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「バクステル、ヴェラ・バクステル」©1975 Sunshine

 シネマ・ディフェラン(le cinéma différent)といわれる。異(質)な映画、異(和)の映画とでも呼びたいところだ。ふだん知っている多くの映画、ストーリーがあり、ふつうにひとがことばを交わし、音がし、音楽がなる、そういう映画とはずれる。目の前にうごく映像があり、錯覚なのだけれども、いつか、いつしか、ほんとうであるかのように追っていき、ストーリーが紡ぎだされ、感情がうぞうぞとうごく。そうした映画の、ごくふつうの映画の体験からはなれたところに、デュラスの映画はある。たぶん、ひと言でいえば、退屈、なのだろう。ひっぱってゆくことのないような、変化の極端にすくない映像。フランス語で駆られる起伏のない声。沈黙の、黙っている、声を発さない、空間と時間。空虚で、どこか場違いのようでさえあるような音楽。

ゴダール:ぼくの考えでは、映画はしゃべり過ぎだ。とりわけ文章を繰り返している、書かれたものを繰り返している。ぼくがあなたの映画作品を好きなのは、それらの作品が映画から生まれたものではなくて、映画を横断するものだからです……。

デュラス:私は自分のテクストを映画に合わせているのよ。映画といっしょに見たり、聞いたりするテクストをただ投げ出すわけにはいかないわ。本の中だったら投げ出せばいい。本の中で読まれるためのテクストであればね。〔映画では〕スクリーンを起点にテクストの読みを組織しなければならない。だから、本と映画ではやはり同じではないの。(1979年の対話)

 すごく乱暴なこと、多くのひとに非難されそうなことを言ってしまえば、デュラスの映画は、ふつうのエンタテインメントの映画、みているといつのまにかいまここにいることを忘れ、映画の世界にはいってしまう、そういうのとはべつの映画、けっして没入させないし、現実にいま・ここで生きていることを忘れさせない、むしろ映画によって生の、性の居心地のわるさをぎりぎりと腰のあたりに感じさせてしまう、そういう映画。

 あれこれについていろいろなことを書くというだけでは十分ではないと言いたい。テクストが「外に出る」必要がある。テクストが言われる必要がある。声によって。だから、これらは完全には著作ではない。言われるためにも書いたのだから。言うことができるのだから。テクストが声をとおして現われるように、区切りを入れた。こうしたことは、私自身のものも含めてすべてのテクストについて言えることはなく、言えるとしたら、これらのテクストについて。これらのテクストについてなの。(暗黒の洞窟)

「インディアソング 」©1975 Sunshine

 デュラスの、ここにある以外の映像作品にふれる機会を持つことが、ちかい将来、あるだろうか。「インディア・ソング」に先行する「ガンジスの女」が、短篇「セザレ」「ネガの手」が、オーレリア・シュタイネルのシリーズが。

 アテネ・フランセ文化センターでデュラス映画の特集がはじめておこなわれたのは、記憶に誤りがなければ、1980年代半ばだったか。世紀が変わり、何度か上映がおこなわれたようだが、残念、わたしは知らずにいた。だから、デュラスの映画を、どれだけのひとが実際にみているか、見当がつかない。はたして、DVDで、自室で、デュラスの映画をみることがいいのかどうか、よくわからない。暗くなった映写室で、いつのまにか睡魔に襲われ、寝息をたてているひとを感じながら、みる、じぶんの意識もいつか遠くなったり、妙にはっきりしたりしながら画面をみる、そうしたことが大事のような気がしないでもない。しかしそれはそれ。映像にふれる環境の変化もふくめ、いま、これらの作品がつくられたのとは異なった時代にいる。そして当時より鮮烈に、異(質)な、異(和)の、感覚をおぼえるとしたなら、それこそが作品の意味に、方向性に、ちがいない。

引用は、以下の2冊から。
『ディアローグ デュラス/ゴダール全対話』シリル・ベジャン編、福島勲訳、読書人
『デュラス、映画を語る』マルグリット・デュラス/ドミニク・ノゲーズ、岡村民夫訳、みすず書房

 


マルグリット・デュラス(Maguerite Duras)[1914-1996]
小説家、脚本家、映画監督。1914年、フランス領インドシナ・サイゴン生まれ。学業のためフランスに帰国し、1939年にロベール・アンテルムと結婚。1943年、処女作「あつかましき人々」を発表。自らの作品の映画化、舞台化にも取り組んだ。この頃、ディオニス・マスコロと知り合い、F・ミッテランの下でレジスタンス運動に加わる。アルジェリア戦争に反対し、1968年5月革命に参加、人工中絶解禁を求めるマニフェストに署名。1984年の自伝的小説「愛人」はゴンクール賞を受賞し世界的ベストセラーとなった。1996年3月3日、パリで死去。

 


寄稿者プロフィール
小沼純一(こぬま・じゅんいち)

早稲田大学文学学術院教授。音楽文化論、音楽・文芸批評。2020年の刊行は「sotto」(七月堂)、「しっぽがない」(森泉岳土の絵とともに、青土社)。この季節、リモートに疲弊し、むかいのねこに見張られながら、落葉掃きにかなりの時間をさいている。カキは終わったとおもったら、こんどはフジとモミジと、のんびりする余裕がない。あぁ、終わったなとおもうころにはきっと正月だ。