同じ綴りの名前、異質な映像とサウンドのソルフェージュ
ぼくが〈四人組〉と呼んだのはあなたたちのことです。フランスにも四人組は存在し、それは世界で唯一のことでした。それはパニョル、ギトリ、コクトー、デュラスです。彼らは作家ですが、映画制作を行い、専門の映画作家たちに勝るとも劣らない作品を作った人々です。なるほど、彼らは映画作家である前に作家です。しかし、映画界で彼らがなしたことがあってこそ、ぼくたちは信じることができた。彼らの作品には偉大さと力強さがありました。
ほかならぬジャン=リュック・ゴダールの発言である。「ディアローグ デュラス/ゴダール全対話」に収められた、1987年の対話に読める。
マルグリット・デュラスという名は作家として知られる。ほとんどの作品は翻訳され、なかには「愛人 ラマン」のように、かなり評判になったものもある。いまどのくらい読まれているか、知られているかはよくわからないけれど、現在でも対話や関連書がぽつりぽつりと翻訳は刊行されつづけており、ゴダールとの対話もそのうちの1冊だ。
上記の発言にあるように、デュラスは作家であり、また映画作家でもある。はじめのうちは、小説が映画化されたり、シナリオを書いたりした。アラン・レネの「二十四時間の情事」(1959)があり、ピーター・ブルックの「雨のしのび逢い」(1960)が、ジャン=ジャック・アノーの「愛人/ラマン」(1992)があった。だが、1970年代になると、みずからがメガフォンをとるようになる。撮られた映画は長短あわせて十指を大きく上回る。そんなデュラスの映像作品が、ボックスとしてリリースされる。
収録は5作品。「インディア・ソング」(1974)、「ヴェネツィア時代の彼女の名前」(1976)、「バクステル、ヴェラ・バクステル」(1976)、「トラック」(1977)、「船舶ナイト号」(1979)。
カルロス・ダレッシオのけだるい音楽がなり、デルフィーヌ・セイリグとミシェル・ロンズデールの存在感が強烈な「インディア・ソング」。これとまったくおなじサウンドトラックを用いながら、人物があらわれてこない「ヴェネツィア時代の彼女の名前」。
ただ、私にとっていろとは、いいこと、着色された色ではないのよ。それは『トラック』や、『インディア・ソング』や、『ヴェネツィア時代の彼女の名前』の色。それは、ほとんど検視しなければならない、ほとんど見抜かなければならないような色。たとえば、前と横への移動撮影の終わりに、庭園の青の発見がある。私たちはふたりとも映像に没入している、と突然ブリュノ・ニュイッテンが撮影をはじめ、非常にはかない青い色に出会う。これが私にとっての色。/私にとって、自分が映画でやったもっとも重要なことを表しているのは、『ヴェネツィア時代の彼女の名前』ね。(…)『インディア・ソング』がなかったら、私はこれをつくれなかった。けれど、『ヴェネツィア時代の彼女の名前』の企てにある革新は、もっと大事。私は『ヴェネツィア時代の彼女の名前』を同じ音からつくった。これは映画史上前代未聞のことよ。それで最初、誰も理解できなかった。私が既存の音を利用したということを。新しい映像をつくるのに。(「イギリス人墓地」)
デュラスの小説には、アンヌ=マリー・ストレッテルという人物がでてくる。何作にもわたって。「インディア・ソング」にも、だ。映画のなかでそう呼ばれる女性がいる。映画をみているものは、デルフィーヌ・セイリグがそうだとおもっている。信じている。でも、デュラスは拒否する。
世界中の映画の悲惨、途方もない悲惨とは、人物が表象可能だと思い込んでいることね。小説の主人公たちとか歴史上の登場人物を表象できると思っていること。(…)アンヌ=マリー・ストレッテルを、私は表象しなかった、身体的に適していたデルフィーヌ・セイリグをとおして、私はアンヌ=マリー・ストレッテルの一種の近似物を提示したの。彼女は、この女性についての思い出にふれるものがあった、非常にブロンドで、非常に淡い色の眼の、非常にブロンド、ほとんどリネン・ブロンドで、きわめて明るい眼の彼女の。(言葉の色)