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文月悠光と望月遊馬の詩集や寄稿雑誌

死後に残る/遺す作品

望月「お2人は、創作したものが自分が死んだあとに残ってほしいと願いますか?」

文月「例えば短歌の方で、詠み人知らずの一首でいいから自分の歌が残ってほしいという話はけっこう聞きますね。亡くなったあとに作品が評価されればいいという方もいます。

私は、今はそういう時代ではなくなってきていて、生きている内に評価されてこそ作品が残る可能性も上がるのだと思っています。そして死後に作品が残るかどうかは受け手が決めるので、作家がどうこうできる問題ではないんですね。今の私は生きている間に書ける場所で書き続けて、出られる場所に出続けようという心持ちです」

小島「僕はポエトリーリーディングのアルバムを自費出版で世に出したので、寿命が終わっても、少なくとも作品は残ることに安堵しました。自分が生きた証は、断片ですが残せたなと。ただ作品を出した瞬間に〈これが残るのは嫌だ〉と思って、また創作が始まっていくんですが(笑)」

文月「答えは出ませんよね」

小島「先ほど言ったように、僕は表現の根っこに何があるかに興味があるんです。それぞれの表現を掘り下げて、世界と繋がった先に何が見えるんだろうと。僕は、詩というのは掘れば掘るほど最終的に宗教的なものに繋がるんじゃないかと思います。

その意味で僕は、choriを表現者としてあまり評価できなかった。でもパフォーマンスするプレイヤー、演者としてはすごくリスペクトしていました」

文月「小島さんが仰るように、作品を作り続けている内に遠い世界や神と繋がるような感覚は創作者の誰もが持つと思います。しかし自分も同じ道を辿って気づいたのですが、作り手自身は表現を深めているつもりでも、どこか似たような結論になって均質化していく気がして、逆に面白みがなくなると私は感じるんです。だからこそ表現者の成熟って難しいんですよね」

望月「例えば最果タヒさんは10代の頃、〈死んだあとに欠片を残したい〉とブログに書いていました。ただ今はSNSが発達したことで、生きている間に表現や作品が拡散されてしまうから、死後の再評価はありえないとも言われます。

自分の考えは子供っぽいですけど、宇宙がいずれ消滅することまで視野に入れると、人類が生き永らえる期間だけ残り続ければいいと考える人のモチベーションがどこにあるのかが気になるんです」

小島「望月さんはどうなんですか?」

望月「自分は、自分の作品は消えていいと思っています。私が死んだら忘れ去られていい。これは死ぬことへの恐怖と関係があるかもしれません。例えば作曲家のショスタコーヴィチは死ぬ間際、死の恐怖を音楽に撒き散らして表現していました」

小島「死の恐怖は感じますか?」

望月「まだ解決できていませんね……。以前は恐怖心を覚えましたが、自分で食事を摂れなくなったら、点滴を打たなければ脱水症状に陥って意識が混濁し、苦しまずに死ぬという話を聞いて、それなら怖くないかもと思い始めています。choriさんはどうだったのでしょう?」

小島「体調が悪くなった時に〈病院に行って体を治すことが次の一歩じゃないか〉と説得しましたが、〈病院に行ってまで生き永らえたいと思わない〉というのがchoriの主張でした。彼自身の中に確固たるchori像があり、他者からどれだけ言われようが正解は決まっていてそれに殉じていく、という美意識があったようです」

文月「choriさんにもう少し素直さがあれば……と思ってしまいますね。2022年の春とその翌年に京都へ行った際もお茶に誘って時間や場所まで決めたのに、直前にキャンセルされることが2回続いたんですよね。当時は〈体調は大丈夫なのですが、文月さんに不様な自分を見せたくない〉というようなことを仰っていました。今思えば、その頃から不調を抱えられていたのかもしれません」

小島「choriは2014年に裏千家から分家して〈菊地明史〉という名前になったんです。その後、2015、2016年頃にchoriという筆名も一旦下ろしたんですね。もともとchoriという名前は〈千(せん)ヨリ〉と書かれたファックスが〈チョリ〉に見えたから付けたもので、明確に〈千〉が含まれているので、分家のタイミングで韓国語読みの〈キクチミョンサ〉という名義に変えて活動を始めたんです。

で、choriの遺作として『なとつみ』(2016年)を出し、〈いくらでもいいので銀行にお金を振り込んでください。そうしてくれたらCDを送ります〉というリリース方法をとりました。僕も送金して〈やめるのは残念や〉とメールを送ったら、〈これからは文筆家として細々とやっていくよ〉というような趣旨の返信があって。

彼の中でchoriを終わらせたわけですが、半年か1年後に名義を戻すんですね。choriをやめた瞬間、自分は何しているんだ?と感じたのでしょう。裏千家を継がず一人の詩人になれたはずなのに、その後に訪れたものが虚無だったわけです。その頃から体調が徐々に悪くなっていったと僕は認識しています。

それとパートナーのはったみさとさんが仰っていたのは、あれだけパフォーマンスやライブのブッキングが好きだった人がコロナ禍で何もできなくなり、収入の道もなくなった頃からメンタルが削られていったということでした」