2023年6月7日、RCサクセションの『Baby a Go Go Deluxe Edition』がリリースされた。初のアナログ盤とリマスターCD、ギミックジャケットや写真集などで構成された豪華盤で蘇る、90年発表のラストアルバム。メンバーの脱退や制作の難航、リリース後の活動休止などトピックの多い作品ではあるものの、サウンドの大きな変化や忌野清志郎と仲井戸麗市が歌ったことは語られる機会が少ない。
そこで、当時の東芝EMIの宣伝担当としてバンドと清志郎を間近で見ていた高橋Rock Me Babyに、タワーレコード新宿店の副店長・村越辰哉が話を聞いた。6月6日に放送されたbayfm「78 musi-curate タワレコゾーン」のトークを、未放送分を含めて完全版でお届けする(なお、トークの模様は忌野清志郎ファンクラブの会報誌「どんちゃん画報」にも掲載されているので、そちらもぜひチェックしてほしい)。
デビュー20周年、上昇気流のバンドと脱退劇
――僕がRCサクセションのアルバムをリアルタイムで初めて聴いたのが『Baby a Go Go』でした。当時は違和感なく、素敵なアルバムとして受け取ったのですが、RCの歴史を知った今聴くと、異色作ですよね。どうしてここに着地したのか、お伺いしたいと思います。
「RCサクセションは、90年がデビュー20周年だったんです。なので、当時の東芝EMIは、1~12月に毎月雑誌の表紙を飾ることを背骨に盛り上げていきたいと考えていました。『COVERS』(88年)が弾圧によって発売中止になったことがニュースになってヒットし、清志郎さんはTHE TIMERSもヒットして、新しい上昇気流を描いている時でしたね。
さらに、当時スターだったプリンセス プリンセスやユニコーン、BOØWYの氷室京介さん、布袋寅泰さんも、RCからの影響を公言してくれていた。チルドレンが活躍し、頂点にいる日本のロック界で初の偉大なバンドということで〈THE GREAT RC SUCCESSION〉というコピーが使われる存在になっていたんです。
80年の『RHAPSODY』から始まった、そんな5人のバンドをお祝いして売っていこうとしていたのですが、4月にG2が脱退し、4人になってしまいました」
――なるほど。
「90年は、新作の発売日を頂点にプロモートする予定だったんです。『COVERS』が出せなくなって揉め事になり、THE TIMERSで色んな出来事があって、東芝EMIは一般リスナーから敵対視されることもあったのに、90年は〈全面的に応援します! 宣伝費もいくらでも出します!〉という感じだったので不思議でしたね。
90年は、チャボさん(仲井戸麗市)がソロアルバム『絵』をリリースして、新井田(耕造)さんとリンコさん(小林和生)、『Baby a Go Go』のプロデューサーで、同作をあの形で作るきっかけになった春日博文さんと4人でツアーを回っていました。清志郎さんは2月に、イアン・デューリー&ザ・ブロックヘッズのライブにゲストで出ています。
4月には〈ロックの生まれた日〉というイベントがありましたが、このイベントは元々タイトルが〈電気のいらない日〉だったんです」
――へー!
「近藤(雅信/当時の東芝EMIの宣伝担当)さんの発案で、東芝のアーティストが電気楽器を使わないユニットを作る、という。例えば、ちわきまゆみさんと伊藤銀次さんとブラボー小松さんが一緒にやったり、山口冨士夫さんとTHE PRIVATESの延原達治さんがやったり。
イベントのトリは清志郎さんと坂本冬美さんと三宅伸治さんで、〈SMI〉として出演したんです。後にHISでやる“逢いたくて 逢いたくて”とか“パープル・ヘイズ音頭”とかをやりました。ちなみに、〈SMI〉というのは坂本冬美さんの〈S〉、三宅伸治さんの〈M〉、忌野清志郎の〈I〉で、EMIのパロディなんです。そのイベントは大阪野音(大阪城音楽堂)と東京の日比谷野音(日比谷公園大音楽堂)で行われたのですが即日完売で、すごく盛り上がったんです。
そのようにメンバーはそれぞれアザーワークで活動していましたが、RCのレコーディングもだんだん始まっていました。(『Baby a Go Go』に収録されている)“あふれる熱い涙”は、前年の日比谷野音公演でもやっています。なので、あの曲を最初に録って、ラフミックスを元にプロモーションビデオを作ろう、という話になりました」