スピッツが1994年9月21日にリリースした5thアルバム『空の飛び方』。“ロビンソン”(1995年)でのブレイク前夜だが、後にドラマ「白線流し」(1996年)の主題歌としてヒットした“空も飛べるはず”のほか“青い車”“スパイダー”などを収めた名盤で、今年は30周年記念盤のリリースも話題になっている。そんな『空の飛び方』について『スピッツ論 「分裂」するポップ・ミュージック』の著者、伏見瞬に論じてもらった。 *Mikiki編集部
1994年J-POPの状況と『空の飛び方』に張り巡らされた文脈
スピッツというバンドの状況論としても、1994年のJ-POPの状況論としても、『空の飛び方』についてならいくらでも語ることができる。1991年のデビューから最初の3枚のアルバムと1枚のミニアルバムがほとんど売れず(いうまでもなくすべてが名盤である)、プロデューサーに笹路正徳を迎えてJ-POPに振り切った1993年の『Crispy!』の後で、バンドサウンドとポップスアレンジのバランスを取ったアルバムであること。つまり、それ以降のスピッツの雛形になったアルバムであること。具体的には、“たまご”や“不死身のビーナス”でオルタナ&メタル仕込みのディストーションギターを鳴らしつつ、“恋は夕暮れ”や“ベビーフェイス”でホーンセクションや、“ラズベリー”でストリングスアレンジを馴染ませていること。バンドの参照先がライドやダイナソーJr.からピクシーズ中心に変わった(“たまご”や“空も飛べるはず”に影響が顕著)結果、1994年デビューのウィーザーと海を越えて共振したこと。ホーンセクションは同年に発売されたMr.Children『Atomic Heart』やBLANKEY JET CITY『幸せの鐘が鳴り響き僕はただ悲しいふりをする』でも聴かれるもので、つまり当時のロックバンドがJ-POPの引力と戦う中で導入したのがホーンだったこと。ロックバンドが日本の商業音楽界で生きるためにソウルやR&Bへの接近が要請され、“ラズベリー”のスタックスビートも、“サンシャイン”におけるブーンバップ風のドラミングもその文脈の中にあること。そして、ブラックミュージック由来のJ-POPが勢いを持っていた時代において、全ての流れをつかんだのが小沢健二『LIFE』であったこと。『空の飛び方』に張り巡らされた文脈についてなら、上記の如くいくらでも語ることができる。だが、状況への適合関係だけ記述したところで、スピッツの跳躍力に接近できるはずがない。スピッツの飛躍性は、何より意味の殺し方に顕れるからだ。
〈歌詞の意味〉を殺すということ
ポップソングにおいて、〈歌詞の意味〉は常に敵である。了解しやすい意味によって、歌は身体に働きかける運動機能を停止させる。音楽は、歌の意味に追いつかれたら終わる。同時に、単なる無意味の羅列も禁じられている。それはすぐに〈ナンセンス〉という記号に絡めとられて、先に進めなくなるからだ。意味がありそうで意味がなく、意味がなさそうで意味がある。どこにも着地しない飛行状態だけが、リリックに求められる。
そのことがわかっているから、はっぴいえんどは“12月の雨の日”(スピッツがカバーした曲だ)で街の描写に終始し、井上陽水は〈真珠の名前は単純にパールだよ〉〈ホテルはリバーサイド/川沿いリバーサイド〉などとトートロジーを弄する。千葉雄喜がAwichより優れたリリシストであるのも、YONCEが常田大希より優れたリリシストであるのも、意味を殺して意味と寝るための感度の有無に由来する。意味だけ欲しいのなら、宇多田ヒカルやタモリや小津安二郎の〈名言〉をXで追いかけていればいい。そうした便利言語に用のない者だけが、この文章を読めばいい。
当然ながら、意味の殺し方を磨いたところで、音が跳躍しなければ仕方ない。『空の飛び方』においては、たとえば“迷子の兵隊”におけるプリングを多用したベースのうねりが、“たまご”や“不死身のビーナス”における分厚いギターとそれを突き破るボーカルの抜けの良さが、聴く者の心身を躍らせる。そして、どの曲でも崎山龍男のドラミングは快楽の芯を捉えている。メロディの印象喚起力に関して右に出る者がいない草野マサムネのソングライティングと合わせて、演奏の牽引力が発揮される。