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エルバ・ハマーリョ来日インタヴュー
~ブラジルの太陽神、エルバがフォホーに懸ける熱き思い

 東京の代々木公園で毎年7月中旬に開かれる「ブラジル・フェスティバル」。楽しみにしている人たちも増えてきて年ごとに大きな盛り上がりを見せているが、今年は第12回目を数え、2日目の最終ステージにエルバ・ハマーリョが出演することが決まり、1984年以来2度目の来日公演ということで大きな話題になった。

 エルバ・ハマーリョは1951年、ブラジル北東部パライバ州内陸部コンセイサンの生まれ。地元で音楽活動を始めるが、プロ歌手としての地位を築くため1974年からリオ・デ・ジャネイロに拠点を移す。アルバム・デビューは1979年。1980年にはヨーロッパ・ツアーを敢行。翌年にはスイスの「モントルー・ジャズ・フェスティバル'81」にも出演。そして1982年にリリースした4作目『Alegria』が30万枚の大ヒットを記録してその名がブラジル全土に広まる。今までに発表したアルバムは35作品以上。販売数量の総計は1,000万枚を超えていて、現在でも年間150本ものコンサート活動を続けている、まさに人気・実力共にブラジルを代表するトップスターである。

 エルバはその時々のヒット曲や大衆に支持されている音楽などを選んで、アルバムやショーを構成しているが、彼女は北東部(ノルデスチ)の出身ゆえ、フォホー(Forró)が彼女の音楽の根底にある。フォホーというのは、バイオン、ショッチ、シャシャード、クアドリーリャ、アハスタ・ペー、フレヴォ、マラカトゥなど、北東部特有の伝統的なリズムや音楽の総称。だから彼女のアルバムにはそれらのリズムを用いた音楽が必ず収められていて、大衆からは愛を込めて「フォホーの女王(A Rainha do Forró)」と称される理由となっている。

 幸運にもそんなエルバ・ハマーリョにインタヴューをする機会を得られたが、サウンド・チェックに行く前の短い時間内でのインタヴューだったので、質問は一点に絞った。それは「今現在のフォホーの状況について、エルバさんはどう思いますか?」ということを尋ねた。

 「あんたもフェスタ・ジュニーナ(6月の収穫祭)のことは知ってるでしょ? 少し前までノルデスチでは皆がフォホーを歌って演奏して踊って楽しんで、フォホーが全てだったのよ。ところが、いまは伝統的なフォホーが下火になりかけていて、安っぽい音楽が蔓延していて情けないことになってるの。ノルデスチよりもむしろブラジル南部のミナスやサン・パウロ、リオやクリチバの方がちゃんとしたフォホーが盛んだったりするし、ヨーロッパや北米でもフォホーを演奏する連中は増えてるわ。あんたたちだってブラジルから一番遠いこの日本で伝統的なフォホーをやってるじゃない? それなのにフォホーの故郷がそんな有り様じゃ、ゴンザガォンやドミンギーニョスたち(フォホーの地位を築いた今は亡き偉大なアーチストたち)に顔向けができないわ! だって、私が彼らからフォホーの将来を託されたのよ! ええ、この私がもう一度ノルデスチのフォホーに喝を入れるわよ!」という、フォホーに対する熱き思いに満ちた答えが返って来た。

 ブラジル・フェスティバル2日目の最後にエルバ・ハマーリョは腕利きたちを揃えた5人編成のバンドと共に代々木公園の野外ステージに上がった。当日は曇天だったとはいえ7月中旬の容赦ない蒸し暑さの中、エルバは熱いエネルギーの塊となって広いステージを縦横無尽に踊りながら、フォホーの女王としてバンドメンバーと聴衆を鼓舞し続ける。鍛え上げられたアスリートのような身体で2時間近くのコンサートを息も切らさずに歌い続けたのには驚くばかり。ステージ中盤ではエルバから呼ばれ、自分を含む日本人フォホー・バンド、Banda Forró Legalが共演することになり、至近距離でエルバが発する強烈なエネルギーを痛いほどに感じることができた。まさにその時「エルバはブラジルの太陽神だ!!」と確信した。(取材協力:在日ブラジル商工会議所)