(左から)望月遊馬、文月悠光、小島基成

2024年8月に急死した詩人chori。茶道の裏千家の長男に生まれながらも15歳で家出するという前代未聞の決断を下し、詩人としての創作や音楽活動、イベントのブッキングなどで活躍した才能だ。しかし、その作品は未だに広く知られているとは言い難い。

そんなchoriの生前に生誕40周年と詩人生活25周年を記念して企画・制作され、結果的に没後にリリースされることになったのがベストアルバム『ちょりびゅーと』だ。2006~2016年にchoriが発表したアルバムとシングルから選曲された本作は、耳と心へあまりにもストレートに飛び込んでくるピュアな言葉が痛いほどに突き刺さる、青い衝撃を伴ったアルバムになっている。

その『ちょりびゅーと』のリリースに向けて、chori本人と詩人・文月悠光との対談がもともと企画されていた。だが、choriが亡くなったことで実現が不可能に。そこで文月の意向も踏まえ、choriと親交が深かった詩人・望月遊馬を加えて、アルバムのプロデューサーである詩人・小島基成との鼎談へこの企画は昇華された。3人の詩人が語らったchoriの素顔、そして遺された作品の可能性とは?

chori 『ちょりびゅーと』 石上栽花(2024)

 

chori

若者を代弁する詩人

小島基成「本日はお集まりいただきありがとうございます。まずは『ちょりびゅーと』の感想を聞かせていただけますか?」

文月悠光「choriさんとは2010年頃から交流があり、共通点は詩学最優秀新人賞を受賞したことです。ただchoriさんはその後、ポエトリーリーディングの道に進まれ、私は紙媒体など文字ベースの表現に舵を切りました。取り組みの形は違っていても、choriさんの志の高さを遠くから尊敬していました。

choriさんは私の7歳上ですが、『ちょりびゅーと』を聴いてまず抱いた感想は正直〈若いなあ〉でした(笑)。社会への違和感や反発、若者への連帯を体現しようとして背負っているなと。私自身はそれをしてこなかった、できなかったという思いがあるんです」

小島「文月さんは時代と一緒に歩んでこられたイメージがありました」

文月「若者代表として世代を背負っている感覚はなかったですね。メディアに出演する際は〈若者代表〉〈女性代表〉の役割を背負わされることがありますが、作品を作っている時は自分の作品を作ろうとしているだけで、世代を代弁しようという意識は薄かった。

それと『ちょりびゅーと』は音楽作品でもあって、音楽性もバラエティに富んでいますね。2006~2016年に書かれた詩とのことで、録音した時期もバラバラなのでしょうか?」

小島「バラバラです。それらを今回、新たにマスタリングし直しました。望月さんはどうでした?」

望月遊馬「自分がネットで活動を始めたのは2003年で、当時choriさんは既に活動していたと思います。choriさんが詩学最優秀人賞をとった2005年に自分もデビューしていて、ある意味、同期ではあるんです。

『ちょりびゅーと』の詩は、当時の受賞作などとちょっと違う印象を受けました。枝葉が刈りとられていて、すっきりしている印象です。choriさんと同時受賞したクロラさん(小倉拓也)は修辞的な表現を使う方ですが、『ちょりびゅーと』でのchoriさんは修辞性から離れている。対照的ですよね。当時の川口晴美さんによる選考文を見ると、2人の作品が選考期間中も発展的に変わっていったとあり、その発展的変化の集大成として『ちょりびゅーと』を聴きました。

あとchoriさんは、ルソーカップに入賞されていましたよね」

文月「ルソーカップとは何でしょうか?」

望月「ネット上で行われていた詩の賞ですね。10代などの若い方が受賞者に多い賞でした。そこにchoriさんが入賞されていたので、活動は主にネットだと思っていました。

また過去のインタビューを読むと、choriさんはもともと教科書に載っているような詩しか読んでこなかったと仰っています。中原中也がイケメンだったので、詩人も打ち出し方によってかっこいい存在になれるんじゃないかと思ったそうです(笑)。その意味で『ちょりびゅーと』も、個人的な意見が消費されていくことへの意識を感じます。

例えば音楽や朗読のライブって、不可逆なものだからこそのよさがありますよね。そういう不可逆の時間や一過性の中にあるからこそのよさや強みが、choriさんの詩にはあると思いました」

 

受け手のクリエイティビティを刺激する才能

小島「僕が知り合った頃、choriは23歳で僕は19歳でした。その頃、既にパフォーマー、板の上のchoriとして存在していたんです。紙媒体からフェードアウト気味で、ポエトリーリーディングといいつつ音楽というアートフォームの中で表現していました。クリープハイプとのツーマンライブを行ったり、中村佳穂さんとのバンドで活動したりしていましたが、つまり数百人の前で1時間のパフォーマンスをこなし、お客さんに感動を与える存在だった。そんな詩人は他にいなかったので、『ちょりびゅーと』はそういう部分を伝える編集方針でこの曲順にしたんです。

初期、特に2006年の1stアルバム(『Redemption Songs』)は収録曲の半分がバックの音楽がない朗読で、まだ従来のポエトリーリーディングに軸足を置いていました。でもchoriは音楽へ徐々に寄っていき、最後はバンド編成になり、ラップに近い形になった。その変遷は、現代詩の書き手にはどう見えていたのでしょうか?」

望月「自分は大学生の時にヒップホップダンスを始めたんです。ちょうどchoriさんに出会った頃で、ヒップホップを取り入れていた点でもchoriさんに興味を持ちました。

choriさんのパフォーマンスというのは、自分にとって演者(詩人)として加わるか、ダンサーとして加わるかの二択なんです。どちらになりたいかと考えた時、自分は詩人として彼の表現に合流したいと思いました。なぜかというと、ダンサーは既に出来ているものに表現をのせていく側面がありますが、choriさんの作品は受け手のクリエイティブな回路を刺激するところがあって、一緒に作り上げていきたいと思わせるからです」

小島「なるほど。望月さんが書いた詩をchoriが詠んだことはありましたか? 彼は他人の詩をライブで勝手に詠むことも多くて、『ちょりびゅーと』にも彼が書いた詩じゃないものを詠んだ曲も収録しています。その技術が天下一品で、他人が書いた詩をオケにのっけて朗読してしまえる稀有な才能を持っていました。

彼が存命だったら、望月さんや文月さんが書いた詩をトラックにのせてchoriが詠むとか、そういう化学反応を起こしたいなと思っていたんですよね。彼には他者を巻き込んでいく力がすごくあったので」

 

choriとのファーストコンタクト

小島「文月さんのchoriとのファーストコンタクトはいつですか?」

文月「先日、mixiに数年ぶりにログインしたら、私のプロフィールページの最初の紹介文がchoriさんによるものでした。2010年頃に書いていただいたもので、出会いもその頃だと思います。

私は高校まで札幌にいて、ネットや詩の雑誌に詩を投稿して、現代詩手帖賞や中原中也賞を頂いたあとに上京しました。ただchoriさんは京都にいらっしゃったので距離があり、実際にお会いしてパフォーマンスを見たのは2013年でした。それが面白い企画で、京都の叡山電車の車内で朗読をする〈朗読ツアー〉というイベントで共演したんです。編集者の(現在は三軒茶屋の書店twililightの店主でもある)熊谷充紘さんによる企画でした。

あと、ポエトリー・ナイトフライトという定期イベントが京都のVOXhallで行われていて……」

小島「choriがずっと出ていたイベントですね」

文月「そうです。そこへ2015年の秋にゲストとして呼んでいただいて、京都のポエトリーシーンの盛り上がりの熱を感じて感動したんです。東京の詩壇に疲弊していた時期だったので、〈詩を盛り上げようと頑張っているのは自分だけじゃない〉とすごく励まされて東京に戻ってきたのを覚えています」

小島「望月さんのファーストコンタクトは?」

望月「2010年前後だと思います。僕が大阪に住んでいた頃で、大谷良太さん、奥津ゆかりさん、八柳李花さん、清野雅巳さんと花見をしたのですが、雨が降ってきたのでピザ屋に入ったんです。そのピザ屋でchoriさんのライブを見に行こうという話になり、その内の何人かで京都のnanoに行ったのが初対面だったと思います。

その時のことを実はよく覚えていなくて、当時書いたエッセイを読み返すと、〈とても新鮮な体験だった。そこでは数々のバンドが代わる代わる演奏する音楽に合わせて詩を朗読する人もいる。私は人だかりの中に立ちすくんで、ぼんやりしていた。人の会話は聞けなくても、音楽だけは聞けた。昔からそうだった。音楽が流れ始めると、自然と体がリズムをとり始める。詩人たちは皆がそれぞれのリズムで体を揺らしている。それがそのまま言葉のリズムになるのかどうなのか、私にはまるで見当がつかなかった。ただ、どこか心地よさを感じられるようなひとときだった〉という感想を残しています」

 

詩人による音楽の可能性

小島「なるほど。同年代でchoriのような活動をしていた方って他にいたのでしょうか? 歴史的に1970年代はフリージャズの演奏と共に詩を詠んだ方も多くて、その後も佐野元春さんがジャズ系の演奏をバックにしたポエトリーアルバムを出されています。choriがやっていたのはラップに寄ったポエトリーリーディングでしたが、似た人が周りにいなかったので新鮮でした」

文月「choriさんは心外かもしれませんが、不可思議/wonderboyさんはスタイルとして近かったと思います。ただ私がchoriさんのパフォーマンスを目の前で見た時の感覚では、音楽的になりすぎないところで止めていた気がしました。一方で不可思議/wonderboyさんは、生前にパフォーマンスも拝見したのですが、歌い上げるような、身体も使ってエモーショナルな表現をしている印象でした」

小島「不可思議/wonderboyとは同時期に活動していたんです。choriとライブしたこともあるので近しいですね。不可思議/wonderboyは(2011年に)亡くなったことである意味神格化され、フォロワーが増えていきました。

勝手な推論ですが、choriはある時期まで同じような道を歩いていたので、二番煎じと思われるのが嫌でスタイルを変えていった面もあると思います。その結果、文学的なポエトリーリーディングと音楽との融合という点で、choriは3rdアルバム『地図をつくる』(2009年)でいい線まで行ったと僕は思っていて(笑)。そういった詩人がやる音楽の可能性を評価してほしいとも考えて、僕は『ちょりびゅーと』を作ったんです」

文月「choriさんも不可思議/wonderboyさんも、歳を重ねて〈成熟した大人〉を背負わなければいけなくなった時、何を作ったんだろう?というのが気になるんです。『ちょりびゅーと』の収録曲では、亡くなった友人に呼びかける“呼び声”や“僕たちはなんだかすべて忘れてしまうね”は目の前の現実や先が見えない将来への不安をなんとか作品に昇華しようとしているように聞こえるので、その一歩先を深められたんじゃないかという思いが拭えません。それは果たされないことなのですが……」

 

〈普通の人間になりたい〉という叫び

小島「15曲目の“しけるいかばね”の最後、彼は〈普通の人間になりたい〉と叫ぶんですね。ほとんどの表現者は〈何者かになりたい〉と思って表現をするのですが、choriは〈普通の人間になりたい〉と叫ぶ。そこに彼が抱えていた地獄の一端を見た気がします。僕は、その先の作品を見たかったんです。

“しけるいかばね”は彼が抱えている苦しみをそのまま吐き出したほとんど唯一の詩なので、『ちょりびゅーと』に必ず入れたいという思いは彼にも伝えていました」

文月「昔、共演した際の“しけるいかばね”の朗読を聴いた時の強い印象が残っています。ただ、これほど苦しくもがいている作品だったということは、『ちょりびゅーと』で聴いて気づきました。ある意味、自分を曝した自己紹介のような作品だと思います。自分は中産階級ではないし、貧しい暮らしをした経験もない、社会のために労働しているわけでもなく、ぼんやり暮らしている内にこんな歳になってしまった、という背伸びせず飾らないそのままのchoriさんがそこにいます。

あと同作で秀逸なのが、石川啄木の〈はたらけど はたらけど猶わが生活楽にならざり ぢっと手を見る〉を引用した、自分の手は水仕事も肉体労働もしたことがない手で、生活の年輪が浮かんで見えるとはとても言えない、という表現です。キツい労働の表現は共感を得られやすいわけですが、choriさんが置かれている境遇はそういうものじゃないという。choriさんの表現には、特殊な出自がどうしても関わってくるんですね」

小島「仰る通りです。なかなか共感を得られない表現ですよね」

文月「最後にお会いしたのが2022年9月のポエトリー・ナイトフライトで、その打ち上げの席で誰かから皇族についての話を振られた時、choriさんは〈俺はそういうことは話したくない〉と言っていて、出自に触れてほしくない、そこを入り口に自分を知ってほしくないという思いを感じました。あくまで自分は詩の書き手であると。

その数か月前、私はピース・シンポジウムで〈平和〉を題材にした詩を朗読したのですが、その時、開会の挨拶に高円宮承子さまがいらっしゃったんです。choriさんにそのことを話したら、〈あ~、承子ちゃんね〉と言っていたのが面白くて(笑)。中高生の頃、鬱々としていた時期にメールのやりとりをよくしていたそうです。choriさんっぽいエピソードだなって」

小島「彼は500年近く続いている裏千家の十七代目になるはずでしたが、長男なのに継がないことを選んだ。十七代続いてきた文化が、長男が継がないというだけの理由でなくなるぐらいやったら、それは時代に求められていないんやからなくなったっていい、と彼は言っていました。

それは本心やと思うんですけど、同時に彼は日本の伝統文化をリスペクトしていて、自分の家や家族のことも大好きだったんですね。もし家や家族が嫌いで絶縁したのだったら、もっと楽やったと思います。そうじゃなく、家族に認められたいし、家を出たことをポジティブに捉えてもらえる環境を作りたいのに、それができていない俺はいったい何なんや、とchoriは苦しんでいました」

望月「矛盾の中でどう生きるかということですよね。……何人かの言葉を引用したいのですが、詩人の川口晴美さんが鈴木志郎康さんに詩を習っていて、他者の人生を描く詩を書いた時、鈴木さんに〈あなたの年齢の時点までしか描けていない〉と言われたそうです。自分の年齢より先を想像するのは非常に難しい、と川口さんは仰っていました。

それと松下育男さんが最近Xで書いていたのが、〈さんざん心が落ち込んだ日の夜には、詩を書こうなんて思えない。/そんな日はお風呂に入って、すぐに寝る。/ただ、落ち込んで何もやる気がしない夜にしか書けない詩、というものが、実はあって、/少し頑張って書いてみたら、いつもの詩よりも地味でも、自分を勇気づけてくれる詩になったりもする。〉ということです。

自分の年齢を超える想像力と絶望した時に何かを生み出せる可能性、その2つを合わせて考えた時、choriさんは矛盾の先で何かを表現できたのではないかと感じます。例えばショパンは39歳で亡くなっていますが、ある音楽家が〈彼は天才だったから39年の命しかなかった。それ以上生きていたらとんでもない作品を作っただろうから不公平になる〉と言っていて。choriさんもそういう方なんじゃないかと思うんです」

小島「ショパンと並べるなんて、それはchoriへの最高の追悼なんちゃいますか(笑)。ぶっちゃけ、望月さんはchoriを評価していたのでしょうか?」

望月「詩学最優秀人賞をとられた時は、ずば抜けていた印象です。『chori』(2006年)という詩集が出た時も買って拝読しました」

小島「当時、彼は〈ヴィレッジヴァンガードに置かれるような詩集がいいんだ〉と言っていて(笑)。実際、3,000部を売り切ったそうです。詩学最優秀人賞は狙ってとったとも言っていました。

彼の人生設計では『chori』で中原中也賞をとるはずだったらしく、〈最終的に辿り着きたいのはどこなの?〉と聞いたら、〈アメリカのビルボードチャート1位〉と言っていました(笑)。要するに、そこまで行かないと裏千家を超えられない、裏千家を出てまで詩を書く意味がないと。脅迫観念ですよね。すごいプレッシャーを何より自分自身にかけていた。誰もが理想と現実との相克で努力したり修正したりするものですが、choriは矛盾の中を生き続けていたわけです。

週刊誌に〈運命の子〉と書かれていましたが、どれだけ表現者として上に這い上がって行っても、生まれた時の千明史(choriの出生名)の方が有名やと。なら、それを思う存分吐き出したらいいのに、彼の美学なのかもしれませんが、その苦しみを詩に綴らなかったんですね。

最終的にどこへ向かったかというと、テクニックに対するこだわりでした。『ちょりびゅーと』に収録した“タラチネ”という詩はちはるさんという個人に対して詠んだものですが、最後に〈ほんとそうだよな 本当、そうだったよな〉って同じようなフレーズを繰り返すんです。つまり、ちはるさんと恋人になりきれず、隣人のような関係で終わってしまったことに対する淡い、後悔にもなり切らない感情の吐露。

僕の場合はそのことに対して〈ほんまにそうやった〉と心から思えないと、あの言葉は言えません。でも彼は、実際に思っていなくても発音やイントネーション、息の込め方などの技術で言えてしまうんです。choriのずば抜けたテクニックを感じる部分ですが、僕からするとあれはフェイクなんですよ。なので表現についてよく喧嘩していましたが、同時にchoriがテクニックをひたすら磨き続けたことはすごいとも思います。

でも表現者として底にあるもの、芯は何だったかと問うと、何もないんですね。表現をテクニックでぐるぐる巻いていただけで、全部ほどいたら何も残らない、というのが彼の詩作だという印象です。だからこそ〈普通の人間になりたかった〉という叫びを技術でくるんだらいいのに、と思っていました」

 

文月悠光と望月遊馬の詩集や寄稿雑誌

死後に残る/遺す作品

望月「お2人は、創作したものが自分が死んだあとに残ってほしいと願いますか?」

文月「例えば短歌の方で、詠み人知らずの一首でいいから自分の歌が残ってほしいという話はけっこう聞きますね。亡くなったあとに作品が評価されればいいという方もいます。

私は、今はそういう時代ではなくなってきていて、生きている内に評価されてこそ作品が残る可能性も上がるのだと思っています。そして死後に作品が残るかどうかは受け手が決めるので、作家がどうこうできる問題ではないんですね。今の私は生きている間に書ける場所で書き続けて、出られる場所に出続けようという心持ちです」

小島「僕はポエトリーリーディングのアルバムを自費出版で世に出したので、寿命が終わっても、少なくとも作品は残ることに安堵しました。自分が生きた証は、断片ですが残せたなと。ただ作品を出した瞬間に〈これが残るのは嫌だ〉と思って、また創作が始まっていくんですが(笑)」

文月「答えは出ませんよね」

小島「先ほど言ったように、僕は表現の根っこに何があるかに興味があるんです。それぞれの表現を掘り下げて、世界と繋がった先に何が見えるんだろうと。僕は、詩というのは掘れば掘るほど最終的に宗教的なものに繋がるんじゃないかと思います。

その意味で僕は、choriを表現者としてあまり評価できなかった。でもパフォーマンスするプレイヤー、演者としてはすごくリスペクトしていました」

文月「小島さんが仰るように、作品を作り続けている内に遠い世界や神と繋がるような感覚は創作者の誰もが持つと思います。しかし自分も同じ道を辿って気づいたのですが、作り手自身は表現を深めているつもりでも、どこか似たような結論になって均質化していく気がして、逆に面白みがなくなると私は感じるんです。だからこそ表現者の成熟って難しいんですよね」

望月「例えば最果タヒさんは10代の頃、〈死んだあとに欠片を残したい〉とブログに書いていました。ただ今はSNSが発達したことで、生きている間に表現や作品が拡散されてしまうから、死後の再評価はありえないとも言われます。

自分の考えは子供っぽいですけど、宇宙がいずれ消滅することまで視野に入れると、人類が生き永らえる期間だけ残り続ければいいと考える人のモチベーションがどこにあるのかが気になるんです」

小島「望月さんはどうなんですか?」

望月「自分は、自分の作品は消えていいと思っています。私が死んだら忘れ去られていい。これは死ぬことへの恐怖と関係があるかもしれません。例えば作曲家のショスタコーヴィチは死ぬ間際、死の恐怖を音楽に撒き散らして表現していました」

小島「死の恐怖は感じますか?」

望月「まだ解決できていませんね……。以前は恐怖心を覚えましたが、自分で食事を摂れなくなったら、点滴を打たなければ脱水症状に陥って意識が混濁し、苦しまずに死ぬという話を聞いて、それなら怖くないかもと思い始めています。choriさんはどうだったのでしょう?」

小島「体調が悪くなった時に〈病院に行って体を治すことが次の一歩じゃないか〉と説得しましたが、〈病院に行ってまで生き永らえたいと思わない〉というのがchoriの主張でした。彼自身の中に確固たるchori像があり、他者からどれだけ言われようが正解は決まっていてそれに殉じていく、という美意識があったようです」

文月「choriさんにもう少し素直さがあれば……と思ってしまいますね。2022年の春とその翌年に京都へ行った際もお茶に誘って時間や場所まで決めたのに、直前にキャンセルされることが2回続いたんですよね。当時は〈体調は大丈夫なのですが、文月さんに不様な自分を見せたくない〉というようなことを仰っていました。今思えば、その頃から不調を抱えられていたのかもしれません」

小島「choriは2014年に裏千家から分家して〈菊地明史〉という名前になったんです。その後、2015、2016年頃にchoriという筆名も一旦下ろしたんですね。もともとchoriという名前は〈千(せん)ヨリ〉と書かれたファックスが〈チョリ〉に見えたから付けたもので、明確に〈千〉が含まれているので、分家のタイミングで韓国語読みの〈キクチミョンサ〉という名義に変えて活動を始めたんです。

で、choriの遺作として『なとつみ』(2016年)を出し、〈いくらでもいいので銀行にお金を振り込んでください。そうしてくれたらCDを送ります〉というリリース方法をとりました。僕も送金して〈やめるのは残念や〉とメールを送ったら、〈これからは文筆家として細々とやっていくよ〉というような趣旨の返信があって。

彼の中でchoriを終わらせたわけですが、半年か1年後に名義を戻すんですね。choriをやめた瞬間、自分は何しているんだ?と感じたのでしょう。裏千家を継がず一人の詩人になれたはずなのに、その後に訪れたものが虚無だったわけです。その頃から体調が徐々に悪くなっていったと僕は認識しています。

それとパートナーのはったみさとさんが仰っていたのは、あれだけパフォーマンスやライブのブッキングが好きだった人がコロナ禍で何もできなくなり、収入の道もなくなった頃からメンタルが削られていったということでした」

 

オーガナイザーchoriが作っていた熱い空間

小島「オーガナイザーやプロデューサーとしてのchoriって魅力に富んでいたと思うのですが、みなさんにはどう見えていました?」

望月「自分が参加したのはVOXhallのイベントです。そこで友人とアインシュタインの話をしていて、詩的な表現ですが、その時に立っていたchoriさんの姿は彫刻に見えました。照明が当たって光と影が刻まれたような姿が彫刻に見えて、その視覚的な印象をよく覚えています」

文月「私は活字ベースで活動しているので、同じ詩の朗読イベントに出ていても、リーディングの方々とはどうしても価値観や見ているものが別になる。でもchoriさんに誘われて2015年にポエトリー・ナイトフライトに出た時、その壁が一瞬取り払われたように感じたんです。椅子を円形に並べて、その真ん中でそれぞれ朗読したり、それを聴いたり、遠方から朗読するためにいらっしゃった方もいたり、すごく熱い空間でした。

自分は16歳でデビューしたから周りがみんな年上で、親世代の方が多かったので、choriさんは歳が近くて話しやすかったのもあります。choriさんは出演者からも親しまれていて、あの頃から詩を中心としたイベント運営などで食べていこうという意識が強かったと思います」

小島「なるほど。なぜこの質問をしたかというと、choriと活動を共にしていた方でもブッカーとしての彼を評価しない人が多いんです。〈もっと詩を書け〉〈パフォーマンスに集中しろ〉〈何を表現から逃げているんだ〉という見方なんです。彼はそういう他人の意見を気にするタイプで、自分ではブッカーやオーガナイザーを天職の一つと捉えているのに、それを否定される苦しみを感じていましたね。

僕は、出会った頃からブッキングマネージャーのchoriと詩人のchoriをうまく両立させていたので、それをもっと高い次元で融合させられれば、出てくる表現も温かくて柔らかいものになったんじゃないかと思っていました。でも、やっぱり彼には芯みたいなものがなかったんですよね」

文月「choriさんほど志が高い人は近くにいたのでしょうか? 私は、それがいちばん心配でした。最後にイベントでご一緒した時(2022年9月)、choriさんが以前のパワーを失って、イベントに吸収されているように感じて。なので鼓舞しなきゃと思って、〈choriさんの新しい詩集を読みたいです! 詩集を出しましょうよ!〉という話をしました」

小島「そういえば彼、文月さんからそう言われたと、すごく喜んでいましたね。仰る通り、同じ目線で走れる同志や切磋琢磨できるライバルはいなかったと思います」

望月「初期のchoriさんは久谷雉さんを仮想ライバルにしていた感じがありましたよ(笑)。久谷さんが若い頃に谷川俊太郎さんと対談されていて、〈自分も対談したい〉と言っていましたし」

小島「文月さんのことも書き手として意識していました。最果タヒさんも詩人としてきちんと評価されているから、〈負けへんようにやらなあかん〉とやたら悔しがっていました。彼は心の底から詩人が好きで、詩人への愛に溢れていたんです」

文月「choriさんのイベントはchoriさんが開いたchoriさんの場であるために、彼より年上の人があまり来ていなかった印象です」

小島「仰る通りです」

文月「〈今日、初めて朗読します〉というような初々しい方は来るのですが、choriさんと競争できる上の世代や実績がある人は来ていなかった。そういう人を積極的に入れるべきだったかもしれません」

望月「作品の質も変わったかもしれないですね」

小島「僕は、吉増剛造さんとchoriは絡むべきだと思っていました。バトンをきちんと受けとっておくべきだと」

文月「朗読の名手である広瀬大志さんとかも呼んだらよかったかもしれませんね」

小島「伊藤比呂美さんとかね。要するにイベントは異世代の架け橋にならないといけないのに、choriは自分で止めてしまっていた。辛辣な言い方をすると、自己満足のイベントになってしまっていた面があって」

 

表現と商業性・資本主義とのバランス

望月「話は飛びますが、原爆が落ちて来年で80年です。被爆体験を語って伝承する方って無報酬でお話しされるそうですが、もしお金が支払われることになったら表現が組織化され、質も画一化されるかもしれないと思ったんです。

choriさんと被爆体験者を同じように語っていいかはわかりませんが、もしchoriさんの表現やオーガナイズにある程度のお金がかかっていたら、何かが画一化されてしまっていたかもしれません。上の世代を呼ばなかったことを含め、その点は重要な気がします」

小島「つまり、商業ベースとの距離感についての話ですよね」

望月「そうです。同時に商業ベースへのることで洗練されていく面も当然あって、これは現代詩の課題でもあるかもしれません」

文月「choriさんに頼まれてイベントに出たり、2019年に〈詩人狼村5th〉というネット上での人狼企画で選評を書いたりしましたが、毎回謝礼を頂いていました。ただ、いつも思っていたのは、このお金はどこから発生してるんだろう?ということで(笑)。choriさんなりの思いやりだと思いますが、やはりどこか資本主義から離れている方だったと感じます。

例えば『ちょりびゅーと』収録作の“730”に、〈時給 730 円で パスタ茹でてるきみが 年収 何億円かの歌手の歌には涙こぼすのに 時給 730 円でレジ打ってるヤツの歌に 耳を傾けないのは なんでだ〉という部分がありますよね。何億円も稼げる人のすごさや価値って、時給730円で働く人からそうじゃない人まで多様な人が感動する音楽を生み出せることだと普通は考えるわけですが、choriさんはあまりに純粋というか、資本主義に染まっていなさすぎると思いました」

小島「彼は、お題をもらって即興で詩を組み上げることなどに関してもすごく上手でした。仕事の依頼でものを書くことも、へっちゃらでできる人間だったんです。なんぼでも書けると。例えば狂言師の茂山千之丞さんとの〈chori/童司〉というユニットでライブをする時、朝までに10編の詩を書けと言われたら、ある程度の水準以上の詩をちゃんと出してきたそうです。

だから彼は、商業ベースに適正があったと思います。そういうオファーをどんどんする環境を作っていたら、突破口を開けたんじゃないかと思うんです」

文月「『詩学』が休刊したタイミング(2007年)などでchoriさんに再デビューしてほしかったのですが、その頃はもうリーディングの活動へシフトされていました。もう一度、中原中也賞を狙ってほしかったとは思います。choriさんは退路を断って、道を一つに絞りたかったのかもしれませんが」

小島「『すばる』に短編小説が載ったタイミングも何かのきっかけにできたと思うんですよね。その後に編集者とやりとりをして、ボツを食らってやめてしまったんですよ。彼は粘り腰がなかったんです(笑)。『すばる』に載せた作品で芥川賞がとれないから、もうやめてしまうと(笑)。

ただ、〈小説を書くのは別に好きじゃない〉とも言い切っていました。何のために書いたかというと、知名度を上げるため、売れるため、自分の立場を世間に広めるためだったと。それも、言うたら不純な動機ですよね(笑)。不純でもいいから、やり切れたらよかったのですが。

音楽においても、チャンスはいくつもありました。レーベルに所属して全国流通盤を出しましたし、メジャーデビュー寸前のところまで行っていた。音楽なんて詩よりもっと商業ベースなので、開き直って使えるものを全部使ったらよかったのに、choriは中途半端だったんですよね。裏千家の門の前でアー写を撮ってはいましたが(笑)」

文月「choriさんの生活スタイルも関係していますか? 体調管理の問題とか」

小島「それは当然ありますね」

文月「私も結婚して人と暮らすようになり、生活が整ったことでメンタルがかなり補強されました。作品を作る、表現する以前に生活という土台がないと踏ん張れないんですよね」

小島「メンタルって、まずフィジカルから来ると僕も思います。そこは、彼は壊滅的にダメでしたね(笑)。

彼自身、もっと早く死ぬと思っていたんやないでしょうか。choriを10代の頃から知っている詩人の方に話を聞いたら、彼の人生プランに〈30代〉というのはなかったそうです。例えば25歳までにビルボードの1位をとれていなかったら、その後の人生なんて必要ないと思っていたかもしれません。ただ軸を他者や社会からの評価に置いてしまっていたので、それが得られないと満たされなかったという」

望月「承認欲求の話ってすごく難しいですよね」

小島「choriは承認欲求の塊でした。承認欲求が富士山より高かったんですよ(笑)」

望月「ハーバード大学の研究では、適切なコミュニティに所属し、相手からも必要とされ、自分も相手を必要としている状態がいちばん幸せなんだそうです」

小島「これは本人に聞いたことではないのでわかりませんが、もしかしたらchoriは幸せになってはいけないと思っていたかもしれません。要するに、裏千家を継ぐ立場である長男でありながらも家を出る、という前代未聞の行動で犠牲や無理を強いた人が多すぎるので」

文月「裏千家を継ぎながら詩人になる可能性もあったのでしょうか? 私や大抵の人ならそう考えると思いますが、choriさんの信念は違ったんでしょうね」

 

J-POPと現代詩の融合を可能か?

小島「今回の『ちょりびゅーと』で、僕はプロデューサーの立場からポエトリーリーディング作品を音楽シーンに問うていきます。ミュージックラバーが見るMikikiさんにこの詩人の鼎談企画をあえて持ち込んだのは、例えばアイドルやロックバンドなど近年のJ-POP作品にポエトリーリーディングが取り入れられていて、消費されている面があるからなんです。その点はどう思いますか?」

望月「なるほど。自分は音楽もやっていますが、極論を言えば何をやってもいい、しかもタイミングもいつでもいいと思っています。なぜかというと、作曲家のエリック・サティの例を挙げますが、彼は対位法をちゃんと勉強しておらず、当初は批評家連中から〈素人のようだ〉と否定的な評価を受けていたんですね。それでパリのスコラ・カントルムで対位法などの楽典を勉強して、自信を持って新作を発表したら、〈何だこれは〉〈酷い〉とさらに否定されてしまったんです。さらにスコラ・カントルム入学前の作品を演奏する運動なんかも起こっちゃって。なので、何かを得ようと試みて得たものが実際に自分の身になるかどうかは運次第なのかなと思います。

音楽シーンでポエトリーリーディングが取り入れられていることも何かがうまくハマったら成功する可能性があると、サティのことを考えて思いますね」

文月「私は夫(坂東祐大)が現代音楽を中心に活動する作曲家なのですが、夫と親交のある米津玄師さんもライブで中原中也が訳したランボーの詩を朗読されたりしています。

小島さんが仰るアイドルは特にそうですが、J-POPは消費のスピードが早いので、消費が遅い文学や文学的なものへの憧れを感じます。そういったことを超えて、音楽と詩のリーディングを有機的に融合させた方だと近年感じているのが春ねむりさんです。ただポエトリーラップというジャンルも、現代詩とは距離があるのと、単独のアーティストの作品が聴かれる一方で、浸透して深まっていく時間がなかったように感じます。

私が夫とよく話しているのは、ポエトリーリーディングのアルバムを作りたいということなんですよね。私がテキストを作って、彼が音楽をつけて、という作品を作りたくて」

小島「マジですか!? ぜひやってください!」

文月「はい(笑)。ぜひ作りたいと思っています。リーディングの表現を取り入れたJ-POPをきっかけに、詩集を手にとってほしいですね。今広く受け入れられている推し活の文化は一つの対象をひたすら深掘りする印象なので、横に広がっていく受容のされ方がもっとあればいいなと思っています」

小島「アメリカにはビートニクがあって、ジャマイカには政治的な詩を詠むダブポエトリーがありますが、日本にはそういう文化がなかなかない。

僕が19歳の時にライブハウスで初めて詩の朗読をした時、目の前にギャルが2人おって爆笑されたんです。その経験が僕にとってすごく大きくて、〈こいつら、いつか絶対いわしたろ〉と思って、それを原動力に走ってきました(笑)。

つまり、自己満足の朗読をしているだけではかっこよくないと気がついたんです。お客さん、リスナーというものをもっと意識しないといけない。その点、音楽のオケがあると朗読の緊張感が中和されますよね」

文月「ただ、さっきも言ったように、音楽は消費のスピードやジャンルの更新が早い。良くも悪くもサウンドに時代感がのってしまうので、逆に音楽がない方が長く残る作品になる可能性もあります」

小島「僕はJ-POPに詩が取り入れられることには肯定的で、どんどんやって広まってほしいと思っています。ただ何をこんなに悩んでいるかというと……詩人として食べていくことがどうすれば可能になるんだろう、どうすればそのハードルが低くなるんだろう、ということを常に考えているんです。これは、choriもずっと抱えていたテーマですね。彼が詩人として食えていたら、おそらく39歳で亡くなることもなかった。

例えば川上未映子さんは当初音楽をやってはりましたが、詩のシーンに入って中也賞をとったんですよね。その後、小説家になって芥川賞をとりましたが、詩人としてだけ活動されていた時期は長くないんですね」

文月「昔、川上さんとお会いした時、〈私の文学的なヒエラルキーでは詩が最上位にある〉というようなことを仰っていて、感銘を受けた記憶があります。川上さんが責任編集をされた『早稲田文学増刊 女性号』でも、詩や短歌が多く掲載されました。2022年に芥川賞を取られた井戸川射子さんも、元々は詩人としてデビューされていますね。

最近は文芸誌の編集者と話しても現代詩のことを知らない方が多くて。その反応から、詩人側が詩の魅力を伝える努力を怠ってきたのでは……と私は反省したりもするのですが、そこから新しい企画に繋げていこうと頑張っています。文芸界でも現代詩と小説の世界を繋いでくれる存在がほとんどいない状況ですが、川上さんや井戸川さんは数少ないその一人です」

小島「なるほど。あと、今ヒップホップを聴いている若い人は言葉に対する感度が高まっている気がします。僕とchoriはTHA BLUE HERBがすごく好きで、BOSS THE MCのリリックはかなり深いですよね。そういうアーティストのファンに、活字の現代詩にも興味を持ってもらいたい。アーティストが現代詩に対する意識を持っていても、受け手が音楽のところで止まってしまってるのが現状なので。

choriはそこに橋を架ける場を作ることができた人間だったので、現代詩ともっと深く関わってほしかったという思いもあります」

 

choriの作品を未来へ届けるために

小島「ただchoriは死んでもうたんでね……。生きていたらまた別だったんですけど。

彼の人生を、彼の曲をまとめる作品を作ろうというアイデアは、完全にプロデューサーである僕発信なんです。なぜかというと、ポエトリーリーディングと音楽、文学と音楽を高い次元で融合させ、それを成功させた作品や曲をchoriはいくつも残しているのに、それがあまりに世間に評価されていない、ちゃんと届いていないからです。

大袈裟なことを言いますが、choriという人間がこの時代にやっていたことをきちんとアーカイブしておかないと、50年後、100年後の詩のシーンにとって大きな損失だと思ったんです。そういう一種の使命感から、このアルバムを企画して作りました。

例えば僕の6歳の娘が10年後にchoriという人間の作品を気軽に聴ける環境があるかないかで、現代詩に対する感覚は変わってくると思います。SpotifyやApple Musicでハードルが下がって、音楽をいい意味で気軽に聴ける時代だからこそ、ポエトリーリーディングの入り口になる作品を一枚、きちんと置いておきたかったんです」

文月「わかります。私は高校時代、小説家の古川日出男さんや詩人の児玉あゆみさんの朗読をiPodで聴きながら登下校していました。気軽に聴ける環境があるからこそ、当時の記憶や感覚の中に詩が刻まれていったんです。

Spotifyでポエトリーリーディングのプレイリストを作りたいですね。『ちょりびゅーと』は配信もされるのでしょうか?」

小島「配信もします。今回、僕は彼の全作品の中から30数曲に絞ったんです。そこからさらに17曲に絞ったのがこのアルバムなので、絞る前のものも配信したいと考えています」

文月「それは楽しみですね」

小島「現代詩やポエトリーリーディングの作品で、商業ベースの場に勝負をかけたいんです。やっぱり、商業ベースで挑戦するスピリットを忘れちゃいけないと思います。

そのためには、作品がある一定のレベル、世に通用するレベルを超えていないといけない。僕は、choriはそれを達成していると思ったので、今回『ちょりびゅーと』を世に問いました。choriのことを知らない人がほとんどなので、これからどういう反応が返ってくるかが楽しみですね」

 


RELEASE INFORMATION

chori 『ちょりびゅーと』 石上栽花(2024)

リリース日:2024年11月20日(水)
品番:SJSK1
仕様:CD
価格:3,300円(税込)
配信リンク:https://diskunion.lnk.to/SJSK1

TRACKLIST
1. The Park Is Mine
2. すべて光
3. 730
4. アートアンドマインド
5. たべもの
6. 季節
7. 聴きたくないような歌だけがやさしい
8. 手紙
9. タラチネ
10. ふらちですか?
11. なとつみ
12. 呼び声
13. バイバイバイ
14. ぼくたちはなんだかすべて忘れてしまうね
15. しけるいかばね
16. ベイビーグッドラック
17. きみにあげたいものはないけど、今、うたいたい歌があるよ

編集・マスタリング:George Mori

 


PROFILE: chori(ちょり)

詩人。1984年、茶道裏千家十六代家元千宗室の長男に生まれる。母は三笠宮崇仁親王次女である容子。大正天皇は母方の曾祖父。その関係から産まれた時に〈運命の子〉と騒がれるも、15歳で家出。そのまま裏千家史上初となる長男でありながら家督を継がないという未曽有の決断を下す(現在は分家という形で菊地姓を名乗る)。中学生時代の1999年から詩人として活動を開始し、第1回詩学最優秀新人賞をはじめ大小多数の賞を獲得。バラエティ番組のレギュラー出演やNHK等のドキュメンタリー番組で取り上げられる。文芸誌「すばる」上での短編小説執筆や全国紙等での執筆、教育機関でのワークショップや講演も積極的におこなう。主な著書に詩集「chori」(青幻舎・2006年)、「にしむくさむらい―詩人choriの京都十二ヶ月―」(武田ランダムハウスジャパン・2011年)など。また、狂言師・茂山童司(現・三世千之丞)とのユニットによるヨーロッパ公演の開催や大河ドラマ「平清盛」への出演などジャンルにとらわれない活動を続ける。

PROFILE: 文月悠光(ふづきゆみ)
詩人、武蔵野大学客員准教授。1991年、北海道生まれ。2008年、16歳で現代詩手帖賞を受賞。第1詩集「適切な世界の適切ならざる私」(ちくま文庫)で中原中也賞、丸山豊記念現代詩賞を最年少18歳で受賞。その他の詩集に「屋根よりも深々と」(思潮社)、「わたしたちの猫」(ナナロク社)など。エッセイ集に「臆病な詩人、街へ出る。」(新潮文庫)、「洗礼ダイアリー」(ポプラ社)がある。高校の国語教科書「高等学校 新編現代の国語」(第一学習社)に「臆病な詩人、街へ出る。」の一部が教材として掲載。2023年、6年ぶりの新詩集「パラレルワールドのようなもの』(思潮社)で富田砕花賞を受賞。2025年2月、新詩集「大人をお休みする日」を刊行予定。
https://fuzukiyumi.com/

PROFILE: 望月遊馬(もちづきゆま)
広島市生まれ。第44回現代詩手帖賞受賞。詩集に「海の大公園」(poenique)、「焼け跡」、「水辺に透きとおっていく」(第26回歴程新鋭賞)、「もうあの森へはいかない」、「燃える庭、こわばる川」(いずれも思潮社)、「白くぬれた庭に充てる手紙」(第62回歴程賞・七月堂)がある。ほかに共著「詩のリレー」(ふらんす堂)「キョンシー電影大全集」(パレード)など。2019年には作曲家の中橋祐紀の楽曲のモチーフに詩「家具の音楽」(「焼け跡」所収)が用いられる。当楽曲“家具の音楽/六つの断章”は日本音楽コンクール作曲部門第3位を受賞。また国際グループMENSAに所属し、詩のワークショップなども開催。そして画家の武内雄大とのコラボレーションも実施しており、ビジュアル・ポエジィ・パリ展に参加。近年はピアニスト・文筆家の青柳いづみこ、チェリストの向井真帆と定期的に朗読コンサートを行っている。
https://www.yuma-mochizuki.com/

PROFILE: 小島基成(こじま もとなり)
詩人、実業家。ポエトリーリーディングバンド〈ムシケ〉のボーカル、有限会社サンリアル代表取締役社長。高校在学時から詩人として活動を開始。以降、ムシケのフロントとしてメジャーからインディーズまでありとあらゆるジャンルの猛者たちと夜を分け合う。2015年11月、1stアルバム『ヌミノーゼ』をリリース。実業の世界ではポスティングの有益性に着目し、ポスティング会社を設立。創業から1年で年商約6,000万円を達成、経営を軌道に乗せる。2022年、詩人のchoriとともに都市回遊型芸術フェス〈ART CIRCUIT(アートサーキット)〉を構想。第一段階として、大阪府堺市にて仁徳天皇陵世界遺産登録3周年記念大茶会を千利休ゆかりの南宗寺にて開催、大盛会で幕を閉じる。その活動が目に留まり、2023年4月に自由民主党公認で堺市議会議員選挙に立候補するも落選。現在は捲土重来を期し、詩人としてプロデュース業に挑戦中。
https://note.com/kojimamotonari/