稲垣次郎が亡くなったことを、息子の稲垣雅之がソウルメディアコーポレーションのFacebookページで発表した。

稲垣次郎は2024年1月18日、肺炎で死去。90歳だった。

稲垣次郎(本名:稲垣幸雄)は1933年、東京生まれのサクソフォニスト/プロデューサー。高校時代からプロのサックス奏者として活躍、ハナ肇とキューバン・キャッツ(のちのハナ肇とクレージーキャッツ)の結成メンバーでもあり、フランキー堺とシティ・スリッカーズやジョージ川口とビッグフォーでも演奏した。

62年には稲垣次郎クインテットを、69年には稲垣次郎とソウル・メディアを結成した。稲垣次郎とソウル・メディアとしては『ヘッド・ロック』(70年)、『イン・ザ・グルーヴ』(73年)、『ファンキー・スタッフ』(75年)といったジャズロック/ジャズファンク系の代表作をリリース。そのほか、ラウンジ/ソフトロック系の稲垣次郎とオール・スターズや稲垣次郎とリズム・マシーンなど多数の名義・バンドで作品を残しており、スティーヴ・マーカスとの共演作『サムシング』(71年)も発表している。

70年代以降はピンク・レディー、西城秀樹、沢田研二、大滝詠一といったアーティストのコンサートのバックバンドやレコーディングで演奏し、多忙を極めた。さらにスティーヴィー・ワンダーやスタイリスティックス、テンプテーションズ、フランク・シナトラ、シャーデーの来日公演にも参加するなど、演奏家として幅広い活躍をした。

2000~2010年代には、70年代の作品が和ジャズ、和モノやレアグルーヴとして国内外で再評価されていき、CD化やアナログレコードの再発、配信などが加速していく。そして2023年には、68~80年の黄金期を網羅したコンピレーションアルバム『WaJazz Legends: Jiro Inagaki - Selected by Yusuke Ogawa (Universounds)』が生誕90周年記念作品としてリリースされたばかりだった。

上記のFacebookページの投稿には、〈晩年は1970年代のアルバムが国内外で再評価され 本人は「なんで今?」と戸惑いながらも大変喜んでおりました〉とある。稲垣はこの世を去ったが、近年の再評価もあいまって、遺されたレコードは国内外のリスナーにこれからも聴かれつづけるだろう。和ジャズレジェンドの冥福を祈る。