急死した詩人choriの気高く純潔な歌/詩と、愛を巡る葛藤や慈しみの軌跡

 どうしてこんなにピュアな言葉が書けるのか。なぜこれほど剥き出しの言葉が歌えるのか。『ちょりびゅーと』を聴いて、そんな感想が漏れた。

chori 『ちょりびゅーと』 石上栽花(2024)

 本作は詩人choriの生誕40年と活動開始25周年を記念し、11作品から自ら選曲した初のベスト盤である。キクチミョンサ名義も名乗ったchoriは、出自が特殊だ。裏千家の16代家元の長男として生まれたが、家督を継がず15歳で家出、中学時代から詩人として活動した。京都を拠点にポエトリーリーディング、音楽活動(クリープハイプとのツーマンライヴや中村佳穂との共演、バンド浮かむ瀬での活動等々)、同地のインディミュージックの拠点であるライヴハウスnanoのブッキングなどを行っていた。しかし40歳の誕生日とアルバムのリリースを待たず、8月に急死。本作には彼が遺したレガシーが刻まれることになった。

 人間、歳を重ね既知のものが増えるにつれ鈍感になっていく。ちょっとしたことで傷ついていては立っていられないから、幼くヴァルナブルな自分はいつしか心の奥に幽閉してしまう。しかしchoriの声は、私たちの内に閉じ込められた幼い自己に語りかけ、引きずり出してくるかのようだ。

 先日、choriと交流があった詩人の文月悠光と望月遊馬、本作のプロデューサー小島基成にMikikiで取材をさせてもらった(近日掲載予定なのでぜひチェックしてほしい)。そこで文月はchoriの純粋さを認めたうえで、成熟していく姿も見たかった、と語った。でもchoriの言葉/音楽はこれでよかったのだ、とも思った。『ちょりびゅーと』には彼の気高い純潔さが生々しく真空パックされているから。そして社会、世界と軋みや摩擦しか生まなかっただろう激しく優しい透明な歌/詩は、何物にも代えがたい魅力を放っている。

 そう、choriは歌っている。彼は詩を、紙に刷られた文字にもディスプレイに表示されるピクセルにも留めおかない。自らの声で肉体性や物質性をもたらしている。ポエトリーリーディングと呼ぶにはあまりに音楽的な旋律、リズム、質感がその声に宿っている。リントン・クウェシ・ジョンソンともギル・スコット・ヘロンとも異なる、どこまでもchoriの歌でしかない唯一性。

 4曲目“アートアンドマインド”などでchoriは痛切な表現で愛について詠み、問う。本作は愛を巡る葛藤や慈しみの軌跡に聞こえてしかたがない。