笹路正徳がプロデュースしたニューウェーブ〜アーバンコンテンポラリー作品にして、シンガー・村上リエの唯一作『SAHARA』(84年)がタワーレコード限定でリイシューされた。笹路を中心に当時のフュージョン周辺シーンの手練が参加した本作は、長らく知る人ぞ知るアルバムだったが、今回ついにリマスターで再発。シティポップの視点からも再評価が進むこのアルバムの魅力を、〈Light Mellow〉で知られる音楽ライターの金澤寿和が解説する。 *Mikiki編集部
80年代、女性ジャズシンガー人気に呼応した村上リエ
起点はおそらくマリーンだったのではないか? フィリピンの天才少女として来日し、日本でデビューしたポップシンガー:マリリンがクロスオーバー路線に進路変更。マリーンとして再デビューしたのが81年である。もちろんその背景には、マリーナ・ショウやパティ・オースティン、ランディ・クロフォード、アンジェラ・ボフィール、ディー・ディー・ブリッジウォーターなどがいたし、日本のジャズシーンにも笠井紀美子や中本マリ、大野えりらがいた。何より〈ネクタイ族のアイドル〉とされた阿川泰子の成功にシーンは騒然。そこで、ジャズをベースにポップスの要素も吸収している若手女性シンガーをリサーチする流れが現れた。積極的だったのがビーイングで、82年に現女優の秋本奈緒美、〈キャンディ・ジャズ〉で売り出した麻生小百合を相次いでデビューさせ、キュートなジャズシンガー系譜に先鞭をつけている。
それに呼応したのが村上リエだ。デビューは84年。ジャズミュージシャンがクロスオーバーに挑戦したネイティブ・サンのドラマー村上寛を叔父に持ち、小5で「ビリー・ホリデイ物語」(ダイアナ・ロス主演)を観てジャズに惹かれたそうだ。ミネソタ留学中にボーカルコーチにつき、帰国後本格的にジャズシンガーを目指すことに。そしてネイティブ・サンのツアーに同行して歌ったり、益田幹夫や鈴木勲、山本剛などジャズメンのステージを経験。この唯一のアルバムでも、本田竹広のピアノとのデュオがエピローグにあるのは、その頃の名残りと言える。全編英語で歌ったのも、普通のポップシンガーから一線を引くのが狙いだろう。
マライア笹路正徳の挑戦的なアレンジ
メインのプロデュース&アレンジは、マリーンのデビューにも尽力した笹路正徳。今でこそプリンセス プリンセス、ユニコーン、スピッツ、コブクロなどを成功させた敏腕プロデューサーとして知られるが、元々ジャズピアニストとしてスタートし、80年代初頭は先鋭的要素を持つリアルクロスオーバーユニット:マライアに在籍。ジャズフュージョンやプログレッシブロック、テクノ、ニューウェーブと、ボーダーレスな活動を展開していた。渡辺香津美率いるKAZUMI BANDでも、マライア選抜隊と共に前衛的ロックフュージョンを聴かせている。
実を言えば、このマライアもビーイング所属。でもビーイング全盛は90年代に入ってからで、本作発表時はまだ黎明期。B’zどころかTUBEさえデビューしておらず、マライア勢を中心に様々な音楽的トライアルを行なっていた。先般、ザ・ウィークエンドが“Midnight Pretender”をネタにして話題をさらった亜蘭知子『浮遊空間』のリリースが、本作の半年前である。
アートワークを見れば、ヤングアダルトによる爽快ポップ作品的イメージ。だがジャズの素養を生かしてか、曲調はかなりバラエティー豊かだ。実際かなりブッ飛んだトラックもあり、ともすると支離滅裂になってしまいそう。でも笹路の編曲の才、サウンドクリエイターとしての創造力が、それをアルバムにうまく昇華させている。シティポップや和モノ・レアグルーヴに詳しい方なら、同じマライア・ファミリーの村田有美(コーラスで参加)、村上を追うように出てきた高村亜留を思い浮かべていただくと近いか。