若き不良少年はいつしか人生の陰影を背負う男へと変貌
そんなマッチに〈漢(おとこ)〉というイメージが定着したのはいつ頃からだったのだろうか。少なくとも18枚目のシングル“大将”(1985年)の頃にはその片鱗が見え始めているし、織田哲郎のカバーとなる“Baby Rose”(1986年)ではそれまでのアイドル的な枠組みを越え、ロックシンガーとしての存在感を漂わせるまでになっていた。
そして、その流れを決定づけたのが“愚か者”(1987年)である。〈第29回日本レコード大賞〉で大賞を受賞したこの楽曲で彼が歌ったのは、それまでの威勢の良さや若さゆえの反骨精神ではなく、傷つきながらも生きる男の哀愁だった。投げやりにも見える歌声の奥に孤独や諦念が滲み、若き不良少年は、いつしか人生の陰影を背負う男へと変貌を遂げていたのだ。
そんな成熟した表現は、“泣いてみりゃいいじゃん”(1987年)、“あぁ、グッと”(1988年)、“夕焼けの歌”(1989年)へと受け継がれていく。派手なアクションや勢いで押し切るのではなく、喜びも悲しみも飲み込んだ男の背中を感じさせる歌世界。それらの作品群によって、近藤真彦はアイドルの枠を超えたシンガーとしての評価を確立し、〈第二の黄金期〉と呼ばれる充実した時代を迎えることになる。
真島昌利との邂逅が生んだ〈男の歌〉の完成形
そんな哀愁歌謡の極北とも言うべき楽曲が、30枚目のシングル“アンダルシアに憧れて”(1989年)だ。THE BLUE HEARTSのギタリストだったマーシーこと真島昌利が作詞作曲を手がけたこの曲で、彼はハードボイルドな世界を鮮やかに体現してみせた。酒と煙草の匂いが漂う酒場に、夜霧が立ちこめる埠頭の倉庫街……映画のワンシーンのような情景を生々しい実感を伴って歌い上げてみせたこの曲は、“愚か者”以降に追求してきた〈男の歌〉の完成形のひとつと言っていい。
なおマーシーとマッチの邂逅はこの一曲だけでは終わらず、デビュー35周年記念シングル“大人の流儀”(2015年)のカップリングとして収録された“男(おまえ)が目を閉じるとき”もまた聴き逃せない名曲で、このコンビだからこそ生み出せた大人の色気に満ちた逸品。場末の匂いがプンプンするラテン歌謡ナンバーで、まさに美味である。
筒美京平と山下達郎がバラードで引き出した一面
ところで、波止場や港町といった風景は、マッチの歌世界を語るうえで欠かせない重要なモチーフである。セカンドシングル“ヨコハマ・チーク”や、デビューシングル“スニーカーぶる~す”のB面に収録されたシャッフルポップチューン“ホンモク・ラット”(1980年)など、初期の頃からそのイメージは繰り返し描かれてきた。異国への憧れと不良っぽいロマンティシズム。マッチの魅力はそんな港町の匂いと相性が良かったのである。その系譜の到達点として挙げたいのが、45枚目のシングル“上海慕情”(2007年)だ。筒美京平が、大人のバラードを歌ってほしい、という思いを込めて提供したこのミディアムナンバー。異国情緒に満ちたサウンドと円熟したマッチ節がみごとに結実した隠れた名曲である。
一方で、近藤真彦のバラードを語るなら“MOMOKO”(1982年)も外せない。“ハイティーン・ブギ”のB面として発表されたこの楽曲は、山下達郎が作曲を手がけたロマンティックなスローナンバーで、マッチの繊細な一面を引き出していることから人気が高い。さらに山下達郎作品では、15枚目のシングル“永遠に秘密さ”(1984年)も忘れてはならない。洗練されたアーバンなサウンドとメロウな空気感をまとったこの曲は、近年ではシティポップの名品として再評価されている。
どの系譜にも属さない異端の一曲
ここまで近藤真彦の歌世界をいくつかの系譜に沿って辿ってきたが、そのどれにも容易には収まらない一曲がある。40枚目のシングル“ミッドナイト・シャッフル”(1996年)がそれだ。堂本光一主演の日本テレビ系ドラマ「銀狼怪奇ファイル〜二つの頭脳を持つ少年〜」の主題歌に起用され、彼とって久々の大ヒットとなったこの曲は、重厚なビート、ダークなサウンド、そして退廃的な色気が駆け巡る、それまでのロック歌謡や哀愁歌謡とは一線を画すアップチューンとなった。
気だるさと緊張感、危うさと色気、その相反する要素を絶妙なバランスで共存させた歌唱は、シンガー近藤真彦の新たな一面を引き出すことにも成功している。どの系譜にも属さない異端の存在でありながら、その輝きは決して色褪せない。むしろ長いキャリアのなかでもひときわ強い光を放つ代表曲のひとつと言えるだろう。