2026年2月に代表曲“ミッドナイト・シャッフル”のリリースから30周年を迎えた近藤真彦。〈ル・マン24時間レース〉に参戦するなどレーサーとしての活動に本腰を入れていた当時、歌手として放ったこの久々の大ヒット曲で、1996年末に「NHK紅白歌合戦」へ8年ぶりのカムバックを果たしている。

そんなメモリアルなシングル“ミッドナイト・シャッフル”をはじめ、鮮烈なデビューを飾った“スニーカーぶる~す”や“ギンギラギンにさりげなく”“ハイティーン・ブギ”“愚か者”など数々の名曲に刻まれたマッチのシンガーとしての真価を、ライターの桑原シローに綴ってもらった。 *Mikiki編集部


 

〈危うさと孤独〉を音像化した“スニーカーぶる~す”

マッチこと近藤真彦がレコードデビューを果たしたのは1980年12月12日、16歳のときだった。作詞・松本隆、作曲・筒美京平という黄金コンビが手がけたデビューシングル“スニーカーぶる~す”は、翌年公開の初主演映画「青春グラフィティ スニーカーぶる~す」の主題歌にも起用され、新人歌手のデビュー曲として史上初となるオリコン初登場1位を記録する。

TBSのTVドラマ「3年B組金八先生」から生まれた〈たのきんトリオ〉においてライバルだった田原俊彦はすでにスター街道を走り始め、新人賞レースでも先行していた。そんななか、二番手として追う立場にあったマッチだが、トシちゃんとはまったく異なる個性で独自のポジションを切り拓いていく。陽性で華やかな田原に対し、近藤の魅力はどこか影を帯びた佇まいにあった。軽快でスタイリッシュなダンスよりも、反骨心を秘めた不良少年の匂いを振りまくのが彼のパフォーマンス。いわゆるツッパリではないが、敷かれたレールを素直には歩まない、そんな危うさと孤独を漂わせていた彼のイメージを完璧に音像化したのが“スニーカーぶる~す”だった。

楽曲は、ミュージカル映画「フェーム」の挿入歌“Hot Lunch Jam”を思わせるグルーヴを土台に、ブラスロック的なダイナミズムと唸りを上げるエレクトリックギターが全編を牽引する。いわゆる〈ロック歌謡〉に分類される作品だが、当時の男性アイドル作品のなかでは群を抜いてワイルドだった。その路線は第2弾主演映画の主題歌“ブルージーンズ メモリー”(1981年)、そして山下達郎が初登板となった第3弾映画の主題歌“ハイティーン・ブギ”(1982年)へと受け継がれていく。ツバを飛ばしながら感情を叩きつけるようなシャウト、投げやりにも聞こえる危うい熱量。近藤真彦というシンガーの唯一無二の輝きは、デビューの瞬間からすでにそこに刻まれていたといえる。

 

歌い手としての真骨頂を見せるハイテンションナンバーの数々

初期の楽曲には、アメリカンロックンロールの香りをまとった“ヨコハマ・チーク”(1981年)や、オリエンタルなディスコサウンドを打ち出した“情熱☆熱風☽せれなーで”(1982年)のようなタイプも存在したが、マッチというシンガーの個性がもっとも鮮やかに発揮されたのは、何と言っても〈ハイテンションナンバー〉の数々だった。その口火を切ったのが、伊達歩(=伊集院静)作詞による“ギンギラギンにさりげなく”(1981年)。タイトルからして意味不明、歌詞も論理より勢いが先に立つナンバーに仕上がっていたが、理屈ではなく衝動で突き進む主人公像は当時のマッチが持っていたヤンチャで反骨的なイメージとピタリと重なりあった。

それに続いて登場する“ふられてBANZAI”(1982年)、“ホレたぜ!乾杯”(1982年)、“一番野郎”(1984年)、“ケジメなさい”(1984年)、“ヨイショッ!”(1985年)などでは、窮屈な日常を振り払うように身体を躍動させるパフォーマンスも人気を集めたが、どこか危なっかしさを感じさせながらも、それでいて妙に人を惹きつけるものがあり、歌詞の整合性や意味を吟味するよりもその場の熱気と衝動を丸ごと受け止めるべきだと強く訴えかけてくる。このさまざまな理屈をねじ伏せるようなエネルギーこそが、表現者マッチの真骨頂であったと思う。威勢が良くて、豪快で、どこか愛嬌がある。でもってロックっぽい不良性と、昭和の大衆芸能が持つ祝祭性を違和感なく同居させることができたのは、当時の男性アイドルの中でもマッチだけだったかもしれない。

 

若き不良少年はいつしか人生の陰影を背負う男へと変貌

そんなマッチに〈漢(おとこ)〉というイメージが定着したのはいつ頃からだったのだろうか。少なくとも18枚目のシングル“大将”(1985年)の頃にはその片鱗が見え始めているし、織田哲郎のカバーとなる“Baby Rose”(1986年)ではそれまでのアイドル的な枠組みを越え、ロックシンガーとしての存在感を漂わせるまでになっていた。

そして、その流れを決定づけたのが“愚か者”(1987年)である。〈第29回日本レコード大賞〉で大賞を受賞したこの楽曲で彼が歌ったのは、それまでの威勢の良さや若さゆえの反骨精神ではなく、傷つきながらも生きる男の哀愁だった。投げやりにも見える歌声の奥に孤独や諦念が滲み、若き不良少年は、いつしか人生の陰影を背負う男へと変貌を遂げていたのだ。

そんな成熟した表現は、“泣いてみりゃいいじゃん”(1987年)、“あぁ、グッと”(1988年)、“夕焼けの歌”(1989年)へと受け継がれていく。派手なアクションや勢いで押し切るのではなく、喜びも悲しみも飲み込んだ男の背中を感じさせる歌世界。それらの作品群によって、近藤真彦はアイドルの枠を超えたシンガーとしての評価を確立し、〈第二の黄金期〉と呼ばれる充実した時代を迎えることになる。

 

真島昌利との邂逅が生んだ〈男の歌〉の完成形

そんな哀愁歌謡の極北とも言うべき楽曲が、30枚目のシングル“アンダルシアに憧れて”(1989年)だ。THE BLUE HEARTSのギタリストだったマーシーこと真島昌利が作詞作曲を手がけたこの曲で、彼はハードボイルドな世界を鮮やかに体現してみせた。酒と煙草の匂いが漂う酒場に、夜霧が立ちこめる埠頭の倉庫街……映画のワンシーンのような情景を生々しい実感を伴って歌い上げてみせたこの曲は、“愚か者”以降に追求してきた〈男の歌〉の完成形のひとつと言っていい。

なおマーシーとマッチの邂逅はこの一曲だけでは終わらず、デビュー35周年記念シングル“大人の流儀”(2015年)のカップリングとして収録された“男(おまえ)が目を閉じるとき”もまた聴き逃せない名曲で、このコンビだからこそ生み出せた大人の色気に満ちた逸品。場末の匂いがプンプンするラテン歌謡ナンバーで、まさに美味である。

 

筒美京平と山下達郎がバラードで引き出した一面

ところで、波止場や港町といった風景は、マッチの歌世界を語るうえで欠かせない重要なモチーフである。セカンドシングル“ヨコハマ・チーク”や、デビューシングル“スニーカーぶる~す”のB面に収録されたシャッフルポップチューン“ホンモク・ラット”(1980年)など、初期の頃からそのイメージは繰り返し描かれてきた。異国への憧れと不良っぽいロマンティシズム。マッチの魅力はそんな港町の匂いと相性が良かったのである。その系譜の到達点として挙げたいのが、45枚目のシングル“上海慕情”(2007年)だ。筒美京平が、大人のバラードを歌ってほしい、という思いを込めて提供したこのミディアムナンバー。異国情緒に満ちたサウンドと円熟したマッチ節がみごとに結実した隠れた名曲である。

一方で、近藤真彦のバラードを語るなら“MOMOKO”(1982年)も外せない。“ハイティーン・ブギ”のB面として発表されたこの楽曲は、山下達郎が作曲を手がけたロマンティックなスローナンバーで、マッチの繊細な一面を引き出していることから人気が高い。さらに山下達郎作品では、15枚目のシングル“永遠に秘密さ”(1984年)も忘れてはならない。洗練されたアーバンなサウンドとメロウな空気感をまとったこの曲は、近年ではシティポップの名品として再評価されている。

 

どの系譜にも属さない異端の一曲

ここまで近藤真彦の歌世界をいくつかの系譜に沿って辿ってきたが、そのどれにも容易には収まらない一曲がある。40枚目のシングル“ミッドナイト・シャッフル”(1996年)がそれだ。堂本光一主演の日本テレビ系ドラマ「銀狼怪奇ファイル〜二つの頭脳を持つ少年〜」の主題歌に起用され、彼とって久々の大ヒットとなったこの曲は、重厚なビート、ダークなサウンド、そして退廃的な色気が駆け巡る、それまでのロック歌謡や哀愁歌謡とは一線を画すアップチューンとなった。

気だるさと緊張感、危うさと色気、その相反する要素を絶妙なバランスで共存させた歌唱は、シンガー近藤真彦の新たな一面を引き出すことにも成功している。どの系譜にも属さない異端の存在でありながら、その輝きは決して色褪せない。むしろ長いキャリアのなかでもひときわ強い光を放つ代表曲のひとつと言えるだろう。