シンガーソングライターの柴田淳が4年ぶりのオリジナルアルバム『901号室のおばけ』をリリースした。救急救命士資格取得、初めての舞台など様々な経験をしてきた彼女。音楽プロデューサーに武部聡志氏を迎えて制作された本作は、人生の機微や深み、素晴らしさを描いた歌詞、シックな美しさをたたえたアレンジ、楽曲の世界観を豊かに体現するボーカリゼーションなど、柴田淳の〈今〉をダイレクトに反映した作品に仕上がっている。

「制作はすべて武部さんにお願いしていたんですが、完成したものを聴いて、〈こんなに素晴らしい作品を作っていたんだ〉と感動しました」という彼女に、アルバムの制作プロセスについて語ってもらった。

柴田淳 『901号室のおばけ』 ビクター(2024)

 

SNSでも曲でも〈全部見せてしまう〉

――柴田さんのX(Twitter)のポスト、いつも読ませてもらっています。すごく率直な意見を発信してますよね。

「やばいですよね。ただ、あれは私じゃなくて親指がやっていることなので。プロフィールにも〈本人ではなく本人の親指の呟きです〉と書いてるので(笑)。

コロナ禍の時期、Twitterから卒業したんですよ。あまりにも振り回されていたし、返信と戦って傷ついたり。これは良くないからやめようと思って抜け出して、(救急救命士の)専門学校に通っていたときはインスタをやっていました。学校の生徒のみなさんもやっていたし、インスタのほうがまだ空気が澄んでるなって。

結局戻ってきちゃいましたけど、自分でも要注意だなと思ってます。ファンの人しか見てないくらいの感覚で呟いちゃってるし、もうちょっと自覚を持たないと。もっと言うと、表に出ている感覚がないんですよ。見栄を張るとかカッコ付けることが好きじゃないし、全部を出してしまう。もうちょっと隠そうよ、ファンの人たちもそこまで見たくないよって思うんですけどね」

――全部見せてしまうというのは、曲も同じでしょうか?

「そうかもしれないです。自分のこともそうだし、以前は〈みんなが言いたくないこと、隠していることをいかに言い当てるか〉という感じがあって。心を翻訳するという言い方をしていたんですが、人が言葉にできない思いを歌にするというか。たとえばカップルがドライブしていて、私の曲が流れて気まずい雰囲気になったら――お互いに隠していることがバレちゃうとか――成功だなって。

でも、その後に不快になるだけのある映画を観て、考えが変わったんですよ。〈もしかしたら私も同じようなことをやっていたのかも〉と思ったし、やっぱり不快にさせちゃダメだなって。その後は〈この題材は意地悪だな〉と思うものは避けるようになりました」

 

救急救命士の学校がつらくて……

――なるほど。では、ニューアルバム『901号室のおばけ』について聞かせてください。4年ぶりのアルバムですが、前作以降、ソングライティングの変化はありましたか?

「20年くらい活動してきたなかで、(2020年頃は)自分でもあまり納得できていなかったんです。制作の環境もそうだし、ディレクターがいなくなったり、人間関係的にもいろいろなことがあって、すべてにおいて苦しかったんですよね。私、充実感のあるCDって、重く感じるですよ」

――CD自体の重さが増す?

「そうです(笑)。初期の頃は重くて内容が濃いCDを作れてたと思うんだけど、だんだん軽くなってきている気がしていました。最後のほうは制作がつらすぎて号泣したり、自分を絞り切ってしまった感じもあったんです。私としては柴田淳としての活動を休みたかったし、どこにも行けない、どうしたらいいかもわからない迷子状態で。

だからコロナ禍の1年目は、私にとっては好都合だったんです。コロナ禍だから活動できないって言い訳できるから。でも、思った以上にコロナ禍の影響が続いて、どうしようかなと考えたときに、高校1年のときに歌手になる夢と天秤にかけてた救急救命士の資格を取ろうと。でも、学校がつらくてつらくて……」

――そんなに大変だったんですか?

「月~金でビッシリ授業があって、遅刻は許されないので毎朝6時半に起きて。理不尽なことも多かったけど、受験資格を得るために我慢して。

そうこうしているうちに、舞台(『ETERNAL GHOST FISH』/作・演出:西田大輔)のお話をいただいたんですよ。柴田淳の活動は自分で曲を書いて、自分で企画して、〈こうします〉〈こうしてください〉とすべて決定してきたんです。舞台はそうじゃなくて、演出家さんから注文されたことに一生懸命応えるという真逆の立場。それがすごく楽しかったんです。こんなことを言うと良くないかもしれないけど、プロデューサーではない立場は、心が少し楽でした(笑)」