(左から)望月遊馬、文月悠光、小島基成

2024年8月に急死した詩人chori。茶道の裏千家の長男に生まれながらも15歳で家出するという前代未聞の決断を下し、詩人としての創作や音楽活動、イベントのブッキングなどで活躍した才能だ。しかし、その作品は未だに広く知られているとは言い難い。

そんなchoriの生前に生誕40周年と詩人生活25周年を記念して企画・制作され、結果的に没後にリリースされることになったのがベストアルバム『ちょりびゅーと』だ。2006~2016年にchoriが発表したアルバムとシングルから選曲された本作は、耳と心へあまりにもストレートに飛び込んでくるピュアな言葉が痛いほどに突き刺さる、青い衝撃を伴ったアルバムになっている。

その『ちょりびゅーと』のリリースに向けて、chori本人と詩人・文月悠光との対談がもともと企画されていた。だが、choriが亡くなったことで実現が不可能に。そこで文月の意向も踏まえ、choriと親交が深かった詩人・望月遊馬を加えて、アルバムのプロデューサーである詩人・小島基成との鼎談へこの企画は昇華された。3人の詩人が語らったchoriの素顔、そして遺された作品の可能性とは?

chori 『ちょりびゅーと』 石上栽花(2024)

 

chori

若者を代弁する詩人

小島基成「本日はお集まりいただきありがとうございます。まずは『ちょりびゅーと』の感想を聞かせていただけますか?」

文月悠光「choriさんとは2010年頃から交流があり、共通点は詩学最優秀新人賞を受賞したことです。ただchoriさんはその後、ポエトリーリーディングの道に進まれ、私は紙媒体など文字ベースの表現に舵を切りました。取り組みの形は違っていても、choriさんの志の高さを遠くから尊敬していました。

choriさんは私の7歳上ですが、『ちょりびゅーと』を聴いてまず抱いた感想は正直〈若いなあ〉でした(笑)。社会への違和感や反発、若者への連帯を体現しようとして背負っているなと。私自身はそれをしてこなかった、できなかったという思いがあるんです」

小島「文月さんは時代と一緒に歩んでこられたイメージがありました」

文月「若者代表として世代を背負っている感覚はなかったですね。メディアに出演する際は〈若者代表〉〈女性代表〉の役割を背負わされることがありますが、作品を作っている時は自分の作品を作ろうとしているだけで、世代を代弁しようという意識は薄かった。

それと『ちょりびゅーと』は音楽作品でもあって、音楽性もバラエティに富んでいますね。2006~2016年に書かれた詩とのことで、録音した時期もバラバラなのでしょうか?」

小島「バラバラです。それらを今回、新たにマスタリングし直しました。望月さんはどうでした?」

望月遊馬「自分がネットで活動を始めたのは2003年で、当時choriさんは既に活動していたと思います。choriさんが詩学最優秀人賞をとった2005年に自分もデビューしていて、ある意味、同期ではあるんです。

『ちょりびゅーと』の詩は、当時の受賞作などとちょっと違う印象を受けました。枝葉が刈りとられていて、すっきりしている印象です。choriさんと同時受賞したクロラさん(小倉拓也)は修辞的な表現を使う方ですが、『ちょりびゅーと』でのchoriさんは修辞性から離れている。対照的ですよね。当時の川口晴美さんによる選考文を見ると、2人の作品が選考期間中も発展的に変わっていったとあり、その発展的変化の集大成として『ちょりびゅーと』を聴きました。

あとchoriさんは、ルソーカップに入賞されていましたよね」

文月「ルソーカップとは何でしょうか?」

望月「ネット上で行われていた詩の賞ですね。10代などの若い方が受賞者に多い賞でした。そこにchoriさんが入賞されていたので、活動は主にネットだと思っていました。

また過去のインタビューを読むと、choriさんはもともと教科書に載っているような詩しか読んでこなかったと仰っています。中原中也がイケメンだったので、詩人も打ち出し方によってかっこいい存在になれるんじゃないかと思ったそうです(笑)。その意味で『ちょりびゅーと』も、個人的な意見が消費されていくことへの意識を感じます。

例えば音楽や朗読のライブって、不可逆なものだからこそのよさがありますよね。そういう不可逆の時間や一過性の中にあるからこそのよさや強みが、choriさんの詩にはあると思いました」