ディッキー・ベッツが死去した。80歳だった。

ディッキー・ベッツの公式Instagramを通じて遺族は、〈フォレスト・リチャード・‘ディッキー’・ベッツ(1943年12月12日 - 2024年4月18日)が80歳で安らかに逝去したことを、深い悲しみと心痛とともにお知らせします〉と声明を発表。亡くなった際の状況については、〈フロリダ州オスプレーの自宅にて家族に囲まれながら亡くなりました。ディッキーは偉大な存在であり、その喪失感は世界中で感じられることでしょう〉と綴られている。

米ローリング・ストーンによれば、ベッツは現地時間4月18日の朝に息を引き取ったそうで、死因は癌と慢性閉塞性肺疾患であったとマネージャーであるデイヴィッド・スペロが認めている。

ディッキー・ベッツは、ベーシストのベリー・オークリーとともにフロリダ州ジャクソンビルにてセカンド・カミングとして活動している最中、69年にデュアン・オールマンと出会う。その後、デュアンの弟グレッグも加えてオールマン・ブラザーズ・バンドを結成する。

ジョージア州メイコンに拠点を移したバンドは、デビュー作『The Allman Brothers Band』(69年)、2ndアルバム『Idlewild South』(70年)をリリース。ベッツはメインソングライターとして活躍し、“Revival”“In Memory Of Elizabeth Reed”などの名曲を手がけた。

バンドはニューヨークのフィルモア・イーストでの公演を編集したライブアルバム『At Fillmore East』(71年)で高い評価を得て、サザンロックを代表するバンドとして活躍。同作は米ローリング・ストーンが発表した〈オールタイム・グレイテスト・ライブ・アルバム50〉において2位にランクイン。卓越したインプロビゼーションの数々や個人個人の名プレイが収録された同作は、今なお彼らの代表作として語られている。

しかし『At Fillmore East』のリリースから3ヶ月後、デュアンがバイク事故により他界。バンドの存続が危ぶまれる状況だったが、ベッツが中心的な存在を担い、3rdアルバム『Eat A Peach』(72年)を完成させる。デュアンと生前レコーディングしていた“Blue Sky”などを収録した同作は、Billboard 200にて初のトップ10入りを果たすなどバンドの再起を確信させる作品となった。

その後もベッツは“Ramblin’ Man”“Jessica”(ともに73年作『Brothers And Sisters』)といったヒットナンバーを生み出すが、バンドは76年に解散。ベッツはディッキー・ベッツ&グレイト・サザンとして活動を続ける。

解散から2年後、78年にオールマン・ブラザーズ・バンドは再結成し、『Enlightened Rouges』(78年)、『Brothers Of The Road』(81年)と2枚のスタジオアルバムをリリースするも82年に再度解散してしまう。

89年、ベッツはオールマン・ブラザーズ・バンドの2度目の再結成に参加。アルバム『Seven Turns』(90年)、『Where It All Begins』(94年)を発表したのち、バンドは95年にロックの殿堂入りを果たした。

バンドは幾度となくメンバーチェンジを繰り返し、ベッツは2000年にバンドから離脱。以降は、ディッキー・ベッツ・バンド、ディッキー・ベッツ&グレイト・サザンを率いて第一線で活躍し続けた。

スライドギターの名手としても知られ、カントリー、プログレ、ジャズといった様々な要素をサザンロックに組み込んだ偉人として、その名は今後も語り継がれていくことだろう。