高校の同級生で結成、ロックバンドとして歩み始め、様々なジャンルの音楽をクロスオーバーさせつつ現在地に至ったYAJICO GIRL。今作の『EUPHORIA』は、やりたいことと自分たちらしさをどう掛け合わせるか葛藤しながらも歩み続け、ようやくたどり着いたひとつの答えといってもいいだろう。ダンスミュージック特有の無機質さもありながら、バンドならではの人が演奏している熱だってこもっている。それでいて、大人びた視線で社会問題と向き合ってきた四方颯人(ボーカル)が、「何者でもない自分を手にするためには、ダンスミュージックだった」といった旨を語っているのも興味深い。

本稿では、YAJICO GIRLでボーカルを務めている四方に、これまでのキャリアを振り返ってもらいながら、新作『EUPHORIA』について読み解いてもらった。

YAJICO GIRL 『EUPHORIA』 MASH A&R(2024)

 

YAJICO GIRLはシーズン3の途中

――YAJICO GIRLは、2024年で活動10年目ですよね。キャリアを振り返って、現在は第何章だと思いますか。

「どれくらい大きくわけるかにもよると思うんですけど、第3章くらい? 学生時代の初期衝動のノリで〈未確認フェスティバル〉とか〈MASH FIGHT!〉とか、オーディション系を頑張っていた時期がシーズン1。その最終回に事務所契約とかがあるイメージですね。

“いえろう”のような活動初期のテイストより、もう少しグローバルなサウンドフォルムを踏まえた曲を目指すようになったのが第2章。壁にぶち当たったといったら違うかもしれないんですけど、自分的には〈ロックだけがやりたいわけじゃないしな〉みたいな気持ちもあって。

大学時代にブラックミュージックやR&Bの魅力を感じ、バンドに反映されてきたのが2019年以降。『インドア』以降は、自分が思うように音楽を作っていきました。最初の頃は、メンバーにも戸惑いがあったでしょうね。フランク・オーシャンを筆頭とするアンビエントやブラックミュージックとバンドミュージックがクロスオーバーできる部分を探求して、上手いことバンドの価値観とミックスさせて完成させたのが『Indoor Newtown Collective』で、シーズン2の終わり。

今はシーズン3の途中みたいな感じです。2020年に上京してからは、DJをやらせてもらったり、クラブへ遊びに行ったりするようになり、機能的に気持ちのいい音楽やクラブミュージックの美学にも興味が出てきて。ブラックミュージックやアンビエントと同時に、クラブミュージックも聴くようになりました。そんな自分のモードと今の世間での流行り、YAJICO GIRLのバンド感がシンクロして出来上がったのが、今回の『EUPHORIA』って感じ。

〈YAJICO GIRL ONE MAN TOUR 2024〉でダンスミュージックっぽいアプローチをしたとき、自分的に〈これは可能性があるんじゃないか〉という思いが出てきて。これまでも“幽霊”とか“どことなく君は誰かに似ている”とか、ダンスミュージックやクラブミュージックっぽい楽曲は、ちょこちょこ出していましたし、〈そっち方面でちょっと頑張ろうかな〉と思っているのが今のターンです」

 

気持ちよさをどう作るか? ダンスミュージックという大喜利

――どういったところで〈これは可能性があるんじゃないか〉と感じたのでしょうか。

「曲が繋がっていくカタルシスみたいなものを面白いと感じましたし、オーディエンスの反応もよかったので。

あとは、(古谷)駿のドラムがダンスミュージックにハマると感じているのも大きいですね。もともと駿は、ツーステップで踊るようなダンスロックが流行っていた時代に、ライブハウスに足を運んでいた人なので、ブラックっぽい後ろノリよりもカクカクしたリニアなビートやBPM 120以上の四つ打ちとかが合っているのかなって」

――そもそもダンスミュージックを聴くだけに飽き足らず、作るようになったのはどのような経緯があったのでしょうか。

「DAW上で曲作りをしていくなかで、空間や場所、時間みたいなことに興味を持つようになり、フロアでどういう鳴りをしたら身体的に気持ちいいのか考えるようになったんですよね。クラブミュージックって、キックとハットとスネアのグルーヴで、どういう気持ちよさを作れるかの大喜利みたいな感じじゃないですか。快楽的に音が気持ちいいというか。〈何を歌っているか〉や〈どんな感情がこめられているか〉を抜きにした音の強度みたいなものに惹かれたところはありますね」

――作詞において、四方さんは言葉と真摯に向き合ってきたイメージが強いのですが、今のお話からすると〈言葉に重きを置いたままでも快楽的な音楽は作れる〉ということでしょうか。

「僕のなかで、言葉と意味っていうのは全く別の存在なんですよ。今作でも言葉とは真摯に向き合っているし、なんならよりフォーカスしていってると思うんですけど、意味合いは取り除きたかった。〈どういう物語なのか〉とか〈どういう気持ちなのか〉とか、〈そういうのはええわ〉みたいな感覚なんです。意味から解放される気持ちよさってあると思うんですよね」