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マーリー・マールやドクター・ドレー、プロデューサー主導アルバムの系譜

プロデューサーによるリーダー作の初期の例としては、NYのプロデューサーのマーリー・マールが88年にリリースしたアルバム『In Control, Volume 1』が挙げられる。マーリー・マールはサンプリングによるビートメイクを始めたパイオニアで、ビッグ・ダディ・ケインやビズ・マーキーといったジュース・クルーの作品を手掛けて注目を集めた。ヒップホップ史における初期の〈スーパー・プロデューサー〉となったマーリー・マールが、ソロ・アルバムを制作したのは自然な流れだったと言えるだろう。『In Control, Volume 1』にはジュース・クルーのメンバーを中心に多くのラッパーが参加。ビッグ・ダディ・ケイン、クレイグ・G、クール・G・ラップ、マスタ・エースの4人をフィーチャーした収録曲“The Symphony”は特に人気を集め、ヒップホップ史に残るマイク・リレーの古典として語り継がれている。

マーリー・マールの88年作『In Control, Volume 1』収録曲“The Symphony (Feat. Master Ace, Craig G., Kool G Rap & Big Daddy Kane)”

ラップもするアーティストではあるが、ドクター・ドレーの92年作『The Chronic』もほぼ全曲に客演を迎えたプロデューサーのリーダー作的な性格を持つアルバムだ。ラップ・グループ、 N.W.A.のメンバーとしてシーンに登場したドクター・ドレーの初ソロ・アルバムは、プロデューサーとしての側面を強調するようにスヌープ・ドッグやレディ・オブ・レイジなど多数のラッパーをフィーチャーしている。同作で提示した西海岸ヒップホップのスタイル、Gファンクの衝撃も相まってドクター・ドレーはN.W.A.時代を越える高い評価・人気を獲得。同作はヒップホップの金字塔となり、多くのアーティストに影響を与えていった。

ドクター・ドレーの92年作『The Chronic』収録曲“Bitches Ain’t Shit”。ドクター・ドレー、ダット・ニガ・ダズ、スヌープ・ドッグ、コラプト、ジュエルがマイク・リレーをする

その後もウォーレン・Gの94年作『Regulate... G Funk Era』など、プロデューサー主導で多数の客演を迎えたアルバムは次々と発表されていった。こうしてプロデューサーのソロ作品のあり方として、80年代後半から90年代前半にかけてヒップホップに定着した準コンピレーション的なアルバム作り。そして90年代後半に入ると、その波はプロデューサー以外にも広がっていった。

 

ディディ&バッド・ボーイの席巻からDJ主導アルバムの主流化へ

バッド・ボーイ・レコーズの社長、ディディは自らラップもするが、同レーベル所属ラッパーのノトーリアス・B.I.G.やメイスほどの実力はなかった。プロデューサーとしての活動でも単独でのプロデュースはほとんど見られず、共同プロデュースでのクレジットが多かった。

そんなディディが97年にパフ・ダディ&ザ・ファミリー名義でリリースしたアルバム『No Way Out』は、DJキャレド的な作品の走りと言えるリッチな作品だ。同作ではそのラップの弱さを補強するように、ブラック・ロブ(R.I.P.)やトゥイスタなど豪華ゲストを多数フィーチャー。プロデューサー・クレジットもあるが、多くの曲をバッド・ボーイのプロデューサー・チームであるヒットメンの面々と共に手掛けている。同作からはフェイス・エヴァンスと112を迎えたヒット・シングル“I’ll Be Missing You”のほか、ロックスとノトーリアス・B.I.G.、リル・キムとのマイク・リレー“It’s All About Benjamins”など多くの名曲が誕生。本人のラップを主役とせず、本人がビートメイクも行わずに傑作となった(余談だが、私はこの手のラッパーを〈社長ラッパー〉と呼んでいる)。

パフ・ダディ&ザ・ファミリーの97年作『No Way Out』収録曲“It’s All About The Benjamins (Feat. The LOX, The Notorious B.I.G. & Lil’ Kim)”。プロデューサーはリック・“D・ドット”・アンジェレッティとヒットメン

『No Way Out』の影響なのか、この時期からプロデューサー以外の人物による準コンピレーション的な作品が増加していった。98年にDJクルーがアルバム『The Professional』をリリース。DMX(R.I.P.)やジェイ・Z、モブ・ディープら30組以上のラッパーやシンガーを招集した。同作はDJクルーのプロデュース曲もあるが、バックワイルドやスウィズ・ビーツなど他のプロデューサーを起用した曲も収録したDJキャレド的な作品だ(ただし、DJクルーの方がよく喋る)。

DJクルーの98年作『The Professional』収録曲“Ruff Ryders’ Anthem (Remix) (Feat. DMX, Drag-On, Eve, Jadakiss & Styles P)”。プロデューサーはスウィズ・ビーツ

2000年にはトニー・タッチも同じように豪華な面々を集めたアルバム『The Piece Maker』をリリース。これらの作品は高い評価を得られたものばかりではなかったものの、DJキャレド的な作品はシーンに定着していった。

こうして、90年代後半からプロデューサーのリーダー作以外の形でも根付いていった準コンピレーション的な作品。そして2000年代、いよいよDJキャレドの活動が本格化。ブレイクを掴み、この分野での第一人者となっていく。