エリカ・デ・カシエールは、ポルトガル生まれのシンガー・ソングライターだ。ベルギー人の母親とカーボベルデ人の父親に育てられ、8歳の時にデンマークへ移住した。
そのように多国籍な背景を持つ影響か、彼女の音楽性からはグローバルな香りがする。便宜的にR&Bに括られがちだが、単一のジャンルで語るのは難しい。例えばセカンド・アルバム『Sensational』にしても、UKガラージ、R&B、ヒップホップを軸にしつつ、“Polite”ではラテン・ミュージックのエッセンスを取り入れている。それでも彼女のサウンドを形容するなら、多面的な表情を持ったポップという他ないだろう。そんな彼女の創作力に対する評価は高い。デュア・リパは自ら連絡してコラボを希望したのは有名な話だ。K-PopグループのNewJeansによるEP『Get Up』に作詞/作曲で参加したことも、大きな注目を集めた。
こうして知名度が右肩上がりのなか、作り上げた新作が『Still』だ。彼女にとって3枚目のアルバムとなる本作は、前作と同じく4ADからのリリース。シャイガール、ブラッド・オレンジ、ゼイ・ヘイト・チェンジの助力を得て制作された。一聴して真っ先に感じたのは、これまで以上にUK色が濃厚であることだ。“Home Alone”ではJ・ハスなどが代表的アーティストとなるアフロスウィングを鳴らし、“Lucky”は昨今のUKで再評価の機運が高まっているジャングル/ドラムンベースのビートが際立つ。これまでの彼女は、アリーヤ、デスティニーズ・チャイルド、TLCといったアメリカの音楽から得た要素を前面に出すことが多かった。
しかし本作では、そこから一歩踏み出し、より多彩な音楽性を鳴らすことに挑んでいる。その挑戦が見事に成功した本作は、過去作以上に越境性が顕著で、人によっては捉えどころがなく語りにくい作品に聴こえるはずだ。だが筆者は、そんな語りにくさこそ本作のおもしろさであり、エリカ・デ・カシエールというアーティストの魅力だと思っている。こういう音楽だと多くのライター、批評家、アルファブロガーが断定できそうになると、新たな表情を作り上げ、自身の音楽性を拡張してみせる。ゆえに彼女の音楽は聴く人を選ばない懐の深さを育み、その懐に導かれるように、K-Popグループの曲を作るという機会が降ってくる。特定のシーンやジャンルに属していない彼女は、奔放で瑞々しいポップソングを鳴り響かせる。こういった魅力を本作は十二分に放っている。
サウンドのみならず、歌詞も聴きどころだ。愛や日常生活といったパーソナルな領域をテーマにしつつ、『Sensational』では多くの女性に向けられがちな偏見を払拭しようと試みるなど、現代に向けた鋭い批評眼もたびたび発揮されている。今回の『Still』でそのような鋭さを窺わせるのは“The Princess”だ。コクトー・ツインズやデッド・カン・ダンスに通じるイーサリアルな音像を備えたこの曲は、お姫様の視点から、すべてを手に入れたいという切実な想いを歌っている。〈母親になりたいし 仕事も続けたい〉〈選ばないといけないと考えるだけで崩れ落ちそう〉という一節も飛び出す歌詞は、妊娠や結婚によって生き方を制限されることも少なくない多くの女性が共感できる内容だと思う。日々の生活に潜む歪さを上手く切り取るセンスが飛び抜けているのも、彼女の音楽を語るうえで見逃してはいけないポイントだ。
『Still』によって、エリカ・デ・カシエールの才能は、より広く知れわたることになるだろう。現在を見つめながらも、一時の流行にとらわれない芯の強さが鮮明な素晴らしいアルバムを、ぜひご堪能あれ。
エリカ・デ・カシエール
デンマークはコペンハーゲンを拠点とするR&Bシンガー/ソングライター。ベルギー人の母とカーボベルデ人の父の間にポルトガルで生まれる。2014年にR&Bデュオのセイント・カヴァでデビュー。解散後の2019年に初のソロ作『Essentials』を自主リリースし、4ADと契約した2021年の2作目『Sensational』で高評価を得る。デュア・リパのリミックスやシャイガールとの共演、NewJeansへの楽曲提供などを経て、このたびサード・アルバム『Still』(4AD/BEAT)をリリースしたばかり。