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受け手のクリエイティビティを刺激する才能

小島「僕が知り合った頃、choriは23歳で僕は19歳でした。その頃、既にパフォーマー、板の上のchoriとして存在していたんです。紙媒体からフェードアウト気味で、ポエトリーリーディングといいつつ音楽というアートフォームの中で表現していました。クリープハイプとのツーマンライブを行ったり、中村佳穂さんとのバンドで活動したりしていましたが、つまり数百人の前で1時間のパフォーマンスをこなし、お客さんに感動を与える存在だった。そんな詩人は他にいなかったので、『ちょりびゅーと』はそういう部分を伝える編集方針でこの曲順にしたんです。

初期、特に2006年の1stアルバム(『Redemption Songs』)は収録曲の半分がバックの音楽がない朗読で、まだ従来のポエトリーリーディングに軸足を置いていました。でもchoriは音楽へ徐々に寄っていき、最後はバンド編成になり、ラップに近い形になった。その変遷は、現代詩の書き手にはどう見えていたのでしょうか?」

望月「自分は大学生の時にヒップホップダンスを始めたんです。ちょうどchoriさんに出会った頃で、ヒップホップを取り入れていた点でもchoriさんに興味を持ちました。

choriさんのパフォーマンスというのは、自分にとって演者(詩人)として加わるか、ダンサーとして加わるかの二択なんです。どちらになりたいかと考えた時、自分は詩人として彼の表現に合流したいと思いました。なぜかというと、ダンサーは既に出来ているものに表現をのせていく側面がありますが、choriさんの作品は受け手のクリエイティブな回路を刺激するところがあって、一緒に作り上げていきたいと思わせるからです」

小島「なるほど。望月さんが書いた詩をchoriが詠んだことはありましたか? 彼は他人の詩をライブで勝手に詠むことも多くて、『ちょりびゅーと』にも彼が書いた詩じゃないものを詠んだ曲も収録しています。その技術が天下一品で、他人が書いた詩をオケにのっけて朗読してしまえる稀有な才能を持っていました。

彼が存命だったら、望月さんや文月さんが書いた詩をトラックにのせてchoriが詠むとか、そういう化学反応を起こしたいなと思っていたんですよね。彼には他者を巻き込んでいく力がすごくあったので」

 

choriとのファーストコンタクト

小島「文月さんのchoriとのファーストコンタクトはいつですか?」

文月「先日、mixiに数年ぶりにログインしたら、私のプロフィールページの最初の紹介文がchoriさんによるものでした。2010年頃に書いていただいたもので、出会いもその頃だと思います。

私は高校まで札幌にいて、ネットや詩の雑誌に詩を投稿して、現代詩手帖賞や中原中也賞を頂いたあとに上京しました。ただchoriさんは京都にいらっしゃったので距離があり、実際にお会いしてパフォーマンスを見たのは2013年でした。それが面白い企画で、京都の叡山電車の車内で朗読をする〈朗読ツアー〉というイベントで共演したんです。編集者の(現在は三軒茶屋の書店twililightの店主でもある)熊谷充紘さんによる企画でした。

あと、ポエトリー・ナイトフライトという定期イベントが京都のVOXhallで行われていて……」

小島「choriがずっと出ていたイベントですね」

文月「そうです。そこへ2015年の秋にゲストとして呼んでいただいて、京都のポエトリーシーンの盛り上がりの熱を感じて感動したんです。東京の詩壇に疲弊していた時期だったので、〈詩を盛り上げようと頑張っているのは自分だけじゃない〉とすごく励まされて東京に戻ってきたのを覚えています」

小島「望月さんのファーストコンタクトは?」

望月「2010年前後だと思います。僕が大阪に住んでいた頃で、大谷良太さん、奥津ゆかりさん、八柳李花さん、清野雅巳さんと花見をしたのですが、雨が降ってきたのでピザ屋に入ったんです。そのピザ屋でchoriさんのライブを見に行こうという話になり、その内の何人かで京都のnanoに行ったのが初対面だったと思います。

その時のことを実はよく覚えていなくて、当時書いたエッセイを読み返すと、〈とても新鮮な体験だった。そこでは数々のバンドが代わる代わる演奏する音楽に合わせて詩を朗読する人もいる。私は人だかりの中に立ちすくんで、ぼんやりしていた。人の会話は聞けなくても、音楽だけは聞けた。昔からそうだった。音楽が流れ始めると、自然と体がリズムをとり始める。詩人たちは皆がそれぞれのリズムで体を揺らしている。それがそのまま言葉のリズムになるのかどうなのか、私にはまるで見当がつかなかった。ただ、どこか心地よさを感じられるようなひとときだった〉という感想を残しています」

 

詩人による音楽の可能性

小島「なるほど。同年代でchoriのような活動をしていた方って他にいたのでしょうか? 歴史的に1970年代はフリージャズの演奏と共に詩を詠んだ方も多くて、その後も佐野元春さんがジャズ系の演奏をバックにしたポエトリーアルバムを出されています。choriがやっていたのはラップに寄ったポエトリーリーディングでしたが、似た人が周りにいなかったので新鮮でした」

文月「choriさんは心外かもしれませんが、不可思議/wonderboyさんはスタイルとして近かったと思います。ただ私がchoriさんのパフォーマンスを目の前で見た時の感覚では、音楽的になりすぎないところで止めていた気がしました。一方で不可思議/wonderboyさんは、生前にパフォーマンスも拝見したのですが、歌い上げるような、身体も使ってエモーショナルな表現をしている印象でした」

小島「不可思議/wonderboyとは同時期に活動していたんです。choriとライブしたこともあるので近しいですね。不可思議/wonderboyは(2011年に)亡くなったことである意味神格化され、フォロワーが増えていきました。

勝手な推論ですが、choriはある時期まで同じような道を歩いていたので、二番煎じと思われるのが嫌でスタイルを変えていった面もあると思います。その結果、文学的なポエトリーリーディングと音楽との融合という点で、choriは3rdアルバム『地図をつくる』(2009年)でいい線まで行ったと僕は思っていて(笑)。そういった詩人がやる音楽の可能性を評価してほしいとも考えて、僕は『ちょりびゅーと』を作ったんです」

文月「choriさんも不可思議/wonderboyさんも、歳を重ねて〈成熟した大人〉を背負わなければいけなくなった時、何を作ったんだろう?というのが気になるんです。『ちょりびゅーと』の収録曲では、亡くなった友人に呼びかける“呼び声”や“僕たちはなんだかすべて忘れてしまうね”は目の前の現実や先が見えない将来への不安をなんとか作品に昇華しようとしているように聞こえるので、その一歩先を深められたんじゃないかという思いが拭えません。それは果たされないことなのですが……」