カウンターテナー、ブレイクダンサー、モデル
――クラシック音楽シーンに新たなスターが誕生!
パリ・オリンピックの開会式で、雨の中を中世の衣装を着けて踊りながら歌っていたハンサムな歌手。それがいま欧米で大人気のカウンター・テナー、オルリンスキだ。ブレイキンの名手でもあり、透明な美声でバロック音楽を歌う新時代のスターが突如、来日した。
――今回は、プライベートでの来日とか?
「休暇で、初来日です。以前から日本に興味があり、特に陶器を見たい。食べ物も大好きで、寿司やラーメンが好き。市場にも行ってきました」
――新譜の『#レッツバロック』が話題です。
「ピアニストで作曲家のアレクサンドル・デンビチと共演するようになったのは、コロナ禍で音楽を創ることに飢えていた時。やり始めたら自然にこのような形になった。彼は即興もアレンジも巧いので、ポーランドのポップ音楽祭で演奏したら、すごく楽しかった。そこから録音に繋がった。これまで純クラシックのアルバムを出してきたけど、このアルバムを出すことによって、新しい聴衆を獲得できるのではないか。その方たちがオリジナル曲にも興味を持って欲しい。バロック音楽は全ての音楽のルーツ。ジャズもヒップホップもロックも、たどればバロックに行きつくのです」
――グルックの歌劇「オルフェオとエウリディーチェ」も素晴らしい演奏でした。キャスティングにも関わったとか。
「10年ほど前から歌うことを夢見ていましたが、2022年にパリを始め欧米でも実際の舞台で演奏できました。このアルバムは歌手からエンジニアまで自由に選ぶことができたので、素晴らしい歌手が揃いました。今回はカットなしでの演奏で、テンポも独特です。自分の中で描きたい解釈で録音ができました。また聴覚的なスペクタクルを重視し、地獄の場面は下から、天国の場面は上から聴こえるように、サウンド・エンジニアと相談して、音響を工夫しているのです」
――子供の時は合唱団でバス・バリトンだったとか。そこからカウンターテナーに転向したのはなぜですか?
「8、9歳からアマチュアの合唱団で歌っていました。その時ボーイ・アルトだったけど、声変わりしてバス・バリトンに。そのうち男声だけのアンサンブルを創り、ルネサンスの音楽を歌うことになった。そこでくじ引きをして、私と友人が負け、カウンターテナーを歌うことになった。何も知らないまま、キングズ・シンガーズなどのCDを聴いて、真似をして歌ったのが始まりです」
――そこから今のような自然でピュアでブレスもなめらかな声を手に入れた。大変な努力ですね。
「私はワーカホリックの傾向があって、本当に多くの練習を積み重ねました。歌うのが好きで、自分の仕事も好き。何百時間も自分の声や自分の身体を分析し、今では自分の声や身体のことを良く分かっています。でも身体も声も常に変わっていくので、その努力を続けていくしかないのです」
――ブレイキン(ブレイクダンス)も声と体作りに役立っていますか。
「演奏活動に非常に貢献しています。朝起きて体を目覚めさせるためにブレイキンと同じ運動をする。それによって、身体の総てに神経を行き届かせる。自分の身体をコントロールできることで、自分をそのまま表現できる。歌は声帯と口で歌っているのではなく、身体全体で歌うものです」
――前期バロック音楽に惹かれる理由は?
「バロック音楽の魅力は声のいろいろな要素を引き出せること。すべての要素を活用できる、そういう多様性が好きです。限界がないので、クリエイティヴになれることが、とても重要です。その意味では、バロック音楽はブレイキンと同じで、自由度が高い。そこが魅力なのです」
――あなたは多くの可能性を秘めたアーティスト。今後はどういう方向に進むのでしょう?
「素晴らしいドアが前にどんどん開いて行く。でも音楽は無限にあり、可能性も無限。どんな方向に行くか、まだ分かりません。クリエイティヴな人間は恵まれていると同時に呪われてもいる。やりたいことがあり過ぎて、全てが同時に出来ない悩みがある。いまの声にとって、何をやるべきなのか。何を優先し、何を我慢しなければいけないのか。いつ何を歌うかを見極めることが重要です。それを自分なりに賢く選択したいと思います」
ヤクブ・ユゼフ・オルリンスキ(Jakub Józef Orliński)
ポーランドのカウンターテナー。2017年にジュリアード音楽院を卒業してすぐに、エクサンプロヴァンス音楽祭でカヴァッリ作曲「エリスメナ」のオリメロ役でデビューし、国際的なキャリアをスタートさせた。余暇には、ブレイクダンスを楽しんでいる。この分野でも功績を残しており、Red Bull BC One Poland Cypherで4位に入賞するなど、多くのダンス・コンテストでの受賞を果たしている。