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〈普通の人間になりたい〉という叫び

小島「15曲目の“しけるいかばね”の最後、彼は〈普通の人間になりたい〉と叫ぶんですね。ほとんどの表現者は〈何者かになりたい〉と思って表現をするのですが、choriは〈普通の人間になりたい〉と叫ぶ。そこに彼が抱えていた地獄の一端を見た気がします。僕は、その先の作品を見たかったんです。

“しけるいかばね”は彼が抱えている苦しみをそのまま吐き出したほとんど唯一の詩なので、『ちょりびゅーと』に必ず入れたいという思いは彼にも伝えていました」

文月「昔、共演した際の“しけるいかばね”の朗読を聴いた時の強い印象が残っています。ただ、これほど苦しくもがいている作品だったということは、『ちょりびゅーと』で聴いて気づきました。ある意味、自分を曝した自己紹介のような作品だと思います。自分は中産階級ではないし、貧しい暮らしをした経験もない、社会のために労働しているわけでもなく、ぼんやり暮らしている内にこんな歳になってしまった、という背伸びせず飾らないそのままのchoriさんがそこにいます。

あと同作で秀逸なのが、石川啄木の〈はたらけど はたらけど猶わが生活楽にならざり ぢっと手を見る〉を引用した、自分の手は水仕事も肉体労働もしたことがない手で、生活の年輪が浮かんで見えるとはとても言えない、という表現です。キツい労働の表現は共感を得られやすいわけですが、choriさんが置かれている境遇はそういうものじゃないという。choriさんの表現には、特殊な出自がどうしても関わってくるんですね」

小島「仰る通りです。なかなか共感を得られない表現ですよね」

文月「最後にお会いしたのが2022年9月のポエトリー・ナイトフライトで、その打ち上げの席で誰かから皇族についての話を振られた時、choriさんは〈俺はそういうことは話したくない〉と言っていて、出自に触れてほしくない、そこを入り口に自分を知ってほしくないという思いを感じました。あくまで自分は詩の書き手であると。

その数か月前、私はピース・シンポジウムで〈平和〉を題材にした詩を朗読したのですが、その時、開会の挨拶に高円宮承子さまがいらっしゃったんです。choriさんにそのことを話したら、〈あ~、承子ちゃんね〉と言っていたのが面白くて(笑)。中高生の頃、鬱々としていた時期にメールのやりとりをよくしていたそうです。choriさんっぽいエピソードだなって」

小島「彼は500年近く続いている裏千家の十七代目になるはずでしたが、長男なのに継がないことを選んだ。十七代続いてきた文化が、長男が継がないというだけの理由でなくなるぐらいやったら、それは時代に求められていないんやからなくなったっていい、と彼は言っていました。

それは本心やと思うんですけど、同時に彼は日本の伝統文化をリスペクトしていて、自分の家や家族のことも大好きだったんですね。もし家や家族が嫌いで絶縁したのだったら、もっと楽やったと思います。そうじゃなく、家族に認められたいし、家を出たことをポジティブに捉えてもらえる環境を作りたいのに、それができていない俺はいったい何なんや、とchoriは苦しんでいました」

望月「矛盾の中でどう生きるかということですよね。……何人かの言葉を引用したいのですが、詩人の川口晴美さんが鈴木志郎康さんに詩を習っていて、他者の人生を描く詩を書いた時、鈴木さんに〈あなたの年齢の時点までしか描けていない〉と言われたそうです。自分の年齢より先を想像するのは非常に難しい、と川口さんは仰っていました。

それと松下育男さんが最近Xで書いていたのが、〈さんざん心が落ち込んだ日の夜には、詩を書こうなんて思えない。/そんな日はお風呂に入って、すぐに寝る。/ただ、落ち込んで何もやる気がしない夜にしか書けない詩、というものが、実はあって、/少し頑張って書いてみたら、いつもの詩よりも地味でも、自分を勇気づけてくれる詩になったりもする。〉ということです。

自分の年齢を超える想像力と絶望した時に何かを生み出せる可能性、その2つを合わせて考えた時、choriさんは矛盾の先で何かを表現できたのではないかと感じます。例えばショパンは39歳で亡くなっていますが、ある音楽家が〈彼は天才だったから39年の命しかなかった。それ以上生きていたらとんでもない作品を作っただろうから不公平になる〉と言っていて。choriさんもそういう方なんじゃないかと思うんです」

小島「ショパンと並べるなんて、それはchoriへの最高の追悼なんちゃいますか(笑)。ぶっちゃけ、望月さんはchoriを評価していたのでしょうか?」

望月「詩学最優秀人賞をとられた時は、ずば抜けていた印象です。『chori』(2006年)という詩集が出た時も買って拝読しました」

小島「当時、彼は〈ヴィレッジヴァンガードに置かれるような詩集がいいんだ〉と言っていて(笑)。実際、3,000部を売り切ったそうです。詩学最優秀人賞は狙ってとったとも言っていました。

彼の人生設計では『chori』で中原中也賞をとるはずだったらしく、〈最終的に辿り着きたいのはどこなの?〉と聞いたら、〈アメリカのビルボードチャート1位〉と言っていました(笑)。要するに、そこまで行かないと裏千家を超えられない、裏千家を出てまで詩を書く意味がないと。脅迫観念ですよね。すごいプレッシャーを何より自分自身にかけていた。誰もが理想と現実との相克で努力したり修正したりするものですが、choriは矛盾の中を生き続けていたわけです。

週刊誌に〈運命の子〉と書かれていましたが、どれだけ表現者として上に這い上がって行っても、生まれた時の千明史(choriの出生名)の方が有名やと。なら、それを思う存分吐き出したらいいのに、彼の美学なのかもしれませんが、その苦しみを詩に綴らなかったんですね。

最終的にどこへ向かったかというと、テクニックに対するこだわりでした。『ちょりびゅーと』に収録した“タラチネ”という詩はちはるさんという個人に対して詠んだものですが、最後に〈ほんとそうだよな 本当、そうだったよな〉って同じようなフレーズを繰り返すんです。つまり、ちはるさんと恋人になりきれず、隣人のような関係で終わってしまったことに対する淡い、後悔にもなり切らない感情の吐露。

僕の場合はそのことに対して〈ほんまにそうやった〉と心から思えないと、あの言葉は言えません。でも彼は、実際に思っていなくても発音やイントネーション、息の込め方などの技術で言えてしまうんです。choriのずば抜けたテクニックを感じる部分ですが、僕からするとあれはフェイクなんですよ。なので表現についてよく喧嘩していましたが、同時にchoriがテクニックをひたすら磨き続けたことはすごいとも思います。

でも表現者として底にあるもの、芯は何だったかと問うと、何もないんですね。表現をテクニックでぐるぐる巻いていただけで、全部ほどいたら何も残らない、というのが彼の詩作だという印象です。だからこそ〈普通の人間になりたかった〉という叫びを技術でくるんだらいいのに、と思っていました」