大塚恵

しなやかで独創的、詩情に満ちた世界がアルバム全編に広がっている。

兵庫・神戸生まれのベーシスト、大塚恵が満を持してのファーストアルバム『Spontaneously』をリリースした。北海道大学在学中にジャズの演奏を始め、2012年以降は関西を中心に活動。その堅実なプレイと順応性は、YouTubeにアップされている多種多彩なフォーマットや楽曲の演奏映像からも明らかだ。

『Spontaneously』で焦点を当てたのは、気心の知れたミュージシャンとの、オリジナルナンバーを主体とした〈今のジャズ〉。大塚は、2年ほど前からセッション的に活動を続けていた長谷川朗(テナーサックス/ソプラノサックス)、加納新吾(ピアノ)、中村雄二郎(ドラムス)とのカルテットを〈大塚恵パンゲア〉と命名し、新たな荒波に漕ぎ出した。

アルバムのこと、バンド結成のいきさつ、ベースを始めたきっかけ、現在の関西ジャズシーンについてなど、さまざまな話題を大塚恵に語っていただいた。

大塚恵 『Spontaneously』 メザニンミュージック(2024)

 

濃密な北大ジャズ研と垣根のない札幌シーン

――まずバイオグラフィ的なことから伺えたらと思います。大塚さんが初めて意識した音楽はなんですか?

「クラシックです。ピアノを習っていた小学校3年生の時にミュージカルの『レ・ミゼラブル』を見に行って、それと同じタイミングで初めて親に買ってもらったCDがベートーベンの“交響曲第5番『運命』”でした。そこからオーケストラにハマって、弦楽器に憧れを持つようになったんです。

高校に入ると、吹奏楽とは別に弦楽部がありましたので、そこに入部してコントラバスを始めました」

――バイオリンのような花形楽器ではなくコントラバスに関心が向かったのは?

「見学に行った時に、チェロまでの楽器はみんな座って練習しているのに、コントラバスのプレイヤーは立って弾いていて、まずはその楽器の大きさが好きになったというか(笑)。

コントラバス奏者は運搬の関係で男性が優先的に選ばれる、という文化がありまして、女性はジャンケンで勝った1人しか担当できないということでした。でも、私はジャンケンに勝って、無事にコントラバス担当になれたんです(笑)」

――その当時、ジャズは聴いていましたか?

「なんとなく憧れはありましたが、当時はよくわからない音楽で、自分にはできないものだと思っていました。私は技術者を志して北海道大学の工学部に入学したのですが、大学のオーケストラでクラシックのコントラバスを弾くつもりでもいたんです。

そんな中、ジャズを演奏するようになったのは、クラスメイトの女の子に〈私、ジャズ研に入るから一緒に行こうよ。楽器経験者でしょ?〉と誘われて、彼女についていって入部したことがきっかけです。大学のジャズ研では、みんなでCDを貸し合って、〈この曲はこうだよ!〉と語り合うような、よくある大学サークル的な濃密な時間も過ごしましたね。

それに札幌のジャズシーンは、学生やアマチュアとプロの人の間の垣根があまりないような気がします。市の大きさの割にはすごくたくさんジャズクラブがあって、演奏する場が当時から多かったんですよね。なので、大学時代からプロの方と演奏する機会も増えて、刺激をいただきつつ、楽しいなと思うようになって、今に至ります」

 

会社員を経て〈やっぱりジャズをやりたい〉

――ジャズベースを始めた頃、よく聴いたベーシストは?

「ベーシストはみんな大好きだと思いますが(笑)、ポール・チェンバースですね。今でもふとした時に、コピーしたフレーズが出ちゃうことがあります」

――札幌では、レジェンド的な存在であるピアニストの福居良さんとも演奏されたそうですね。

「福居さんも私もお酒が好きだったからでしょうか(笑)、そういう意味でもよくしていただきつつ、私の北海道生活の最後の数年、福居さんのジャズクラブであるスロウボートで、定期的にトリオで演奏させてもらっていました。最初のドラムは弟さんの福居良則さんでした」

――福居良トリオの名盤『シーナリィ』や『メロウ・ドリーム』のベーシストが、大塚さんに替わった形だったのですね。そのほか、斎藤徹さん、井野信義さん、瀬尾高志さんたちのコントラバスユニット〈漢たちの低弦〉の初演メンバーとしても演奏なさっています。

「関東を中心に活動されている瀬尾高志さんが大学の2個上の先輩なんです。瀬尾さんは私が札幌のジャズクラブで演奏する道を作ってくれた方ですが、いろいろ活動されていく中で〈ベーシストだけで集まって何かしたい〉ということになって、斎藤さんや井野さんと交流して、漢たちの低弦をやろうと企画して、私もメンバーの1人として声をかけてもらいました。ピアノは私と大学の同期だった石田幹雄で、たくさんのベーシストと交流するという、すごい経験をさせていただきました」

――坂井紅介さんに学んだのはその頃ですか?

「福居良さんのトリオで演奏するために紅介さんが札幌に来られた時、ふらっと北大のジャズ研に遊びに来られたんです。そこでベース担当者が1人ずつ弾いて、私が弾いた時に、〈もしかして神戸でお母さんがお店やってる?〉と話しかけてくれたんですね。というのも、その年の夏休みに私が帰省していた時、紅介さんやギターの吉田次郎さんがアフターで母の経営するジャズクラブ(神戸のBorn Free)にいらっしゃっていたんです。そこでセッションが始まって、私も〈大学ではジャズ研に入っています〉みたいな感じで演奏したので、その時から気に留めてくださっていたみたいです。

実は、紅介さんのレッスンは一回しか受けたことがないんです。ただ、その一回だけで、本当に大事なエッセンスを教えてもらいましたね。〈ああ、こうやってベースの音を響かせるんだな〉と実感させてくれました。

そんな風に私はいろんなジャズレジェンドの方々と濃密な時間を過ごしたにもかかわらず、約6年間、会社員をやって、その間、楽器ケースにホコリが積もるぐらいベースに触っていなかった時期があったんです(笑)。結果的に〈やっぱりジャズをやりたいな〉と決心して当時勤めていた会社を辞めたんですが、その間も紅介さんはずっと気にかけてくださっていました。いろんなミュージシャンから〈いつまた演奏するの?〉と尋ねられましたが、それも紅介さんが私の昔話をいろんな人にしてくれていたからみたいです。外堀から埋められていったというか……(笑)」

 

女性ベーシストが活躍する時代

――そんな経緯があったんですね。では、荒玉哲郎さんに師事なさったのは、札幌から関西に戻ってからですか?

「そうです。ジャズ研時代は我流で弾いている感じでしたので、ヒントが欲しいと思って、前々から存じあげていた関西のベーシストの荒玉さんに何度かレッスンをお願いしました。ストレートアヘッドなジャズに始まりなんでも演奏なさる方で、ブラジルとかアルゼンチン系の音楽もお好きで、私もずいぶん荒玉さんにいろんな音楽を教えてもらいました」

――会社員からジャズベーシストへの復帰に際しては、一から弾いて指に水ぶくれや豆を作って、という感じでしたでしょうか?

「そうですね。ベースは、やっぱり毎日触っていないとうまくいかない楽器なので……。今は女性ベーシストもすごく多いですが、毎日やらないと大変だと思います。身体的なハンデは絶対あると思いますので」

――今、世界で女性ベーシストが大活躍ですね。

「それは私も感じます。日本の場合ですと、吹奏楽やジュニアビッグバンドなどで裾野が広がっているところがあるでしょうし。昔に比べて情報があるので、自分の体に合ったセッティングや、どういう練習をしたらいいかなどを学べる機会が増えていると思います」

 

大塚恵パンゲア

独立した4人が共演するバンド〈大塚恵パンゲア〉

――そして、この『Spontaneously』は満を持しての大塚さんのファーストアルバムで、バンド〈大塚恵パンゲア〉の第1弾作品でもあります。共演メンバーは長谷川朗、加納新吾、中村雄二郎という皆さん。

「メンバーが集まったきっかけはコロナ禍です。2年前にピアニストの永田有吾さんがジャズカラバッシュ(大阪キタエリアのサーキット型ジャズフェス)を主催した時に、サックスの長谷川朗さんが声をかけてくださって、そこからこのメンバーでの演奏が始まりました。

以来、セッションを重ねるようになって、バンドサウンドがなんとなくできたところで、一度レコーディングすることになったんですね。私の母は昨年の3月まで神戸でジャズクラブのBorn Freeを経営していまして、閉店の前にライブレコーディングをしたのですが、結局、内容に納得ができずにお蔵入りにしてしまいました。

そこで〈スタジオで録音して、でうまくいったらアルバムにしたいな〉とやり直したのが今回の作品です。せっかくの機会なので本当に納得のいくものにしたいということで、かなり集中して録音しましたね。いつも私たちが取り組んでいるライブの延長線上のような形で生々しく録れたのも、気に入っています。なのでアルバムタイトルも『Spontaneously』(自然発生的に)とつけました」

――配信もされている大阪のジャズカフェ、SUBでのライブではスタンダードナンバーやアメリカのジャズメンのオリジナル曲を演奏なさっていますが、このファーストアルバムにはメンバーや側島万友美さんのような近しい方々の聴きごたえのある書き下ろし曲が収められています。

「SUBでセッションを重ねる時は、基本的にその場で誰かがコールした曲を演奏していくスタイルなのですが、その中で私がたまたま自分の曲を持っていったところ、メンバーも面白がってくれて〈またあの曲、やろうや〉みたいな感じになっていったんです。〈アルバムを作るとなると、録音するのは自分たちの曲がいいよね〉と意見が一致して、今回のアルバムではお互いのオリジナルを持ち寄りました」

――メンバー4人が長谷川さんの呼びかけで初めて揃った時から、バンド名がすでに〈大塚恵パンゲア〉だったのでしょうか?

「いえ、2年ぐらいこの4人で活動してきたんですが、バンド名は決まっていませんでした。ほとんどの場合、〈長谷川朗カルテット〉名義だったと思います。お蔵入りしたライブレコーディングをした時は〈大塚恵カルテット〉名義でしたが、今回のアルバム制作にあたって、いいバンド名をつけたかったんです。

〈バンド名、どうしよう?〉となった頃、アルバムのジャケットデザインを担当してくれた畠山正俊さんがライブを聴きに来てくれたんですよ。その方は音楽ファンなんですけど、ジャズはあんまり聴くタイプではなくて。私たちの演奏を聴いた時におっしゃっていたのは、〈イメージとしてはこうやってメンバーが集まっているけど、後にも先にもずっと一緒にいるような気がしなくて、みんな独立している感じがする〉ということでした。そして、〈その先がわからないという面白いイメージが浮かんだので、『パンゲア』はどう?〉と言われまして。

マイルス(・デイヴィス)にも同じ題名のアルバムがありますし、ちょっとヘビメタっぽいと言われつつも(笑)、コンセプト的にはしっくりきたのですが、単に〈パンゲア〉だけだと、いかついかなと。このバンドの音楽を広く届けるためには、ブライアン・ブレイド・フェロウシップのように、誰かの名前を掴みとして載せなきゃダメなんじゃないか、という話になって。そこで、ちょっと勇気を振り絞って自分の名前を付けて、〈大塚恵パンゲア〉というバンド名にしました」

 

長谷川朗

学びとインスピレーションを与えてくれるメンバー

――メンバーの中で最も交友が長いのは、サックスの長谷川さんでしょうか?

「そうです。私の出身は関西ですが、学生時代は札幌にいて、札幌で一緒に演奏していたピアニストが〈関西に長谷川朗さんといういいサックス奏者がいる〉と教えてくれて、名前がずっと頭に残っていました。関西のジャズシーンに誰も知り合いがいない中で朗さんを頼ったところ、当時の朗さんはSUBの2代目オーナーになって間もない頃だったんです。そこでライブにお邪魔して、飛び入りで演奏することになって、そこからSUBのレギュラーメンバーとして演奏させてもらっています。

朗さんはとにかくジャズ愛に溢れている方で、人を育てるという気持ちもすごく強い方です。リハーサルをしていて知らないスタンダードナンバーが出てきたら〈これ、覚えとかなあかんよ〉と教えてくれて、ライブが終わったら、大きなスピーカーでジャズのレコードを一緒に聴いて。五感でジャズを学べる場をずっと守っている方ですね。

アルバムの中でのテナーサックスとソプラノサックスの持ち替えに関しては、私は何も指示していないんです。〈前にこの曲をやった時はテナーだったけど、今回はソプラノなのか〉と受け止めていて、そのあたりもスポンテイニアスですね(笑)」

加納新吾

――ピアノの加納新吾さんとは?

「パンゲアを始める以前にはほとんど交流がなくて、このバンドですごく密に音を重ねることになりました。メンバーの中で一番若くて、中本マリさんのツアーなどでも忙しい方ですが、タイム感も音色も惚れ込まずにはいられないというか。これはもう、メンバー全員が言っていることですね。みんながセンスを信頼しているプレイヤーです。寡黙ですけど、もう完璧にいつも演奏してくれるので、インスピレーションを貰いまくりですね」

中村雄二郎

――ドラムの中村雄二郎さんは長谷川さんと同じく、ニューヨークで経験を積まれています。

「私が関西で音楽活動を始めて1年か2年ぐらい経った頃に帰国されたと思います。もう8~9年ぐらい一緒に演奏していますね。東京出身の方なんですが、今や関西のファーストコールドラマーの1人で、大林武司さんと一緒に全国ツアーをされたり、すごく忙しいプレイヤーです。

私がベーシストである関係上、ドラムにはすごく影響を受けるので、雄二郎さんが発する音とその速さにインスピレーションを受けて、自分のプレイが変わったところもありますね。雄二郎さんと演奏している時の感覚を車に例えたら、上質なスポーツカーに乗っている時のような気持ちです」

 

子育てや暮らしの中から生まれた曲

――今回の新作では、ちょうど半数のレパートリーが大塚さんのオリジナル曲です。いつ頃から作曲を始めたのでしょうか?

「関西で活動すると決めた10年前ほどから、自分の曲を作りたいなと思って書いてはいました。最初はアイデアのかけらみたいな感じで、それを形にしはじめたのは数年前です。ミュージシャンの前にそれを持っていって〈自分の曲やってほしいんだけど〉と言い出したのは、もっと最近になってからですね」

――どういった時にメロディや曲の断片が浮かんでくるのでしょうか?

「1曲目の“曖昧な藍”は、本当に暮らしの中で出てきた曲です。子供3人を寝かしつけて、片付けをして、一息ついた時にようやく自分の練習時間が始まって、というのが今の私の生活なんですね。曲を作りたいと思ってピアノの前に向かったら夜中の12時ぐらいになっていて、〈真夜中に私1人〉みたいな、なんともいえない気持ちで曲を作りました。家の中で自分だけが起きていて、なんだかすごく怖くなってきて、窓の外を見たら本当に濃いインディゴ色の空で……。明日なのか今日なのかわからないような、曖昧な時間の色だったんですよ。

“Leaves”は、京都の山の方まで子供を送り迎えしている時に、ふと出てきた鼻歌がモチーフになっています。本当に、そういう瞬間瞬間に出てくる鼻歌が曲になっていますね」

――“曖昧な藍”は大塚さんのベースから始まります。リーダーの独奏から始まるベーシストのバンドのアルバムは意外と多くない気がするので、新鮮でした。

「曲順に関しては、朗さんがいくつも案を用意してくださっていて、それをベースにしつつ、私の意見を反映させました。私のベースから始まる曲が1曲目なのも、〈最初はやっぱ恵さんの曲からやらなあかんやろ!〉みたいな感じで決まっていきましたね」

――“ゆずり葉”も、実に抒情的なナンバーです。大塚さんはこの曲をピアニストの清水武志さんとも演奏なさっていましたね。

「しめ縄につけられる緑色の分厚い葉のことを〈ゆずり葉〉というのですが、この曲は河井酔茗(明治7年生まれの詩人)の詩『ゆづり葉』からつけました。教科書にも載っているぐらい有名な詩なのですが、産後に読んで、〈この美しい世界を子供たちに残していくのが親の役目だ〉という内容に共感して作ったのがこの曲です」

 

コロナ禍を経て熱さを増す関西ジャズ

――このアルバムや先ほどおっしゃっていたジャズカラバッシュの話をうかがうと、関西のジャズシーンがますます熱いんじゃないかと思えてくるのですが、今の関西のジャズシーンに関する大塚さんの意見をいただけますか?

「若手と言いますか、30代ぐらいの本当に実力あるミュージシャンが多いですね。ピアノの加納新吾くん、トランペットの広瀬未来くんなどは指導者としても活躍していて。もちろんジャズカラバッシュを主催しているピアニストの永田有吾くんも。

きっかけは、多分コロナ禍だったと思うんです。コロナ禍の中でも音楽をやっていくという経験を経た、ミュージシャンによるイベントが増えている印象を受けますね。もちろん関西のミュージシャンは東京のミュージシャンとも交流がありますし、そこもかなり大きいかなとは思います」

――ピアニストの西山瞳さんがアルバムに寄せたコメント〈このリアルタイムで感じる心の深部の繋がりこそがジャズ・アンサンブルの悦びであり、デビュー作でこのアンサンブルの根本をしなやかに提示した彼女の志の高さに、同じミュージシャンとして敬意を表したい〉も印象的でした。

「私は西山さんと何度か演奏をご一緒させていただいていますが、西山さんを介していろいろな方に繋げていただくことが多くて、ハブになっている方だなと思いますね。私は今後もいろんなミュージシャンと交流して、刺激を受けていきたいなと思っています」

 


RELEASE INFORMATION

大塚恵 『Spontaneously』 メザニンミュージック(2024)

リリース日:2024年5月8日(水)
品番:MM00200
価格:3,300円(税込)

TRACKLIST
1. 曖昧な藍 Aimai na Ai (Otsuka Megumi)
2. After (Otsuka Megumi)
3. Untitled (Kano Shingo)
4. Leaves (Otsuka Megumi)
5. Summer Delight (Sobajima Mayumi)
6. The forecaster (Hasegawa Ro)
7. ゆずり葉 Yuzuri Ha (Otsuka Megumi)
8. Lullaby for two (Nakamura Yujiro)

■メンバー 
大塚恵 ベース/Otsuka Megumi: bass
長谷川朗 テナーサックス、ソプラノサックス/Hasegawa Ro: tenor sax, soprano sax
加納新吾 ピアノ/Kano Shingo: piano
中村雄二郎 ドラムス/Nakamura Yujiro: drums

2024年1月5日 奈良県大和郡山 N.M.G.スタジオにて録音
録音、ミックス、マスタリング:三輪卓也

 

LIVE INFORMATION
2024年7月6日(土)滋賀・草津 Coltrane
開場/開演:19:00/19:30

2024年7月12日(金)京都・三条 le club jazz
開場/開演:19:00/19:30

2024年8月21日(水)愛知・名古屋 栄 jazz inn LOVELY
開場/開演:18:00/19:30

 


PROFILE: 大塚 恵
兵庫県神戸市生まれ。高校で弦楽部に入部しコントラバスを始める。北海道大学ジャズ研究会への入部を機にジャズに出会い、学生の頃から札幌在住ミュージシャンとの活動を始め、在学中からピアニスト福居良のレギュラーベーシスト、ブラジリアンギタリスト飛澤良一のバンドの初代ベーシストを務めたほか、日本を代表するベーシスト斎藤徹、井野信義、秋田祐二、瀬尾高志を中心としたコントラバスユニット〈漢たちの低弦〉の初演メンバーとして釧路公演に参加。一度は就職するも音楽家を目指して退職。2012年、関西を中心に活動を開始。大阪SUBの2代目オーナーでありサックス奏者の長谷川朗に出会い、SUBのレギュラーベーシストとして長谷川をはじめ国内外のミュージシャンとセッションを重ねる。クリスチャン・ジェイコブ、坂井紅介、福居良、林栄一、小山彰太等、数々のミュージシャンと共演。坂井紅介、荒玉哲郎に師事。現在も大阪SUBのレギュラーベーシストを務め、滋賀、京都、大阪、神戸のライブハウスを中心に全国で活動中。
litlink:https://lit.link/otsukamegumipangaea

PROFILE: 長谷川 朗
73年、京都生まれ。関西大学在学中よりベーシスト西山満に多くを教わり音楽活動を始める。99年より7年間ニューヨークで過ごす。2005年、リーダー作『イン・ディス・ケース』を発表。帰国後、数年間東京で活動し、2010年に大坂昌彦のアルバム『ファンキー7』にアルトサックス奏者として参加するとともに数曲のアレンジを担当。2011年、西山の逝去を受け大阪谷町九丁目のジャズクラブSUBの経営を引き継ぐ。2015年、アルトサックス奏者の側島万友美とともにジャズレーベル〈メザニンミュージック〉を立ち上げ、側島のデビューアルバム『エニシング・エルス』に参加するとともにアルバム制作を開始。2021年、ジャズイベント〈メザニンジャズウィーク〉を開催、内外のミュージシャン多数を関西に招聘する。翌2022年も同イベントを成功させ、本拠地SUBのみならず他のイベント等のプロデュースも手掛ける。創業54年、自身のオペレーションになり12周年を迎えた老舗クラブSUBを本拠地としながら全国的に活躍中。
オフィシャルサイト:https://www.subjazzcafe.com/ro-hasegawa-and-the-music

PROFILE: 加納新吾
86年、大阪生まれ。6歳よりクラシックピアノを始める。中学、高校でポップスやロックに興味を持つ。大阪芸術大学音楽学科ポピュラー音楽コースに入学後、近秀樹に出会いジャズに傾倒。在学中より演奏活動を開始。2009年、ジュリアード音楽院での短期留学プログラムに参加。2012年、ファーストアルバム『PRECIOUS』をJAZZ LAB.よりリリース。2013年、第5回神戸ネクストジャズコンペティションにてグランプリを受賞。2014年、フレンチ・クォーター・ジャズ・フェスティバルに出演(アメリカ・ニューオーリンズ)。2016年より渡米、ニューヨークで3年ほど活動。2021年、NHK朝の連続テレビ小説「カムカムエヴリバディ」のバンド演奏シーンに参加。2023年、NHK朝の連続テレビ小説「ブギウギ」のバンド演奏シーンに参加。2024年、大阪芸術大学演奏学科特任講師に就任。

PROFILE: 中村雄二郎
東京都出身。16歳の時に高校の軽音楽部でドラムを始める。米ボストンの名門バークリー音楽大学へ入学。大学在学中にジャズと出会い夢中になる。ジョン・ハジラ、ジョー・ハント、ケンウッド・デナード、ジョン・ラムジー等、数多くの名プレイヤーを育て上げてきた巨匠たちに師事し、さらに校外でも当時ボストンのジャズシーンを率いていたジョン・ラムキンにグルーヴの大切さを学ぶなど精力的に腕を磨く。大学3年の時にジョン・ラムキンの後任としてボストンの若手ミュージシャンの登竜門と言われるウォーリーズ・カフェのハウスドラマーを任されるようになる。卒業後、活動拠点をニューヨークに移す。その後、地元ハーレムのミュージシャンたちにとって伝説的なクラブであるセイント・ニックズ・パブをはじめ著名な若手プレイヤーを多数輩出してきたクレオパトラズ・ニードル等、数々のクラブにてハウスドラマーを務め、ブロンクスの教会のチャーチドラマーとなるなどさらに活躍の場を広げる。また長谷川朗、百々徹、野沢美穂のバンドの日本ツアーに参加、ジェイ・トーマスやパトリック・ウルフの全米ツアーにも参加した。2016年に帰国、活動拠点を大阪として大西順子トリオへ参加、また大林武司トリオツアーに参加しブルーノート東京への出演を果たすなど全国的に活躍中。