もう2017年も残り2か月を切ったわけだし、ここは腹を括って断言しよう。8ottoにとって久々のリリースとなった新作『Dawn On』は、少なくとも筆者にとって、間違いなく今年最高のロック・アルバムである。2004年に大阪で結成された4人組は、脚光を浴びたデビュー当時にストロークスと散々比較されてきたが、そんな過去とも地続きでありつつ、ほとんど別物のアンサンブルを獲得してみせた。バンドの旗印であるリフとグルーヴを徹底的に磨く一方、これまで禁じ手としてきたリズムや曲調、レコーディング・スタイルを大胆に取り入れ、殻を破くようにポテンシャルが開花。ハイヴォルテージで押し寄せる楽曲群は、彩り豊かになったアレンジに反して、スカスカの余白に支えられており、Gotchこと後藤正文(ASIAN KUNG-FU GENERATION)によるプロデュースも実に冴え渡っている。

しかし、そんな会心作の背景には、前作から6年ぶりというスパンが物語るように、30代後半という人生の過渡期を迎えたバンドの葛藤が横たわっていた。正当な評価をされることなく、シビアな生活に追われる立場となった心境が、〈働いて ぐらついて/逃げたいって 星を見る〉と歌う“Rolling”で描かれている。その一方で、“赤と黒”では〈洒落臭いぜ Baby 好きにやるぜ〉と、自分を認めてこなかった世界を睨みつけながら、これまでの自分自身に対しても発破をかけており、〈Dawn On=夜明け〉とタイトルに冠した理由もそこから汲み取れるはずだ。2度目の処女作と呼ぶに相応しいニュー・アルバムを味わい尽くすために、ここで8ottoのドラマを振り返ろう。マエノソノマサキ(ドラムス/ヴォーカル)とTORA(ベース)に話を訊いた。

★8ottoはなぜ唯一無二なのか? ロックにおける〈リフ〉の発展史から考える、国内きっての異端にして怪物バンドの本質

8otto Dawn On only in dreams(2017)

普通にイイ曲を書いても、メンバーが喜ばないんです

――そもそも8ottoは、どんな音楽をやろうとして結成されたんですか?

TORA「前進バンドの頃はメンバーも流動的で、僕が加入したときに渡された音源は、メロディック・パンク・バンドがオルタナに寄った感じの音でしたね。当時のマエソン(マエノソノマサキ)はドラムに専念していて、ヴォーカルは別の人が担当していました。でも、そこからガラッとメンバーが替わって、もっとグランジーなバンドになっていくんですけど、その頃は1曲あたり5~6分はあったし、展開もかなり多くて、今だったら絶対に覚えられないと思う(笑)」

※99年に結成されたsugar for a dimeのこと

2011年に行われたsugar for a dimeの再結成ライヴの模様
 

――その後の音楽性とは、わりと離れた出発点だったんですね。

TORA「そこからマエソンが(ドラムを叩かず)ピンでヴォーカルをやってみたり、いろんな紆余曲折を経てドラム・ヴォーカルの形式に行きつくわけですけど、そのタイミングでどこからともなく、ギャング・オブ・フォーみたいなニューウェイヴを聴きだすようになるんですよ。あれ……、なんでやったんやろうな? たぶんマエソンが持ってきたんだと思う」

マエノソノマサキ「歌いながらドラムを叩くとなると、そういうのしかできなかったんですよ。当時の僕らでは、そのスタイルで(前にやっていた)サウンドガーデンみたいな演奏をするのは技術的に無理だった。それと(大阪に)PIPE 69という大好きなライヴハウスがあったんですけど(現在は閉鎖)、そこに初めてドラム・ヴォーカルで出演したとき、演奏はグチャグチャだったけど、とにかく楽しかったんですよね」

TORA「それ、めっちゃ覚えてるわ。まだ練習が足りてなかったから、〈ライヴはできません〉って断ったんだけど、どうしてもやってくれとハコ側に頼まれて。だから、超シンプルなアレンジで2曲ぐらい演奏して、あとの3曲は当てぶりでやったんですよ。CDをデカイ音で流しながら(笑)。でも、その感じがすごく良かったんですよ」

マエノソノ「お客さんも楽しそうだったしね。みんな指差して笑ってくれて。それ以前の僕らは(演奏で)圧倒するようなライヴをしていたけど、〈このほうがエエんちゃう?〉みたいな(笑)」

TORA「〈音のスカスカ感が気持ちいい〉みたいな感覚も、そのときに気付いたのかもしれない。そこから、隙間を活かした音作りを心掛けるようになったので」

2006年作『we do viberation』収録曲“VOODOOバウァー”のライヴ映像
 

――8otto独自のグルーヴが生まれた背景には、そんなエピソードがあったんですね。

TORA「もうひとつ覚えているのは、ちょうどその頃って、音圧戦争みたいになっていたんですよね。それで、デモ作りしているときにマエソンが〈ああいうの、しんどいから嫌やねん〉と言い出して。音が小さければ(スピーカーの)ヴォリュームを上げればいいから(笑)、もっと立体感のあるミックスにしようと。そこから、〈NYでこういうのがいる〉とマエソンから薦められたり、自分でも探したりして聴くようになりました」

――2000年代初頭くらいの話ですよね。当時のNYといえばストロークスとか?

マエノソノ「ストロークスも好きでしたけど、めっちゃ影響を受けたのは当時もう少しアンダーグラウンドだったやつですね。ライアーズやLCDサウンドシステムとか。それと一緒に、彼らのルーツとなったであろう音楽も聴いて掘り下げていきました。MC5やストゥージズとか」

――どこに惹かれたのでしょう?

マエノソノ「僕らにもできそうだと思ったんですよね。それまではスマパンやニルヴァーナの呪縛にもがいていたけど、これなら行けるかもしれないって。特に好きだったのは!!!で、演奏スタイルもそうだし、ビックリマーク3つでバンド名っていうのも格好良かった。それに影響されて、僕らのバンド名も8ottoになったんです」

!!!の2004年作『Louden Up Now』収録曲“Me And Giuliani Down By The School Yard (A True Story)”
 

――マエノソノさんがドラム・ヴォーカルを務めるようになったのは、どういうきっかけが?

マエノソノ「もちろんドラムは好きだったけど、心の奥で〈歌いたい〉という気持ちがあったんでしょうね。26歳になるまで歌ったことはなかったんですけど」

TORA「僕がバンドに入った時点で、曲作りはマエソンがやっていたから自然の成り行きだと思います。最初は全然できてなかったけど(笑)」

マエノソノ「とりあえず見た目から入ろうと、ジョンスペのドラム(ラッセル・シミンズ)を真似したんですよ。アレやったら全身も見えるし、(歌うのに)えーんちゃうかなと。あとはビートも、〈ドドッ、ドダッ〉みたいなのは一切取っ払って、〈ドン、ドン、ドン〉みたいに単純化していきました」

※ハット、スネア、フロアタム、バスドラムを一つずつ並べたシンプルなドラムセットのこと

ジョン・スペンサー・ブルース・エクスプロージョンの94年作『Orange』収録曲“Bellbottoms”
 
2007年作『Ral』収録曲“Counter Creation”。マエノソノのドラム・スタイルがラッセル・シミンズの影響下にあることがわかる
 

――気怠く呟くようなヴォーカル・スタイルに影響を与えたのは?

マエノソノ「やっぱりイギー・ポップですね。あとはルー・リード、イアン・カーティス、デヴィッド・ボウイ。声の周波数というか、マイクに当たってザラザラしているような感じに影響を受けていると思います。それと、叫ぶときは、カート・コバーンやマイナースレッドの時のイアン・マッケイ、ドアーズのジム・モリソンみたいな声を出したいな、と意識していました」

――どの名前もしっくりきますね。

マエノソノ「最初は、マイケル・ジャクソンみたいなハイトーンにも憧れていたんですよ。でも、自分の声域を調べてみたら高いキーはおろか、5つくらいしか音が出てなくて(笑)。それでもカッコイイ音楽をやろうとした結果、ボウイやイギー・ポップの歌い方に近づいていったんです」

イギー・ポップの77年作『Lust For Life』収録曲“The Passenger”
 

――8ottoは当初から歌のフック以上に、リフとグルーヴの強靭さが際立っていたと思うんですよね。ホワイト・ストライプスの“Seven Nation Army”を彷彿させる、初期の代表曲“0zero”が好例ですけど、そういう音楽性にはどうやって辿り着いたのでしょう?

マエノソノ普通にイイ曲を書いても、メンバーが喜ばないんですよ(笑)。僕もそうだし、ガチャガチャしているほうがテンションも上がるみたいで。それでメロディーが綺麗な曲をお蔵入りしてくうちに、リフの強い曲ばかりが残ってしまったんでしょうね。みんなでメタリカのCDを聴いているときも、誰かしらヴォーカルのラインと一緒にリフを口ずさんでいたりするし」

TORA「メロディーと一緒にリフも歌うというか、自分の気持ちいいところを歌ってしまうんだろうね。あとは、ライヴに対する意識がものすごく強いから、メロウな曲よりもわかりやすく派手なリフの曲にしようぜ、みたいなのが潜在的にあったんじゃないかな」

2006年作『we do vibration』収録曲“Ozero”

 

〈なんで、みんな気付いてくれんのかな?〉みたいな気持ちも強かったし、もがいていた

――8ottoと名乗るようになってすぐに渡米し、NYで武者修行を積んでいる最中にヨシオカトシカズさんと出会ったそうですね。同氏が2006年のファースト『we do viberation』から2011年の4作目『Ashes To Ashes』まで一貫してプロデュースされてきたわけですけど、あらためて過去作を振り返ってみてもらえますか。

※ストロークス『Room On Fire』(2003年)でエンジニアを担当。NY滞在時はQティップやゼイ・マイト・ビー・ジャイアンツらの作品にも携わり、2007年の帰国後はMIYAVIやモーモールルギャバンなどのプロデュースを手掛けた

TORA「今やから正直に言うと、プロデューサーとかNYで出会った人たちとの絡みでいえば、ファーストが断然上手くいったと思います。最初に話したような余分な展開を削ぎ落して、わかりやすくする作業が成功していたので。イイ感じにいろんなものが作用したなと。もちろん、セカンド(2007年作『Real』)も納得のいく作品だったけど……」

マエノソノ「完成度でいえば、やっぱりファーストですね。あのときは、ヨシオカさんがそれまで何年もかけてつくってきた僕らのオリジナルも残しつつ、アーティストとしての表現のやり方、アティテュード、楽曲アレンジ、すべてをブラッシュアップしてくれたことでネクスト・レヴェルに行けた感じがしたんですよね。セカンドやサード(2008年作『HYPER, HYP8R, HYPER』)でもそれをめざしたんですけど、準備期間がそこまでなかった。どちらもやりきったし、内容はいい、後悔はしていないけど、もう少し時間があったら……とは思うかな」

2006年作『we do vibration』収録曲“RIWO”
 
2008年作『HYPER, HYP8R, HYPER』収録曲“REAL COKE'S FRIEND”
 

――なるほど。続く4作目の『Ashes To Ashes』(2011年)では、それまでのストイックな音作りも維持しつつ、とにかく荒々しいサウンドが暴れまくっている印象です。

マエノソノ「今思うと、あの頃はもがいていましたね。〈なんで、みんな気付いてくれんのかな?〉みたいな気持ちも強かったし。こうやって振り返ってみても、僕らには何も考えない時間が必要だったんだなって。今回の『Dawn On』は6年もかけて試行錯誤を重ねたので、ファーストのときに近い達成感やエネルギーの濃さ、密度を久しぶりに感じています」

2011年作『Ashes To Ashes』収録曲“8otto Generation 888”
 

――その6年間は、バンドにとってどんな期間だったんですか?

TORA「大きなスパンが空いたのは、シーンがどうこうではなく、自分たちの生活に因っていたところが大きくて」

マエノソノ「前作を出したあと、バンド内で話し合ったんです。みんな仕事もあるし、昔のように1年の内100日以上ライヴをして、全国ツアーを回るような活動はもうできないって。それでも、きちんとカッコイイ音源を作って、そのあとは少ないなりに、しっかりライヴもするつもりでした。でも、レコーディングはなかなか進まなかったし、〈いったい俺たちどうなるんだろう〉みたいな……」

――もどかしい時期もあった?

マエノソノ「それはたぶん、TORAが一番あったんじゃないかな」

TORA「正直、メチャクチャありましたね(笑)。〈アルバム作りたいよね〉って話はしていたけど、すぐには進展しなかったし。とにかく、バンドや自分たちの生活を少しずつ整えていくしかなかった」