渡辺勝が死去した。
渡辺勝の訃報は2024年6月30日、松倉如子が自身のXアカウントで発表した。松倉によると、渡辺は30日の0:00過ぎに亡くなったという。73歳だった。死因は伝えられていない。
6/29 23:45まさるさんに、まさるさんの誕生日にまさるさんの歌を歌うからね、ずっと一緒だよ、大好きと耳元で話したら、うん、てまさるさんは言った。
— 松倉如子/ Yukiko Matsukura (@ma_records) June 30, 2024
6/30 24:00過ぎに、魂はだんだん肉体から離れていった。
私の半分の魂。この世から去って、とても悲しい。
倖せを、本当にありがとうございます。 pic.twitter.com/gMgiGsJGnS
渡辺勝は、1950年8月1日生まれのシンガーソングライター/マルチプレイヤー。鈴木慶一らのバンド、ムーンライダーズの前進である、はちみつぱい(蜂蜜ぱい)の初期メンバーとして知られており、1971年から同バンドで活動を始めた。
渡辺は、はちみつぱいでボーカル、キーボード、ギターを担当していたが、1972年に脱退。一方で、1973年にリリースされたバンドの1stアルバム『センチメンタル通り』に歌や演奏で参加しており、“僕の倖せ”を作曲、“夜は静か通り静か”を作詞作曲している。また1974年のシングル“君と旅行鞄”を、鈴木とともに作詞している。バンドが1988年に再結成した際にも、渡辺は参加した。
はちみつぱいでの活動前後には、あがた森魚の『蓄音盤』(1970年)と『乙女の儚夢』(1972年)、岡林信康の『岡林信康アルバム第二集 見るまえに跳べ』(1970年)、斉藤哲夫の『君は英雄なんかじゃない』(1972年)、なぎら健壱の『万年床/なぎらけんいち参上』(1972年)、三上寛の『BANG!』(1974年)といった日本語ロック/フォーク黎明期の重要作の数々に参加、鍵盤楽器を中心にした演奏や編曲をおこなっている。
1972年にはフォークロックバンド、アーリータイムスストリングスバンドを結成。1974年には、キリギリスで一時的に活動をおこなった。その後1976年には初のソロアルバム『僕は白い雲』を、1977年には2ndアルバム『HELLO』を発表している。
以降も演奏や録音を続けていたが、2000年代から定期的にソロアルバムをリリースしており、シンガーソングライターの松倉如子との活動も開始。2009年に松倉がプロデュースしたアルバム『渡辺勝』を、2010年に松倉とのユニット、おまつとまさる氏でアルバム『メルヒェン』を発表した。
2018年には松倉等とのバンド、ラポン・シュポンでアルバム『ラポン シュポン生まれた』をリリース。今年3月にはアーリータイムスストリングスバンドでツアーをおこなうなど、渡辺は最期まで歌い、演奏しつづけていた。
渡辺の訃報を受けて、鈴木が追悼のコメントをXアカウントで発表している。
まさるくん、私が18歳の時に会った。人前で音楽をやるようになってあがたくんの次に長い大切な音楽の友達。哲夫くんと同じく。ずっと今まで。最初の良きライヴァルだ。ずっと今まで。嫉妬が出来なくなって淋しいよ。我々はアルコールのようなものだ。付き合いはやめない。でも蒸発してしまうんだ。k1
— 鈴木慶一 (@keiichi_suzuki) June 30, 2024
“僕の倖せ”の頃から変わらない、あの若々しいような老成しているような、独特の孤独感やかなしみを湛えた渡辺の歌がもう聴けないことが残念でならない。