フレーム・ドラムは嘘をつかない タンバリンの魅力と不思議

 タンバリン(タンブリン)にまつわる記憶は人それぞれだ。ぼくが最初に出会ったのは幼稚園のとき、音楽の時間だったか、運動会だったか、楽器というより、誰でも気軽に叩ける道具としてだった。

 そのタンバリンが突然ロック系の音楽で脚光を浴びたのは60年代中期のことだ。ボブ・ディランが作り、ザ・バーズが取り上げた“Mr. Tambourine Man”が全米1位を記録。追ってイギリスのバンドがタンバリンを使い、日本のグループ・サウンズもそれに倣った。しかしその現象は長続きしなかった。70年にはもう内田裕也が〈リード・タンバリン〉という自己韜晦的な紹介で笑いを誘うようになっていた。

 あらためて風向きが変わりはじめたのは、80年代後半にハウス/テクノ系のダンス・ミュージックやワールド・ミュージックが注目されてからだ。前者では、メロディや和音以上にリズムが重視され、打楽器類全般に追い風が吹いた。また、後者では、ブラジルのサンバやイタリアのタランテッラや沖縄のエイサーのように、タンバリン系の楽器が主役の音楽が数多く紹介された。

田島 隆 『Percussion Magazine Presents 世界を巡るタンバリン100~The Tambourine Book~』 リットーミュージック(2024)

 この本に集められたのは、主に後者のタンバリンの数々だ。椅子にしか見えないものから現代彫刻のような創作楽器まで、工芸品のような写真に目を奪われる。焼きたてのパンやケーキに見えるものもあれば、古代の宗教儀式や治療の道具としての歴史を想像させる毛皮ぐるみのものもある。そういえば、サイケな幻想を誘う“Mr. Tambourine Man”のモデルは聴衆に天国での救済を約束する街角の説教師という説もある。

 手指の使い方ひとつで複雑かつ繊細なリズムを刻めるタンバリン。アラブ古典音楽で使われるレクなどまさにその典型で、だからこそ奥が深く、極めるのが難しい。日本ではタンバリンと言えば、いまも脇役扱いされがちだが、この美しい本にひかれて、叩こうと思う人が出てくるのではないだろうか。音楽の成り立ちについて発想の転換をうながすきっかけになる本でもあると思う。