
会社員を経て〈やっぱりジャズをやりたい〉
――ジャズベースを始めた頃、よく聴いたベーシストは?
「ベーシストはみんな大好きだと思いますが(笑)、ポール・チェンバースですね。今でもふとした時に、コピーしたフレーズが出ちゃうことがあります」
――札幌では、レジェンド的な存在であるピアニストの福居良さんとも演奏されたそうですね。
「福居さんも私もお酒が好きだったからでしょうか(笑)、そういう意味でもよくしていただきつつ、私の北海道生活の最後の数年、福居さんのジャズクラブであるスロウボートで、定期的にトリオで演奏させてもらっていました。最初のドラムは弟さんの福居良則さんでした」
――福居良トリオの名盤『シーナリィ』や『メロウ・ドリーム』のベーシストが、大塚さんに替わった形だったのですね。そのほか、斎藤徹さん、井野信義さん、瀬尾高志さんたちのコントラバスユニット〈漢たちの低弦〉の初演メンバーとしても演奏なさっています。
「関東を中心に活動されている瀬尾高志さんが大学の2個上の先輩なんです。瀬尾さんは私が札幌のジャズクラブで演奏する道を作ってくれた方ですが、いろいろ活動されていく中で〈ベーシストだけで集まって何かしたい〉ということになって、斎藤さんや井野さんと交流して、漢たちの低弦をやろうと企画して、私もメンバーの1人として声をかけてもらいました。ピアノは私と大学の同期だった石田幹雄で、たくさんのベーシストと交流するという、すごい経験をさせていただきました」
――坂井紅介さんに学んだのはその頃ですか?
「福居良さんのトリオで演奏するために紅介さんが札幌に来られた時、ふらっと北大のジャズ研に遊びに来られたんです。そこでベース担当者が1人ずつ弾いて、私が弾いた時に、〈もしかして神戸でお母さんがお店やってる?〉と話しかけてくれたんですね。というのも、その年の夏休みに私が帰省していた時、紅介さんやギターの吉田次郎さんがアフターで母の経営するジャズクラブ(神戸のBorn Free)にいらっしゃっていたんです。そこでセッションが始まって、私も〈大学ではジャズ研に入っています〉みたいな感じで演奏したので、その時から気に留めてくださっていたみたいです。
実は、紅介さんのレッスンは一回しか受けたことがないんです。ただ、その一回だけで、本当に大事なエッセンスを教えてもらいましたね。〈ああ、こうやってベースの音を響かせるんだな〉と実感させてくれました。
そんな風に私はいろんなジャズレジェンドの方々と濃密な時間を過ごしたにもかかわらず、約6年間、会社員をやって、その間、楽器ケースにホコリが積もるぐらいベースに触っていなかった時期があったんです(笑)。結果的に〈やっぱりジャズをやりたいな〉と決心して当時勤めていた会社を辞めたんですが、その間も紅介さんはずっと気にかけてくださっていました。いろんなミュージシャンから〈いつまた演奏するの?〉と尋ねられましたが、それも紅介さんが私の昔話をいろんな人にしてくれていたからみたいです。外堀から埋められていったというか……(笑)」
女性ベーシストが活躍する時代
――そんな経緯があったんですね。では、荒玉哲郎さんに師事なさったのは、札幌から関西に戻ってからですか?
「そうです。ジャズ研時代は我流で弾いている感じでしたので、ヒントが欲しいと思って、前々から存じあげていた関西のベーシストの荒玉さんに何度かレッスンをお願いしました。ストレートアヘッドなジャズに始まりなんでも演奏なさる方で、ブラジルとかアルゼンチン系の音楽もお好きで、私もずいぶん荒玉さんにいろんな音楽を教えてもらいました」
――会社員からジャズベーシストへの復帰に際しては、一から弾いて指に水ぶくれや豆を作って、という感じでしたでしょうか?
「そうですね。ベースは、やっぱり毎日触っていないとうまくいかない楽器なので……。今は女性ベーシストもすごく多いですが、毎日やらないと大変だと思います。身体的なハンデは絶対あると思いますので」
――今、世界で女性ベーシストが大活躍ですね。
「それは私も感じます。日本の場合ですと、吹奏楽やジュニアビッグバンドなどで裾野が広がっているところがあるでしょうし。昔に比べて情報があるので、自分の体に合ったセッティングや、どういう練習をしたらいいかなどを学べる機会が増えていると思います」