
リナ・サワヤマやビーバドゥビーを筆頭に、決して鳴り物入りではなく、クリエイティヴィティーを大切にしながら、じっくりとキャリアを積み重ねていく――筆者にとってダーティ・ヒットのアーティストにはそんなイメージがある。ここで紹介するサヤ・グレーもその例外ではない。カナダと日本にルーツを持つ彼女は、マルチ・インストゥルメンタリストとしてダニエル・シーザーのサポート・ベーシストなどで活動したのち、2022年には、ベッドルームの鬱屈を吐き出したスケッチ集と呼びたくなる作品『19 MASTERS』を発表。自身のPCとiPhoneを駆使して制作されたこのアルバムは高い評価を受けた。その後、2023年から24年にかけて、より実験的なEP『QWERTY』および『QWERTY II』をリリースし、創作に腰を据えて向き合う姿勢を見せている。
そんな期間を経て発表されるファースト・アルバム『SAYA』は、目まぐるしく変化するヴォーカルと卓越したメロディー・センスに焦点を当てた、ソング・オリエンテッドな仕上がりになっている。彼女はこの変化について、「アイデアやフィーリングのコラージュではなく、ソングライター・アルバムを作ってみたかった。ひとつの作品を通してストーリーを語るようなアルバムをね」と振り返る。ミニ・サイズのフェンダーを携え、京都、東京、カリフォルニアへの2か月間の旅のなかで書き溜めた楽曲をもとに、地元トロントで録音を敢行した。「壁にペンキを投げるような方法で作品を作っていく(笑)自分とは正反対で、とても分析的」という兄のルシアン・グレーをはじめ、バンド・メンバーとの共同作業の成果も相まって、宅録的な生々しさと奥行きを兼ね備えた独自のプロダクションが磨き上げられている。エンジニアリングやミキシングもみずから手掛ける彼女にとって、このアルバムは頭の中で鳴っているサウンドをようやく正確に具現化できた作品と言えるのではないだろうか。
「私もそう思う。これまでも挑戦はしてきたけど、ずっとヒップホップのサンプリングに惹かれていたから、アイデアが浮かぶと勢いで作ってリリースすることが多かった。でも今回は、自分の中にある作品像をゆっくりと形にしてみたらどうだろうと考えたの」。
“SHELL ( OF A MAN )”をはじめ、随所に顔を覗かせるカントリー・タッチのギター・リフにちなみ、ビヨンセやポスト・マローン、エイドリアン・レンカーなど、多くのアーティストがカントリーに接近した2024年のトレンドについて尋ねると、彼女は「正直、あまり音楽業界のことは追っていないからその状況は知らなかった」と前置きしつつ、「ドリー・パートンやエミルー・ハリスは私にとって大きなインスピレーションの一部」と、以前からカントリーは影響源であったと明かす。
〈どうやって過去を乗り越えたらいい/まだ蜘蛛の巣に絡まっている〉(“SHELL ( OF A MAN )”)と葛藤し、〈いま私は迷っている〉(“EXHAUST THE TOPIC”)と孤独を滲ませるリリシストとしての正直な感性に加えて、プロデューサーとしての手腕についても触れたい。「ジョン・ボーナムがクレイジーになるような曲。ああいう瞬間がライヴに欲しくて、壮大なドラム・ソロがあったらいいなと思ったんだよね」と語る“LINE BACK 22”や“..THUS IS WHY ( I DON’T SPRING 4 LOVE )”における豪快なバンド・アンサンブル、その間にアンビエントなインスト“CATS CRADLE!”を挿入するアルバムとしての構成力には思わず唸らされる。そして、ラストの“LIE DOWN..”では、穏やかさと解放感が際立ち、緊張感やエキセントリシティーを超えた説得力を備えている。
「もちろん、今後またクレイジーな方向に戻ることもあると思う。でも今回は、とにかく平穏さを持った作品を作ることが目標だった。エミルー・ハリスやチックス、ディアンジェロもそうだけど、私が好きなフル・アルバムって、どれも平穏で音楽的に美しい。私の母がよく〈Clarity(明確さ)〉という言葉を使っていたんだけど、私にとってこのアルバムはまさに〈完全な明確さ〉だった。自分の名前をアルバム・タイトルにして、脆弱さや自分自身をさらけ出した、とても純粋な作品なんだ」。
サヤ・グレー
カナダ人と日本人の両親を持つトロント出身のシンガー・ソングライター。幼少期にトランペットやピアノなど多くの楽器を習得し、青年期に入るとセッション・ミュージシャンとして活動。2019年の〈フジロック〉にはダニエル・シーザーのベーシストとして出演した。その後、ダーティ・ヒットと契約し、2022年の『19 MASTERS』、2023年から2024年にかけての連作EP『QWERTY』『QWERTY II』などを発表。このたびファースト・アルバム『SAYA』(Dirty Hit)をリリースしたばかり。