Page 2 / 4 1ページ目から読む

1940年代、他のジャズ・ミュージシャンがチャーリー・パーカーの模倣をしていた時期にレニー・トリスターノとその門下生リー・コニッツ、ウォーン・マーシュらは別の方向を目指し、ビバップ的な激しい跳躍とは対照的な水平/クロマチックなラインと小節線の破壊、アクセントの相対化を推し進めた。その音楽はリー・コニッツが発明した透明で冷たいアルト・サックスの音色と相まってクール・ジャズと呼ばれることになる。我々は“Subconscious-Lee”や“Kary’s Trance”といったリー・コニッツの作曲のテーマを手元で弾いてみることで、その手法をこれからも追体験することができるだろう(これらの曲はもともとレニー・トリスターノのレッスン課題で作ったものだという)。 また彼らはテーマやコード進行に拠らないフリー・フォームの即興演奏を49年にレコーディングし、それは後のフリー・ジャズ運動に先がけるものだった

トリスターノと門下生たちは自身のコンセプトが弱まるとして仲間以外との共演を許さなかったが、コニッツはその元を飛び出して世界中のミュージシャンと共演した。私は、トリスターノの判断はそれはそれで正しいと思う。即興演奏は相手次第でいくらでも変化してしまう。共演者を絞り込むことでイメージを保つというのは懸命な判断であり、逆にどんな相手でも〈上手くやる〉ためには自身を怪物化し、トレードマーク的な演奏ばかりしてしまう危険があるからだ。

しかし、コニッツは〈内発的なインプロヴィゼーション〉をストイックに追求することで、カルトにもシアトリカルにも陥らない難しい線を歩んだ。レギュラー・グループを持たずアルト・サックス1本を携えて世界中を周る生涯で彼は、用意周到に準備をしたものではなく、初めて会う相手との即興演奏でステージを作ることを好んだ。その結果チャーリー・パーカーともデレク・ベイリーとも共演したし、それ以上に世界中の有名無名のローカル・ミュージシャンと共演したのである。

フリー・インプロヴィゼーションに対して〈それはそれで一つのジャンル、一つのイディオムになっているのでは〉〈名人芸の披露では〉という批判をよく聞くが、コニッツの選択は一つの解であるかもしれない。