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ダンスミュージックで我を忘れられる瞬間の救い

――総じて『EUPHORIA』は、ダンスミュージックならではの無機質さもありながら、バンドミュージックだからこその温かみもある作品になりましたよね。

「たしかに、有機的なものと無機質なものの按配は、どの曲もすごくこだわりを持って作った気がします。〈これでバンドサウンド感がなくなったら、聴いたことがあるような曲になっちゃうやん〉みたいなことは、けっこうあって。どの曲でも、新鮮味が感じられる、オリジナリティの出るようなバランスを追求しています」

――YAJICO GIRLは時代性に紐づいたコレクティブでもあるかと思いますが、今作は〈今の時代だからこそダンスミュージックだ〉といった思いもありますか。

「あると思います。僕は今の時代を生きていて思うことや〈こういう救いがあれば〉みたいな願いをこめて、自分に向けて言葉を書いているところもあるので。今ってひとりひとりがSNSのアカウントを持っていて、ソーシャル上で他の人の生活を垣間見たり、自分をブランディングしなきゃいけなかったり、みんなが〈自分ってなんだろう〉と考えざるを得ない状況にいるんじゃないかと思うんです。

でも、デカい音で音楽を聴いて多幸感に陶酔しているときだけは、〈自分ってなんなんだろう〉とかは脇に置かれているじゃないですか。我を忘れて〈わ~、気持ちいい。最高!〉ってなる瞬間があるって、すごく救いだと思うんですよね。自分になんの意味があるかなんてわからないですけど、そういった意味や自分という存在から解放される手段としてダンスミュージックを作ろうというのは、自分的には今作の大きなテーマでした」

 

個人的な表現を煮詰めたら、誰かひとりに深く刺さる

――歌詞についても、お伺いさせてください。『EUPHORIA』では社会風刺的な表現も用いられているかと思いますが、何か意図していたことがあるのでしょうか。

「“いえろう”の時からそういうところがあるので、そもそも僕が持っている性質というか。現代や社会をちょっと斜めに見た角度から言葉にしたくなっちゃうんですよね。自分がASIAN KUNG-FU GENERATIONとかを聴いて育ってきたっていうのもあるかも。

フィクションやファンタジーの魅力もすごくわかるんですけど、自分は生々しいことやリアルな感覚が入れこまれた曲を書きたいし、聴いてもらいたい。リアリティがないと、絵空事に聞こえちゃう気がして。個人的なことを煮詰めて書くと、広くは刺さらないかもしれないけど、誰かひとりに深く刺すことはできるんじゃないかなという思いがあります」

――それは、作品によって誰かの人生に影響を与えたり、誰かを支えたりしたいという思いゆえですか。

「そんなに、他者のために作ってるわけじゃないですよ(笑)。深く考えたことはないですけど、普通に苦手なのもあるかな。フィクションとかの世界を作り上げて、その枠のなかですごく完成度の高い物を作ることが、僕はそんなに得意じゃないし、あまりモチベーションもない。当たり前を疑うことのほうが、自分的に快感というか。

〈こういう感じでみんなは過ごしているけど、それってどうなんだろう〉っていうようなことを言ったり、音楽に関しても〈これはこういう系、これはこういう系ってなってるけど、混ぜ合わせたらどうなるんだろう〉と掛け合わせてみたり。今あるものじゃない何かを作る、みたいな。

YAJICO GIRLは、最初の頃からずっとオルタナティブな価値観や音像を求めて、やってきているように思います。活動初期から〈こういうアレンジにしちゃうと、よくあるやつになっちゃう〉っていう話をめちゃめちゃしてきましたもん。よくあるやつになりたくないっていう想いが、めっちゃ強いんだと思います。いろんなものを吸収したなかで、それをどうクロスオーバーさせていくかに興味があるのかなって」

――ジャンルなどをクロスオーバーさせるときの方法っていろいろあると思いますが、YAJICO GIRLはどのような形で進めていくのでしょうか。

「メンバーの感覚を自由に入れていった結果、いろんなものがクロスオーバーされた曲になるというよりは、〈この曲は、こういう方向性とこういう方向性があるけど、この落としどころにもっていくのが一番面白い〉といった共通認識を設けて、そこに向かって力を合わせて作っていくイメージですね。それこそ、ジャージクラブとロックサウンドを掛け合わせるとか。

とはいえ、最初からめちゃくちゃゴールが見えているわけではなく、作っていきながら取捨選択しているのが、リアルなところですね」