ラップ神がまたも賛否を巻き起こしている。虚構と現実を暴言で行き交うスリム・シェイディは本当に殺されたのか? その死は何を意味するのだろうか?
スリム・シェイディの死
今年の4月にXに投稿された〈Detroit Murder Files〉なる犯罪ドキュメンタリー風の動画によると、スリム・シェイディが何者かによって殺害されたのだという。翌5月13日にはデトロイトの新聞「Detroit Free Press」紙にてスリム・シェイディの訃報が掲載された――そんな凝ったプロモーションを経て7月にリリースされたのが『The Death Of Slim Shady (Coup De Grâce)』。エミネムにとっては新曲入りのベスト盤『Curtain Call 2』(2022年)に続く作品で、 オリジナル・アルバムとしては『Music To Be Murdered By』(2020年)以来4年ぶりの新作だ。
そもそも〈スリム・シェイディ〉といえば、97年の『Silm Shady EP』でエミネムが生み出したオルターエゴである。もともとはローカル・デビュー作『Infinite』(96年)がまるで評価されないフラストレーションの捌け口として思い浮かんだキャラクターだったそうで、そのアイデアを用いて作り上げた『Silm Shady EP』では、後のメジャー・デビュー作『The Slim Shady LP』(99年)にも収まる“Just Don’t Give A Fuck”や“Just The Two Of Us”(“’97 Bonnie & Clyde”に改題)など、現在に至るまでのエミネム像の原型が形作られていた。ストーリーテリングを駆使する雄弁なスタイルも別人格の視点を手に入れてから磨かれていったもの。何より、そのEPをインタースコープのスタッフから受け取ったジミー・アイオヴィンに聴かされてすぐにドクター・ドレーは契約を決めたとされているわけで、言うなればスリム・シェイディはエミネムの飛躍を決定づけた恩人でもあるのだ。
もっとも、ブラックユーモアを交えたホラーコア的な創作の要素が強かった『The Slim Shady LP』において、そこで不届な暴言を吐く無鉄砲な姿はオルターエゴの振る舞いだったはずが、徐々にその姿勢が生身のマーシャル・マザーズと同一視されるようになっていったのは、本格的にブレイクを果たしたヒット・シングル“The Real Slim Shady”を含む次作『The Marshall Mathers LP』(2000年)からもわかる通り。エミネム自体の存在が肥大するにつれて、漫画的なキャラのコミカルな毒舌はアンチ・ヒーローたるエミネムのショウと見なされるようになり、パーソナルな色合いを濃くした2002年の『The Eminem Show』ではより成熟した主役本人の目線を主軸とすることでスリム・シェイディの存在は後退していった。薬物中毒のリハビリによるブランクを経た『Relapse』(2009年)や『Recovery』(2010年)は内省的な部分を強調するもので……と、作品を重ねながら徐々に生身のラッパーとしてスキル面でも神格化されるようになったエミネムにとって、本来の意味でのスリム・シェイディを召喚する必要は徐々に薄まってきていたはずだ。にもかかわらず、わざわざ彼が今回スリム・シェイディの死を表現することにこだわったであろう理由は、アルバムの構成そのものに隠されている。