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ロッキンに出たい一心からInstagram経由で結成

――Maverick Momはどのようにして集まった4人なのでしょう?

南出「発端は僕なんですけど、2022年が始まってすぐ、ROCK IN JAPAN FESTIVALの出演をかけたオーディションの予選が北陸でもあることを知って。〈ロッキン、出たいな〉と思ったんです。

それでSNS、主にInstagramなんですけど、〈弾いてみた〉系の動画を上げていた3人を見つけて、声をかけました。2022年の4月に初顔合わせをしたんですけど、その時は僕以外の3人は初対面で」

――身近な友達よりは、SNSを通して探す方が自然なことでしたか?

南出「僕も友達とコピバンをやったりはしていたんですけど、オーディションの出場条件の中に〈オリジナル曲があること〉というのがあって、自分の周りには一緒にオリジナル曲をやってくれそうな人がいなかったんです。そうなると、友達の中から探すとメンバーは集まらないなと思って。それよりも、音楽が好きでのめり込んでいる人を探したいなと思いました。

この3人に声をかけた時、あまりにもそれぞれの好きな音楽性やジャンルが違うなと思ったんですよ。それでも〈どうにか一緒にできないか?〉と思って、メンバー同士の言い合いを避けるために、〈いろんなジャンルの曲をやるバンドをやろう〉と言って誘った記憶がありますね(笑)」

――確かに、最初に上げてもらった影響源もバラバラですもんね。

南出「僕のイメージですけど、バンドってボーカルだけが目立ってしまう場合も多いと思うんですけど、僕らは一人ひとりパフォーマンス以外の面でのキャラクターが出来上がっているから、他のバンドに比べても全員に目がいくバンドだと思うし、そういう面では他にあまりないタイプのバンドなのかなと思います」

――南出さんとしては、バラバラの3人に声をかける決定打となったものはあるんですか?

南出「出会い方とタイミングですね。僕は人との縁を大事にしたいなと思っていて。この3人は全員、タイミングがよかったんです」

――中野さんとSwitch ONさんは、南出さんに声をかけられた時、どんな気持ちでした?

中野「まあ、悪い気はしないですよね」

――(笑)。

ON「僕は〈暇つぶしにやってみるか〉くらいの感じでしたね。ロッキンの話はバンドを組んだあとに聞かされた気がするんですけど、〈無理だと思うけど、まあ、いけんじゃない?〉くらいの雰囲気。僕は僕で吹奏楽部をやっていたから、〈ぼちぼちやっていければいいかな」って、組んだ当時は遊び程度に思ってました」

南出「たしか、ロッキンの話を3人にしたのは練習スタジオに入って1回目か2回目くらいの時なんですよ。感触がよかったから、その話をした気がします」

――中野さんとONさんは、Maverick Momとしてのバンド活動に最初に手応えを感じた瞬間はいつですか?

中野「結果的にロッキンに出ることができて、それが終わってしばらくした頃に、〈あ、俺たち上手いな〉と急に思いました」

――急に(笑)。

中野「そういうタイミングって急にあるんですよ。みんなで合わせている時に、〈あ、上手いな、俺ら〉と思う時がたまにある。そんな感じですね、僕は」

――ONさんは?

ON「ロッキン出演が決まった時かなあ。〈絶対に無理だ〉と思っていたんですよ。でもロッキンに出れたということは、〈俺たち相当上手いのかな〉って」

 

ロックをやる予定はなかった

――ONさんはお父さんもミュージシャンで、吹奏楽部にも入られていたということですけど、音楽はずっと身近にあるものでしたか?

ON「そうですね。でも、バンドをやる予定は全然なかったです。中学から吹奏楽部に入っていたので、吹奏楽オタクというか、クラシックをやっていたんですけど、高校に入ってジャズやフュージョンにハマり、そこからポップスに行った感じで。このバンドがなかったら音楽は自分ひとりでやっていたかなと思います。そもそもバンドは視野になかったし、ロックをやる予定もなかったから」

――ハマったジャズやフュージョンというのは?

ON「イギリスのジェイコブ・コリアーという方を見つけて、バーッ!となって。それからスナーキー・パピーというバンドに出会って。その2組には死ぬほど影響を受けましたね」

――ジェイコブ・コリアーに出会ってバーッ!となったという、その〈バーッ!〉の部分が知りたいですね(笑)。

ON「(笑)。……最初はYouTubeでライブ映像を見たんですけど、〈こんなパフォーマンスがあるんだ!〉と思って。楽器の使い方にも驚いたし、新しい音楽に出会った感覚があって」