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佐内正史

ガード・レールを撮ったら日本一

――実際に、清志郎さんにお会いになったときは、どう感じましたか?

「清志郎さんに初めて会ったのは90年代ですけど、明るい気持ちになりました。〈あれ? 何か明るいなあ、ラーメン食べに行きたいなあ〉とか」

――ラーメンを食べに行きたくなる明るさとは(笑)?

「何か、そういう気分になれるんですよ。とっつきにくいようなところは何も感じなかったです。

最初に喋ったのは97年ですかね。〈ちょっと写真を見てください〉って言って、このガード・レールの写真を見せたら、〈いいっすね〉って言ってくれて。〈ああ、東京に出てきて良かったな〉って思いました」

佐内正史のガード・レールの写真。限定盤に付属する写真集「ANGEL」に収録されている

――そこは感激があったんですね。〈あの忌野清志郎だ!〉みたいな感じにはならなかったですか。

「う~ん、ならなかった。(当時の)俺、もうぶっ飛んじゃってたから(笑)。まあ、〈あの忌野清志郎だ!〉っていう気持ちもあったんだろうけど、それよりも何か得体の知れないものの方があったというか。擬態音みたいな感じですかね。(両手で顔を覆いながら)〈ああ~あああ~!〉って思ってた。(荒い息遣いで)ハァハァって」

――文字で伝えるのはなかなか難しいですが(笑)、荒くなった自分の息を整える感じですか?

「なんか普通に話しているんだけど、〈あの忌野清志郎だ!〉っていう風には全く思わなくて、でも〈ああ、ああ〉って顔を押さえて、呼吸を整えるだけしかできないというか。ただ、鳥肌がずっと立っていたと思います。

その後、撮影で清志郎さんを撮ることになったんですけど、何を撮っていいかわからなくて。そのときに自分が住んでいた部屋に清志郎さんに来てもらって、ママチャリを部屋に入れて乗ってもらったんですけど、自分が何を撮っているのかさっぱりわからなかった(笑)。おしゃれでもないし、何も意味がわからないですよ」

――どういうシチュエーションで撮るか、全部佐内さんに任されていたわけですか。

「そうなんですよ。それでママチャリ。外じゃないですよ? 部屋の中にママチャリを入れて。荻窪の狭い俺の部屋に、〈ピンポーン、忌野です〉って清志郎さんが来て。〈あ、自転車お願いします〉ってお願いして、(顔を押さえながら)ハァハァって。

それは、まだ俺が〈光っちゃってた〉頃なんですけど。そのときは一番最初の『生きている』(97年)という写真集が出たばかりで。その中で、清志郎さんが〈いいっすねえ〉って言ってくれたのがガード・レールの写真なんです。(清志郎は)〈ガード・レールを撮ったら日本一〉って、他のところでも言ってくれて。

その1年後の98年に、〈佐内君のガード・レールの写真を模写させていただきました〉って清志郎さんから電話があったんです。タワーレコード新宿店に飾られていた壁画をよく見ると、その絵が中に描いてあるんですよ。

忌野清志郎が98年、タワーレコード新宿店のオープン時に描き下ろした「大壁画」
写真提供:ベイビィズ

それから〈佐内君、良いガード・レールがあるんで、撮りに行きませんか〉って連絡が来るようになって、一緒にガード・レールを撮りに行ったりとか、人の家の金魚鉢を撮りに行ったりしました。

そういうことを経て、(一緒に)仕事をするようになったんです。(『ANGEL』のガード・レールの写真の見開き右ページを指しがら)〈佐内君、仕事してる? どうなの?〉〈はい!〉って」

――なるほど、この写真はそういう構図なんですね。

「仕事しないでこんなのばっかり撮ってたら、やっぱりやっていけないですからね。〈俺、あんまり仕事とかしねえし〉っていう時期が90年代にあったんだけど、(清志郎が)〈ちょっとそういうのはよくないねえ。仕事もしなきゃね〉って」

――実際にそう言われてたんですか?

「〈佐内君は、地味だねえ〉って言われました。地味な人生っていうか(笑)。(当時の自分は)閉じてたんだと思うんですよ。さっき話した、海の底の方にいたので。自分の世界があるので、別に外の世界には興味がない感じだったんです。だから、『シングル・マン』みたいな感じだった。綺麗な写真は撮れるんだけど、重たいというか、なんか地味なんですよ。

(今でも)そこにはすぐ行けちゃうんだけど、行かないようにしてるんです。ちょっと寒くなってくると、甲州街道とか歩いちゃって、〈冬に向かっちゃう〉自分もやっぱりいて。〈ああ~あそこに行きたくないな〉ってなっちゃうんです。だから、(天を見上げて手を合わせながら)〈清志郎さん、俺、冬に行きたくないです~〉って昨日もやってました(笑)」

RCサクセションの76年作『シングル・マン』収録曲“甲州街道はもう秋なのさ”

 

話しちゃうと壊れちゃうことがある

――『KING』はどのように感じながら聴いていたのでしょうか。

「冬には向かってないですね。いいと思いますよ。なんでだろう? 全然軽く聴ける感じ、洗い物をしながら聴ける感じがします。『シングル・マン』は洗い物をしながら聴けないというか、ちゃんと向き合って聴こうとしちゃうんですね。ちゃんと聴き流せるものしか、今は聴きたくないです」

――佐内さんがジャケット写真を撮影してから18年を経てリイシューされたのが『KING Deluxe Edition』ですが、今聴いても軽く聴けますか?

「軽いですね。すごく軽い。ちょうど、一番いいんじゃないかなあ。一番軽いかも。RCもちょっと、重たく感じるときがあるんですけど、『KING』は何も重くない。〈パッ〉っと作って、〈ポッ〉っとした光の中にいるんです」

『KING Deluxe Edition』ティザー

『KING』ジャケット

――そうした『KING』の印象が、ジャケットを撮影したときに反映されているのでしょうか。

「いや、とくに何も訊かないで撮影したので。清志郎さんの家に行って、〈う~ん、雨ですねえ。スーツにしますか?〉〈いいですねえ。中は白かな?〉〈そうですね、白いシャツでいいんじゃないですか〉〈ネクタイどうしよう?〉〈ネクタイはなくてもいいですかね〉〈靴下は?〉〈靴下も履かないで、サンダルでいいですかね〉〈じゃあ、そうしますか〉。あとはその場で考えるというか、公園に行って、〈ああ、この雑草いいですね〉とか、ただ公園を歩いているように撮った感じでした。本当に、〈こうしたい〉とか決めないようにしていて。

道を歩いていて、角を曲がったら匂いが変わることとかあるじゃないですか? この通りを渡ったら世界が全部変わっちゃうとか。〈あっ〉って思うことって、そういう小さなことだと思うので。そのときの、体で感じたままでしかないんですよね。そのときの、全部。

きっと、(当時の撮影は)『KING』の曲作りにも近いんじゃないですかね? スタジオでセットアップして〈よし、写真撮りますか〉とかじゃなくて、なんとなく〈撮ってみましょう〉って」

――たしかに、先日取材した共同プロデューサーの三宅伸治さんが、なんとなくスタジオで遊びながらアルバム作りが始まったとおっしゃっていました。

「たぶん、緊張感はあったと思うんですけど、深く潜らないようにして作ったんだと思います」

――そこが自然に佐内さんの撮影した写真と近くなったわけですね。

「そうですね。そのへんはお互いに訊かずに、話していないですけど。話しちゃうと壊れちゃうことがあるので、話してはいないですけど、(清志郎の顔を見て)〈ああ、はい、はい!〉って(笑)」

――佐内さんの方からも、〈ここに立って、こうしてください〉とか言わないんですか?

「2人とも言わないんですよ(笑)。〈んんっ?〉〈んんっ?〉って(アイコンタクトで)。なんていうか、言葉はないんですよ」

――ジャケットになっている、清志郎さんが立っている写真を撮ったときはどんな感じだったか覚えていますか。

「この柵が、〈これ、佐内君好きそうだね〉みたいに、なんとなくそう思って自主的に立ってくれたんだと思います。

これ、(清志郎は)ちょっと斜めに立ってるんですよ。少し前のめりで。そういうアプローチが微妙なんですよね。真っすぐ立ってるのを撮ろうとすると、ちょっと体を〈クッ〉と斜めにするんですよ。〈どういう感じなんですか、これは!?〉って思うんですけど、それは言わないで、〈はいっ!〉って(笑)」

――言わないんですね(笑)。

「言わないんですよ(笑)」