80s最強のポップ・ロック・バンド、ヒューイ・ルイス&ザ・ニュースを聴こう!
40年前にあたる1983年、ビルボードの年間チャートで首位に輝いたアルバムはもちろん、前年冬から社会現象となっていたマイケル・ジャクソンの『Thriller』(82年)である。そして、そんな作品が猛威を振るうなかで世に出たのが、ヒューイ・ルイス&ザ・ニュース最大のヒット作『Sports』だ。83年9月にリリースされたそのアルバムはしぶとくロング・ヒットを続けながらチャートを上昇し、翌84年6月にはついに全米No.1を獲得。なお、その84年に全米1位に達したアルバムはわずか5枚しかなく、前年からの快進撃を続けた『Thriller』の他には、一世を風靡した映画のサントラ『Foot Loose』が10週連続、ブルース・スプリングスティーンの『Born In The U.S.A.』が4週連続、そしてプリンスの『Purple Rain』が(翌年まで)24週連続と、化け物クラスの作品が頑丈な長城を築いていた年だったわけだ。何を言いたいのかというと、そんななかでロングセラーとなってリリース9か月後に頂点に立った『Sports』とヒューイ・ルイス&ザ・ニュースの人気がどれだけデカかったか、ということである。日本でも映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」(85年)主題歌の“The Power Of Love”がお茶の間にも波及する象徴的なヒットとなった彼らだが、それ以前から本国での支持はトップクラスだったということだ。
もちろん、彼らのイメージは後の世代が思い描く〈80年代っぽさ〉とは大きなギャップがあるのかもしれない。リアルタイムでない世代にとっての80年代は、いかにもMTV映えしそうなヴィヴィッドな音楽性や奇抜なキャラクター、ヴィジュアルということになろうが、このバンドのフロントマンであるヒューイ・ルイスはトラディショナルに洒落込んだロックンロールの色男といった雰囲気。ただ、多くのスターが名を連ねたUSAフォー・アフリカの“We Are The World”(85年)でリード歌唱メンバーに選ばれたルイスは確実に時代を代表する声のひとつであり、ヒューイ・ルイス&ザ・ニュースもまさに80年代を象徴するバンドのひとつであったのだ。
今回は『Sports』の40周年というタイミングもあって、過去の代表作がハイレゾCD/紙ジャケ仕様でリイシューされ、同時に日本でリリースされたシングル曲とMVを網羅した『Huey Lewis & The News Japanese Singles Collection -Greatest Hits-』もコンパイルされる。時代を席巻した彼らの輝きをこの機会に再確認してみたい。
そんなバンドの歴史は、NY出身のヒューイ・ルイス(ヴォーカル/ハーモニカ)とサンフランシスコ出身のショーン・ホッパー(キーボード)がベイエリアのクローヴァーというバンドに加入した72年に始まる。ルイスは白人ながら黒人居住区で育ったことで自然とリズム&ブルースやソウルに親しんで育ち、コーネル大学に進むも退学してサンフランシスコへ引っ越していた。そのクローヴァーはニック・ロウの誘いで英国に拠点を移してパブ・ロックのシーンでしばらく活動。ルイスを除くバンドの面々はエルヴィス・コステロの初作『My Aim Is True』(77年)でバックの演奏を務めるなどした。
その後ベイエリアに戻ったクローヴァーの好敵手となったのはサウンドホールというバンドで、そこに在籍していたのがビル・ギブソン(ドラムス)、ジョニー・コーラ(ギター/サックス)、マリオ・シポリナ(ベース)といった顔ぶれ。そんななか、78年にフォノグラムとレコード契約を結ぶとルイスは彼らを束ねて新しいバンド、ヒューイ・ルイス&ジ・アメリカン・エキスプレスを結成する。そのデビューは不発に終わったものの、クリス・ヘイズ(ギター)も加えたメンバーたちとバーで演奏していた時期に後のマネージャーから見い出され、6人組で新たにクリサリスと契約を結ぶに至った。そして、同名クレジットカード会社からのクレームを恐れたレーベル側の要請によって、バンドはその名をヒューイ・ルイス&ザ・ニュースに改めている。
その後の成功へのステップは、今回リイシューされる名作群の中身が示す通りだ。デビュー作『Huey Lewis And The News』(80年)は不発に終わるも、2作目『Picture This』(82年)はロバート“マット”ランジによる“Do You Believe In Love”のヒットに後押しされる形で人気を拡大。翌83年にはもう先述のサード・アルバム『Sports』が登場して、彼らは国民的バンドのひとつに成り上がっていくことになる。
往年のリズム&ブルースに影響を受けたルイスの歌唱は当時としても古めかしいスタイルと見なされていたはずだが、それをモダンに響かせたのがバンドのサウンドだった。スタジオではリンドラムやシーケンスとの融合を試みるなど、トラディショナルなバンドを装いつつテクノロジーに柔軟に対応したキレのある音作りが彼らの躍進のキモであったのは明らかで、そこに骨太で生々しい歌声が融合することでバンドは幅広い層からの支持を獲得することに成功したのだ。『Sports』からは4曲ものTOP10ヒットが生まれ、それに続いては先述の“The Power Of Love”(85年)が初の全米1位をマーク(この年には来日して日本武道館で4日公演を行っている)。続く『Fore!』(86年)からは2曲のNo.1を含む5つのTOP10ヒットが誕生している。
そこが全盛期だとして、以降の彼らは多くの80sスターと同じく(コマーシャルな意味では)緩やかに失速していくことになる。が、この時代を不動のメンバーで駆け抜けた勢いの凄さや創造性の高まりは、続く5作目『Small World』(88年)や最後のゴールド・ヒットとなった6作目『Hard At Play』(91年)を聴けばわかることだろう。なお、その後のバンドはレーベルを移籍しつつ定期的にリリースを重ね、シポリナは95年に、ヘイズは2001年に脱退。それでもルイスを含む4名のオリジナル・メンバーは固い結束で結ばれ、21世紀に入ってからも断続的にアルバムを発表してきた。
なお、ルイスは2018年の全米ツアー中に突如として聴力の大半を失い、内耳障害であるメニエール病と診断。それ以降は治療に専念している状態だ。その発病前の時点で計画/録音されていたアルバム『Weather』は2020年にリリースされており、現時点でそれが彼らの最新作ということになる。そんななか、今回の『Huey Lewis & The News Japanese Singles Collection -Greatest Hits-』のインナーには闘病中のルイスからのスペシャルな直筆メッセージも掲載されているそうだ。その回復を祈りつつ、このコレクションも楽しんでみたい。
ヒューイ・ルイス&ザ・ニュースのその後の作品。
左から、2001年作『Plan B』(Silvertone)、2010年作『Soulsville』(W.O.W.)、2020年作『Weather』(BMG)