちですが、きくおはなの場合はやはり花たんさんの声を中心に制作するのですか。
きくお「そうですね。花たんの声がいちばん上手く鳴るように作って、その上でいろんな花たんの歌い方を探りたいという思いがあって。だから本当に花たんの歌ありきで作ってます」
――今作はサウンド的には、いわゆるメルヘンチックな音がベースにありつつ、例えば“わたしどのわたし”ではオウテカを彷彿とさせるエレクトロニカ/IDM系のビートがカットインしてきたり、“破裂破裂破裂”はルンバっぽいパーカッシヴなリズムから始まっていつのまにかエピック・トランスになってたりと、とにかく音のヴァラエティーとカオス度が凄まじいですよね。相当音楽を聴き込まれている印象を受けたのですが、どういった音楽からインスパイアを受けてきたのでしょうか?
きくお「音のルーツについてはよく訊かれるんですが、ひと言で言ってしまうと自分の音楽にはないんですよ。まず自分が表現したい世界があって、それを表現するために技術を身に着けるという単純な話で。例えばオーケストラ的な表現だったりブレイクビーツ的な要素が必要な場合は、そういった曲を聴き漁って作る。それを何千曲とやっていまに至るので、聴いてる量というより作ってる量の蓄積でカオスな状態になってるんだと思います(笑)。自分の音楽の趣味と自分の作る音楽というのは全然関係なくて」
――なるほど。ちなみに制作は基本打ち込みですか?
きくお「全部打ち込みです。DTM歴は中2の頃から始めたので、大体13~4年くらいになりますね」
――アコーディオンの音など生演奏っぽい部分も相当ありますが、あれもサンプリングではなく打ち込みなんですか?
きくお「はい。生で弾いてるっぽくするためのギミックをたくさん仕込む謎の努力をしてます(笑)。“アイされヒビわれカガミのうた”はピアノを高速で弾いているような部分がありますけど、最後のほうでわざともたつかせてるんですよ。それで生演奏感を出してたりして」
――あれが全部打ち込みとは、ちょっとビックリですね。
きくお「それとすごく細かいので何度か聴いてもわからないと思うんですけど、演奏してる人たちの息遣いみたいなものもほんのり入れてます。口に近い楽器を演奏するときの演者の呼吸音とか、本当のレコーディングではありえませんがオーケストラの人たちの楽譜をめくる音とか(笑)」
――そんなのわからないですよ(笑)!
きくお「そういうのを意識に上らない程度に入れて、生々しさとか臨場感みたいなものを演出しようとはしています。まさかそこまでやらないだろうというところをやろうと思って(笑)」
――なんかお話を聞けば聞くほど、恐ろしいものを感じますが(笑)。あと特徴的なのが、南米音楽のリズム感を採り入れた曲も多いですよね。“そこにはまた迷宮”ではパンデイロの音が鳴ってますし。
きくお「そうですね。あの曲ではサビでサンバの打楽器をいっぱい持ってきてますし、途中のピアノでもサンバやブラジル・ミュージックでは定番のフレーズを入れています。でも、そういうリズムを使いながらも、表面上はそれとわからないように工夫しているんです」
――そうなんですよね。そこだけフォーカスして聴くとわかるけども、全体として聴くと独特のカオティックなものとして聴こえるという。そこは素直にすごいと思いますし、ちょっとほかでは聴いたことのないオリジナルな音楽になっていますよね。
きくお「そう言っていただけるのはありがたいですね。聴いたことのないものを聴かせたいというのはすごくありますから。それはもちろん歌にしてもそうですし」
――確かに、きくおさんの作る音楽はあまりにも独創的なので、ともすれば歌が埋もれてしまう可能性もあると思うのですが、花たんさんの歌は埋もれるどころかその不思議な世界観をリードしてますよね。
花たん「そう聴いていただけるのなら、もう満足です(笑)。きくおさんの横に並んで歌うのが永遠の課題ですから」