ジャズミュージシャンの静謐な日常と、未来へと続く音楽
「完成したものを見てびっくりした。映画に出てきたミュージシャンが皆豪華で、この中に自分がいるのが不思議で信じられなかったんだ。場違いなんじゃないかってね(笑)」――リー・コニッツやビル・フリゼールらのレコーディング風景や日常を切り取ったドキュメンタリー映画「ミュージック・フォー・ブラック・ピジョン」について、ヤコブ・ブロは昨年の来日時にこう語っていた。ポール・モチアン、トーマス・モーガン、高田みどり、ヨン・クリステンセン、トーマス・スタンコ、アンドリュー・シリル――確かに並べてみると大御所がずらりと顔を揃えている。
みどころは多数。まず、滅多なことでは覗くことのできないレコーディングの模様をロングショットで観られるのが嬉しい。特に、同じ部屋で同時録音するシーンでの緊張感がヴィヴィッドに伝わってくるあたりはたまらない。手元にクローズアップした映像が幾度となく流れたりと、おいしい絵がもりだくさんである。また、レコーディングに関する哲学も個々のミュージシャンの口から語られる。
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例えばクレイグ・テイボーンは、多少演奏が粗削りなテイクでも、特有の空気を感じられるのが大事だと言う。ポール・モチアンは、シンバルで一度部屋の空気を満たすと、あとは自然に演奏が展開してゆくと語る。こうした箴言や格言が次々に飛び出してくるのだ。一方、ツアー先では練習をしない、と言うモーガンの美学も興味深い。理由は練習したフレーズを本番で反復してしまうのを避けたいからだそうで、NYの自宅でも練習しないのだとか。練習すると気に入らないクセがつくことがあり、自動的にそれを演奏してしまう、という彼の論には確かに納得がいく。
スタジオでは、旧友との再会の喜びを分かち合ったり「そのセーター、素敵だね?」なんて何気ない雑談が交わされる。初めてテイボーンとフリゼールが挨拶する場面も、自然でリラックスした風情。くだけた雰囲気の中、軽いジョークが幾度となく飛び交う。音楽には、ジャズには、年齢も出身も肌の色も関係ない。そう実感させられる瞬間だ。
レコーディングの裏側が見られるという意味でも、貴重な映像がたっぷり収められている。スイスのルガーノでの録音には、ECMの総帥マンフレート・アイヒャーも登場する。ここではこの楽器を聴かせようと指示したり、演奏の長さをディレクションしたりと、ここまで具体的なオーダーを出すのかと、ちょっと驚嘆した。禅問答のような音楽観を語るくだりも見ものである。PAを操作する姿も神々しい。音楽に聴き入って頷く姿もさすがに貫禄があった。「室内楽のようだ……」とそっとつぶやくシーンはなんともサマになっている。
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くつろいだ面持ちで自宅で練習するフリゼール。飛行機の中で譜面とにらめっこしたかと思えば、楽屋でおどけてダンスを踊るコニッツ。赤ん坊をあやすヤコブ。長閑で平和な日常までもがあますところなく活写されている。北欧ならではの、フィヨルドや白夜の風景の美しさにも息を呑む。オフショットといえば、モーガンが自宅で竹村延和やニール・ヤングのアルバムを聴いたり、ヨガのような体操をする場面も。ミュージシャンの日常を垣間見たようで、少し得をしたような気分になれるはずだ。
あるミュージシャンは、「どんな気持ちで演奏しているか?」との問いに3分ほど沈黙する。言葉につまり、何と答えていいのか分からない顔がアップになる。これが案外、音楽の、そしてジャズの、本質を射抜いているかもしれない。それと、みんなお洒落で服装がスタイリッシュだ。カジュアルなネルシャツやセーターの着こなしがさりげなくも似合っている。それも瀟洒だがキメキメじゃないのがいい。トーマス・モーガンの眼鏡が洒脱だな、なんて再発見もある。
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冒頭、コニッツは若いミュージシャンが自分に教えを乞うてくることをいぶかしむ。だが、コニッツの技を継承した若手が、今度は年下の音楽家に自分の持つものを渡してゆくのだ。このシーンは本作のテーマを端的に表現している。それは、過去の豊穣な音楽遺産を未来へとバトンタッチすることの意義と意味の尊さや重要性だろう。
また、本作にもうひとつ隠しテーマがあるとしたら、それはミュージシャンにとっての“老い”という問題だろう。ヤコブは来日時のインタヴューで「コニッツの音は年を経るにつれてか弱くなってきたけれど、それがより感動的に思えた」と話してくれた。老いはここでは成熟や爛熟と言い換えてもいい。年齢を重ねることで熟れたサウンドを出すようになる彼らの最期を見届けるような趣きが、本作にはある。
モチアンは2011年に、スタンコ2018年に、クリステンセンとコニッツは2020年に没している。が、彼らがいなくなっても、その音楽は後続によって発展期に継承され、さまざまに形を変え、時にアップデートされながら未来へと続いてゆく。本作はその甘美な道のりを共有できる稀有な映画でもあるだろう。
MOVIE INFORMATION
「ミュージック・フォー・ブラック・ピジョン ――ジャズが生まれる瞬間――」
監督:ヨルゲン・レス/アンドレアス・コーフォード
出演:ヤコブ・ブロ/リー・コニッツ/ポール・モチアン/ビル・フリゼール/高田みどり/マーク・ターナー/ジョー・ロヴァーノ/ジョーイ・バロン/トーマス・モーガン/マンフレート・アイヒャー ほか
原題:Music for Black Pigeons
字幕:バルーチャ・ハシム
配給:ディスクユニオン
(2022年/デンマーク制作/92分)
2025年2月28日(金)より ヒューマントラストシネマ渋谷、シネ・リーブル池袋ほか全国公開予定
https://www.musicforblackpigeons.com/