スピードで勝負! 小さな大横綱が私たちに遺してくれた大きな遺産
相撲は音楽であり、音楽は相撲だ。立ち合いの呼吸を合わせるのは、音楽のエッセンスが凝縮された瞬間だし、回転の良い突っ張りは、テンポの良い音楽だと思う。相撲と音楽は共通することが多いし、相撲の中に音楽のヒントがいっぱい隠れていると思う。だから、ぼくたち作曲家は、相撲から多くを学んできた。ぼくが、小学校時代に、力士と作曲家を夢見て、器楽部と相撲部を掛け持ちしていたのも、何の不思議もないことだった。
1980年、ぼくは6年生だった。朝は、相撲部の稽古。部員は20人ほどで全員男子。放課後は、器楽部の練習。部員は40人ほどで、ほとんどが女子だった。器楽部の部員は音楽が好きな子どもばかりだったが、作曲をするのはぼくだけ。相撲と音楽の両方を愛する気持ちが理解できる友人はいなかった。
そんな時に、芥川也寸志さんが司会をするテレビ番組で、相撲をテーマにした回があった。芥川さん、林光さん、池辺晋一郎さんと3人の作曲家が、その日の取り組みを題材に曲を作曲し、ぼくは大興奮だったが、器楽部の友人たちからは、反応が薄かった。音楽には興味があっても、相撲には興味がなかったのだ。
器楽部は、鍵盤ハーモニカ、アコーディオン、足踏みオルガンなどを中心にした合奏を練習していた。取り組んだ曲は、渡辺浦人(1909-1994)の交響組曲『野人』(1941)だ。来る日も来る日も、この土俗的な邦人作曲家の曲ばかりを練習した。渡辺浦人は、伊福部昭よりも5歳年長の作曲家で、『野人』は日本的なモチーフを題材に、おそらくストラヴィンスキーの『春の祭典』などの影響を受けながら書かれた20世紀前半の日本の傑作の一つだ。小学生のぼくは、バルトークや林光の音楽は知っていたが、ストラヴィンスキーを聴いたことがなく、渡辺浦人のエネルギー溢れるリズム感が大好きで、何度も何度もレコードを聴いた。『野人』が作曲された時代は、真珠湾攻撃と同じ年であり、大横綱の双葉山が活躍した時代でもある。『野人』というタイトルや音楽に、作曲家は何を託したのか、小学生には全く想像がつかなかったが、伝統的な祭りや儀式の雰囲気、そして強烈なエネルギーが好きだった。それは、相撲にも共通して感じていた魅力だった。だから、相撲部と器楽部を両立することは、ぼくにとっては、何の矛盾もなかった。
40kgにも満たない最軽量の小学生だったぼくが、80kg以上ある相撲部員と互角に戦えていたのは、当時の大相撲の小兵力士たちの活躍を参考にしていたからだ。相手の攻めをかいくぐり、立ち合いから低くあたり、頭をつけ、浅く右上手をとり、相手の横に回り込む。当時、幕内最軽量の103kgの大関、貴ノ花の相撲は、いつも良いお手本だった。貴ノ花の足腰は素晴らしく、土俵際のうっちゃりなどの大逆転を見るのが大好物だった。他にも大関で技巧派の増井山の相撲も参考にしていて、内無双や外無双などの技をよく真似した。ところが、「軽量力士=技巧派」という常識を大きく覆す力士が登場した。それが、千代の富士だった。
体重96kgの千代の富士が幕内に上がったのは、衝撃だった。千代の富士は、軽量力士なのに、技巧派ではなく、豪快な力強い相撲だった。しかし、北の湖や輪島のような大横綱には、力負けしてしまうし、同世代の大関候補の琴風の馬力にも力負けして、通用しない。小柄な力士は、馬力で勝負しては勝ち目がない。幕内上位の壁は厚い。千代の富士が幕内で続けていくためには、技巧派に転向するしかないだろう。ところが、千代の富士は、パワーにはパワーで対抗しようとした。無理な相撲がたたり、怪我で休場し十両へ陥落した。1970年代が終わり、1980年になった頃のことだ。
怪我を経ても、千代の富士は技巧派に転向しようとはしなかった。その代わり、パワーに加えて、スピードで勝負しようとした。当時は、日本中で、スピード旋風が巻き起こっていたように思う。漫才ブームが起こり、20代の若手が次々に頭角を現し、ブラウン管の中で、世代交代が革命的に行われた。「ツービート」のビートたけし、「紳助竜介」の島田紳助など、これまでの漫才の常識を遥かに超えるスピード感ある漫才の登場は衝撃だった。こんな早口で毒舌で、あんな漫才があっていいのか!!!。とんでもないスピード感で台詞を機関銃のように喋る野田秀樹の演劇が脚光を浴び、将棋界では、“光速の寄せ”“前進流”と呼ばれる10代の谷川浩司が、じっくり組み合う将棋の常識を打ち破り、スピード感溢れる将棋で、名人挑戦に向けて、一気に駆け上がっていた。プロ野球では、中日ドラゴンズに豪速球投手、小松辰夫が登場し、スピード表示が始まった。テレビがリモコンで操作できるようになり、瞬時にチャンネルを切り替えられる時代の到来は、様々な意味で、速度が重視された。そんな時代のスピード感を自分の相撲に取り入れたのが、千代の富士だった。
琴風—千代の富士の対戦成績は、当時、琴風の5連勝だった。大関候補の琴風のパワーに、千代の富士はパワーで立ち向かっても歯が立たなかった。ところが、6度目の対戦は、立ち合い当たると、ほぼ次の瞬間に、あの怪力の琴風が土俵の外に吹っ飛ばされていた。何が起こったのか、一瞬分からなかった。何か魔法にでもかかったかのような衝撃だった。立ち合いで千代の富士が前ミツをつかむと、琴風の巨体を瞬時に持ち上げ、地面から若干浮き上がった状態のまま、土俵の外まで一気に走ったのだ、と分かったのは、何度もビデオ再生で見てからのことだ。千代の富士の相撲が完成した歴史的な瞬間だ。
輪島、北の湖が衰え、引退していくのと入れ替わるように、千代の富士は、あっと言う間に横綱まで昇りつめ、80年代の相撲界を牽引し続けた。漫才ブーム以降も、ビートたけし、島田紳助、明石家さんまなどがテレビの司会者として君臨し、野田秀樹のスピード感溢れる演劇の人気は続き、日本の経済は前進を続けた。そして、千代の富士の引退に呼応するかのように、イケイケだった日本のバブル経済も終焉を迎えた。その頃、ぼくは共同作曲という新たなテーマを見出した。敬愛する作曲家のオリヴィエ・メシアンとジョン・ケージが、次々にこの世を去った。一つの歴史の終わりは、新しい歴史の始まりだ。ぼくは作曲家として徐々に注目を集め、25年間、様々な音楽を作り続けてきた。
そして、子ども時代の夢を思い出す。作曲家になったが、力士にはならなかった。でも、もしも、相撲は音楽であり、音楽が相撲であるならば、相撲の音楽が作曲できるはずだ。作曲家の鶴見幸代さん、樅山智子さんと意気投合して、「日本相撲聞芸術作曲家協議会(JACSHA)」を結成した。元力士(一ノ矢)で高砂部屋マネージャーの松田哲博さんと出会い、「レッツ相撲ミュージック」を開催し、「相撲甚句」をテーマにしたワークショップを行った。その後、「相撲聞芸術フォーラム」や「相撲セミナー 相撲と芸術」などの勉強会を経て、「相撲聞芸術のもくろみ」では、東京大学相撲部長で同大学教授の新田一郎さんとの対談も実現。高砂部屋の呼出しさんの邦夫さんより、櫓太鼓、触れ太鼓のリズムを伝授していただき、民俗芸能としての相撲神事もリサーチした。 今秋は『さいたまトリエンナーレ』に参加し、オープンに向けて準備していると、千代の富士の訃報が入る。スピード溢れる千代の富士のあまりにも早過ぎる人生の終幕に、言葉を失う。ご冥福をお祈りするばかりだ。千代の富士も含めた様々な魂を鎮め、そして、世界のあらゆる物たちを供養すべく、21世紀の鎮魂の土俵入りを創作したい。「JACSHA土俵祭り」を開催。さいたまトリエンナーレでは、「相撲聞芸術研究室」として、これまでの様々な相撲と音楽をめぐる研究成果を映像、楽譜などで一挙公開する予定。はぁー、どすこい、どすこい。
千代の富士貢(Chiyonofuji mitsugu)[1955-2016]
北海道松前郡福島町出身。故・先々代九重親方(元横綱千代の山)にスカウトされ、度重なる脱臼などの怪我を乗り越え、81年第58代横綱となる。得意技は”黄金の左”と言われた左前ミツ。小兵ながら技とスピード感のある相撲をとり「ウルフ」のニックネームで親しまれた。88年九州場所では戦後最高の53連勝を記録。89年秋場所通算968勝の最多記録を達成し、国民栄誉賞を受賞。91年体力の限界を理由に引退。92年、年寄九重襲名し、九重部屋を継承。7月31日、膵臓がんのため死去。享年61。9月13日、相撲界への長年にわたる多大な功績が高く評価され、従四位旭日中綬章が贈られた
寄稿者プロフィール
野村誠(Makoto Noura)
作曲家、ピアニスト、鍵盤ハーモニカ奏者、瓦奏者。作品に、1010人で演奏する「千住の1010人」、指揮者が布団に寝たり起きたりするピアノ協奏曲「だるまさん作曲中」、千住だじゃれ音楽祭ディレクター、JACSHA(日本相撲聞芸術作曲家協議会)理事。日本センチュリー交響楽団コミュニティ・プログラム・ディレクター。CDに「ノムラノピアノ」(とんつーレコード)、「せみ」(Steinhand)、「瓦の音楽」(淡路島アートセンター)など。著書に、「音楽の未来を作曲する」(晶文社)ほか。
日本相撲聞芸術作曲家協議会(JACSHA)(Japan Association of Composers for Sumo Hearing Arts)
神事であり、芸能であり、スポーツであり、エンターテイメントであり、伝統であり、現代であり、文化であり、つまり智慧である相撲に耳を傾けること(相撲聞:すもうぶん)によって、新たな芸術を創造する作曲家の協議会。
千代の富士・追悼記念出版
「千代の富士 Treasure Book」
第58代横綱千代の富士の軌跡を追体験することが出来る! エルビス・プレスリー、ジミ・ヘンドリックス、ビートルズなど世界のスーパースター達のトレジャーブックシリーズに相撲業界初の千代の富士関が遂に登場!
[発売元:CSI株式会社]2017年3月発売予定