沢田研二が1975年8月21日にリリースしたシングル“時の過ぎゆくままに”。自身主演のドラマ「悪魔のようなあいつ」の主題歌として、阿久悠が初めてジュリーに作詞した楽曲であり、沢田研二のシングル史上最大のセールスを記録したことでも知られている。その後、12月21日発表の7thアルバム『いくつかの場面』に収録された。今回、そんな歌謡曲黄金期を代表する名曲の発売50周年を記念して、ライター桑原シローにその魅力を綴ってもらった。 *Mikiki編集部
過激なドラマ「悪魔のようなあいつ」に重なる素のジュリー
横浜にあるバー〈日蝕〉で雇われ歌手をやっている可門良は、日めくりカレンダーに向かいながら、〈12月10日〉まであと××日と呟いている。それは世間を騒然とさせた〈三億円事件〉が時効を迎える日。彼は事件の犯人だった。しかしGLIOBLASTOMA(神経膠芽腫)という難病に冒された彼の病状は日々悪化の一途を辿っていく。時効成立までもう間近。苦しみもがきながら走り続ける彼にどのような結末が待っているのか?
日本映画史に残る名作「太陽を盗んだ男」の監督、長谷川和彦が脚本を手掛けたテレビドラマ「悪魔のようなあいつ」のあらすじである。主人公を演じたのは沢田研二で、そのドラマの主題歌/劇中歌として使用されたのが“時の過ぎゆくままに”だった。
1975年6月から全17話が放送された同ドラマは、過激な内容から長年封印されていてしばらくカルト化していたが、21世紀になってようやくソフト化が実現してからは、ジュリーの代表作のひとつとして数えられるようになる。言うまでもなく主題歌のほうは、ジュリー屈指の名曲として長年にわたって確固たる地位をキープし続けてきたことはよくご存じだろう。
場末で背中を丸めながらやつれた顔をして暮らしている男が実は人生を簡単にひっくり返せるぐらいのお金を抱え込んでいて、実は世界に対してある意味で〈無敵〉であるという基本構造は、同じく彼が主演を務めた「太陽を盗んだ男」とダブるものがあるものの、ドラマに欠かせない基本要素のひとつとして機能し、主人公が抱える心情を代弁させ、また彼の行く末を暗示させるなどの役割を主題歌“時の過ぎゆくままに”が担っていたという点は本作ならではの特徴を形成していたと言えよう。
本編では彼自身の歌唱シーンがたびたび登場して毎回ハイライトとなっていたが、秀逸だったのはドラマの主人公と現実のジュリーが時折二重写しになる作りになっていたところだ。もうひとりの自分を押し殺しながら日常を過ごしている男が歌唱シーンでのみふと垣間見せるリアルな表情。われわれはそこにアイドル・ジュリーというペルソナを被りながら自分自身の劇場においてやるべき役割を懸命に演じている沢田研二の素の姿をどうしても重ねて見てしまうのである。